「あのネ、パパのおしごとは、しゅうほうをつくるおしごとなの」
娘が五歳ぐらいの時、知り合いにそんな事を言っているのをはたで聞いていて、苦笑したことがある。週報をつくる事はなかなか大変なことなのだと改めて思った。
1979年 週報(神戸教会1−2年目)
1980年 週報(神戸教会2−3年目)
1981年 週報(神戸教会3−4年目)
1982年 週報(神戸教会4−5年目)
1983年 週報(神戸教会5−6年目)
1984年 説教・週報・等々(神戸教会6〜7年目)
1985年 説教・週報・等々(神戸教会7〜8年目)
1986年 説教・週報・等々(神戸教会8〜9年目)
1987年 説教・週報・等々(神戸教会9〜10年目)
1988年 説教・週報・等々(神戸教会牧師10〜11年目)
1989年 説教・週報・等々(神戸教会牧師11〜12年目)
(サイト記)健作さんの牧師在任期間が56年(1958年〜2014年)、年間の週報のほとんどが健作さんの手によるものとすれば、一年で50本、総数は2800本となる。毎週毎週、週報の作成を続け、翌週・翌々週の聖書箇所を決めたら説教を作り、タイトルを決める(タイトルを決めることも、原稿を準備することも大変なことである)。讃美歌を選び、原稿以外に「聴き手のために」のテキストを作成・配布し、祈祷会に聖書研究会の準備、訪問・相談・指導・お手紙・お見舞い、教団や教区・地域での働き、さらに社会の諸課題に取り組み、葬儀やご遺族の心のケア、幼稚園園長としてのはたらき等、週報の背後には多くの日常・緊急の働きがある。特に神戸教会のように教会員の裾野が広い教会では、夜中に電話がかかってくれば全ての予定をストップして集中対応しなければならない覚悟と緊張の中で、説教と週報は作られている。週報原稿に至るプロセスは一切省略されているが、その簡潔な週報原稿テキストは、説教と礼拝の準備の中の祈りの「結晶」である。