2012年2月25日 キリスト新聞
“パレスチナを忘れない(2012 望楼 ㉙)” の続きを読むすずかけの葉っぱ(2009 岩国と神戸の幼稚園・神戸のホスピス)
2009年8月1日発行 単立明治学院教会
「切り株」所収
有志の祈り(2004 前夜式)
2004年9月21日、データファイル
“有志の祈り(2004 前夜式)” の続きを読む子ども追悼コンサートの挨拶文 震災から9年(2004 追悼)
2003年12月11日執筆、
2004年 大地震子ども追悼コンサート
(パンフレット裏表紙)
エルサレムのアラブ人地区(2002 教会と聖書11)
『為ん方(せんかた)つくれども希望(のぞみ)を失わず − 藤村透・闘病の記録』より(3)(1993-95 往復書簡)
1995年12月15日発行、藤村洋編著
“『為ん方(せんかた)つくれども希望(のぞみ)を失わず − 藤村透・闘病の記録』より(3)(1993-95 往復書簡)” の続きを読む『為ん方(せんかた)つくれども希望(のぞみ)を失わず − 藤村透・闘病の記録』より(2)(1993-95 往復書簡)
1995年12月15日発行、藤村洋編著
“『為ん方(せんかた)つくれども希望(のぞみ)を失わず − 藤村透・闘病の記録』より(2)(1993-95 往復書簡)” の続きを読む『為ん方(せんかた)つくれども希望(のぞみ)を失わず − 藤村透・闘病の記録』より(1)(1993-95 往復書簡)
1995年12月15日発行、藤村洋編著
“『為ん方(せんかた)つくれども希望(のぞみ)を失わず − 藤村透・闘病の記録』より(1)(1993-95 往復書簡)” の続きを読む霧のナザレ(1993 神戸教会)
小磯良平を偲ぶ(1989)
1989年執筆、掲載誌未詳
(原稿用紙に手書き→縮小コピー)
小磯良平氏は1988年12月26日に召天
3つのまなざし(1985 頌栄チャペルアワー)
1985年6月 No.21、
頌栄短期大学宗教部「チャペル月報」
愛の無償性(1984 頌栄チャペルアワー)
1984年5月 No.10、
頌栄短期大学宗教部「チャペル月報」
他者を生かす(1983 頌栄チャペルアワー)
1983年11月 No.5、
頌栄短期大学宗教部「チャペル月報」
戦後派の求める平和(1983)
1983年2月10日「基督教世界」巻頭言
“戦後派の求める平和(1983)” の続きを読む悲しんでいる人たち(1981 チャペルアワー)
1981年6月4日「チャペル・ニュース」掲載、学校名未詳
1978年 神戸女学院大学チャペル
2011年 湘南とつかYMCA
一粒の麦(1981 神戸教会)
1981年4月19日(イースター)発行、「神戸教會々報」No.96
“一粒の麦(1981 神戸教会)” の続きを読む今、なぜ、JOCSなのか(1980 神戸)
1980年11月15日発行「神戸JOCSニュース みんなで生きる」(第1号)掲載
神戸JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)発足から3ヶ月
「君が代」に喰われまい(1977 投稿)
1977年8月21日発行「岩国市民タイムス」p.4 掲載
“「君が代」に喰われまい(1977 投稿)” の続きを読む万人の奴隷(1976)
1976年9月1日「教会婦人」掲載、全国教会婦人連合発行
“万人の奴隷(1976)” の続きを読む教会と清鈴園(1973 戦争責任告白)
1973年12月1日「働く人」No.189号 掲載
(日本基督教団社会委員会・伝道委員会 発行)
”違和感を持続させる” – 反戦喫茶「ほびっと」開店2ヶ月(1972)
1972年5月10日発行「ジャテック通信 第6号」ジャテックセンター
“”違和感を持続させる” – 反戦喫茶「ほびっと」開店2ヶ月(1972)” の続きを読む「いつわりの平和を問う」《マタイ 10:34-36》(1971 待降節)
「新生」1971年12月1日(巻頭言)
西日本新生館発行
自分の信仰告白(1971 戦争責任告白)
1971年10月号「呉YWCA会報」掲載
“自分の信仰告白(1971 戦争責任告白)” の続きを読む教団問題と私たち(1971)
1971年9月「日本キリスト教団 西中国教区通信」No.31 掲載
“教団問題と私たち(1971)” の続きを読む岩国に来てみませんか – 基地があるから、そして反戦活動もあるから(1970 西中国教区)
日本基督教団 西中国教区 社会部通信
1970年5月28日号 巻頭言
靖国神社問題と教会(1968)
1968年9月10日「基督教世界」巻頭言
“靖国神社問題と教会(1968)” の続きを読む呉から岩国へ(1965)
1965年4月4日 日本基督教団呉山手教会 週報
(礼拝後送別会、教団戦争責任告白の2年前)
引用「岩国を去るに際して」高倉徹(1965 岩国教会)
岩国教会報「泰山木」1965年3月号所収、発行者 高倉徹
“引用「岩国を去るに際して」高倉徹(1965 岩国教会)” の続きを読むすると、彼は立ちあがった(1962 説教)
1962(昭和37)年8月11日「基督教新報」掲載
“すると、彼は立ちあがった(1962 説教)” の続きを読む教会の根拠(1960 呉山手)
1960年8月7-8日「夏期集会のために 1960」
日本基督教団 呉山手教会
集会主題「現代の教会」講師:高倉徹
(教団戦争責任告白の7年前)
男と女(1959)
1959年11月12日発行、広島流川教会 共励会・学生会
「秋期集会のために」リーフレット巻頭言
集会主題「人間 − 男と女」、11月15−16日
聖書研究(1959 広島流川)
日本基督教団 広島流川教会 学生会•共励会合同集会
1959(昭和34)年3月21-22日、小冊子「άνα-γινώσκομεν」
主題「聖書を読もう – その告知をどのようにして生活のなかで体得するか」
葬儀式辞(参考のための本人案)(2025)
坂祝教会の木彫りの十字架(2024)
ひとつひとつの支えの中で(2024 若林園長記)
2024年1月20日発行「新生」第46巻冬号(社会福祉法人新生会)掲載
特別養護老人ホーム 誠の園 若林毅園長 記
(現在健作さんが入居中のホームです)
メッセージ(2023 岩国・反戦喫茶「ほびっと」)
2023年11月20日発行『「ほびっと」50周年の集い 記録』所収
ほびっと50周年実行委員会
教会の風景(10)
新島襄の教会(安中教会)
“教会の風景(10)” の続きを読む教会の風景(9)
都市の郊外の教会(川和教会)
大学の中の教会(明治学院教会)
教会の風景(8)
港町の教会(神戸教会)
“教会の風景(8)” の続きを読む教会の風景(7)
米軍基地の街、そして城下町の教会(岩国教会)
“教会の風景(7)” の続きを読む教会の風景(6)
旧海軍の軍港のあった教会(呉山手教会)
“教会の風景(6)” の続きを読む教会の風景(5)
原爆を受けた教会(広島流川教会)
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