2002年11月3日、宮崎教会 礼拝説教
“子どもの未来に祈りを(2002 礼拝説教・宮崎①)” の続きを読むエルサレムのアラブ人地区(2002 教会と聖書11)
小島さんへの手紙 – 自分の「歴史認識」を語って欲しい(2000)
宛先:小島誠志(日本基督教団)総会議長、2000年11月15日、教団総会議場にて記
2000年11月16日「わじわじー」3号紙面を通しての書簡
『為ん方(せんかた)つくれども希望(のぞみ)を失わず − 藤村透・闘病の記録』より(3)(1993-95 往復書簡)
1995年12月15日発行、藤村洋編著
“『為ん方(せんかた)つくれども希望(のぞみ)を失わず − 藤村透・闘病の記録』より(3)(1993-95 往復書簡)” の続きを読む『為ん方(せんかた)つくれども希望(のぞみ)を失わず − 藤村透・闘病の記録』より(2)(1993-95 往復書簡)
1995年12月15日発行、藤村洋編著
“『為ん方(せんかた)つくれども希望(のぞみ)を失わず − 藤村透・闘病の記録』より(2)(1993-95 往復書簡)” の続きを読む『為ん方(せんかた)つくれども希望(のぞみ)を失わず − 藤村透・闘病の記録』より(1)(1993-95 往復書簡)
1995年12月15日発行、藤村洋編著
“『為ん方(せんかた)つくれども希望(のぞみ)を失わず − 藤村透・闘病の記録』より(1)(1993-95 往復書簡)” の続きを読む霧のナザレ(1993 神戸教会)
もう一人の自分を(1/3)(1990 説教)
1990年11月23日 日本基督教団兵庫教区主催、
第5回「障害者差別問題」シンポジウム 開会礼拝説教
『第5回「障害者差別問題」シンポジウム報告書』p.4-10 掲載(1991年5月19日発行)
日本基督教団兵庫教区「障害者差別問題」シンポジウム実行委員会
小磯良平を偲ぶ(1989)
1989年執筆、掲載誌未詳
(原稿用紙に手書き→縮小コピー)
小磯良平氏は1988年12月26日に召天
いくつもの葬儀(1989)
1989年2月10日発行「基督教世界」掲載
“いくつもの葬儀(1989)” の続きを読む沖縄と私たち − 日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同のとらえなおし(後半)(1988)
(後半)1988年3月27日 「兵庫教区報」 No.66 所収
“沖縄と私たち − 日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同のとらえなおし(後半)(1988)” の続きを読む沖縄と私たち − 日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同のとらえなおし(前半)(1987)
(前半)1987年12月27日 「兵庫教区報」 No.65 所収
“沖縄と私たち − 日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同のとらえなおし(前半)(1987)” の続きを読む3つのまなざし(1985 頌栄チャペルアワー)
1985年6月 No.21、
頌栄短期大学宗教部「チャペル月報」
愛の無償性(1984 頌栄チャペルアワー)
1984年5月 No.10、
頌栄短期大学宗教部「チャペル月報」
引用「心の温まる交わりを通して 座談会:在日大韓基督教会との宣教協約をめぐって②」(1984)
1984年1月21日「教団新報」記事
“引用「心の温まる交わりを通して 座談会:在日大韓基督教会との宣教協約をめぐって②」(1984)” の続きを読む『兵庫県大百科事典』と兵庫のキリスト教(1984)
1984年1月10日「基督教世界」掲載
1983年10月1日『兵庫県大百科事典』神戸新聞出版センター
他者を生かす(1983 頌栄チャペルアワー)
1983年11月 No.5、
頌栄短期大学宗教部「チャペル月報」
日本基督教団神戸教会、高橋健二、本城敬三(1983)
『兵庫県大百科事典』所収、神戸新聞出版センター(1983年10月1日発行)
“日本基督教団神戸教会、高橋健二、本城敬三(1983)” の続きを読む森田金蔵、横田栄三郎、渡瀬常吉(1983)
『兵庫県大百科事典』所収、神戸新聞出版センター(1983年10月1日発行)
“森田金蔵、横田栄三郎、渡瀬常吉(1983)” の続きを読む海老名弾正、九鬼隆義(1983)
『兵庫県大百科事典』所収、神戸新聞出版センター(1983年10月1日発行)
“海老名弾正、九鬼隆義(1983)” の続きを読む沢茂吉、鈴木清、鈴木浩二、赤心社(1983)
『兵庫県大百科事典』所収、
神戸新聞出版センター(1983年10月1日発行)
引用「兵庫県とキリスト教」座談会記録(1983 神戸新聞記事)
1983年8月15日「神戸新聞」掲載、兵庫県大百科事典執筆者「座談会」
出席者:小林信雄、岩井健作、笠原芳光(司会)
戦後派の求める平和(1983)
1983年2月10日「基督教世界」巻頭言
“戦後派の求める平和(1983)” の続きを読む牧会祈祷(1982)
1982年3月21日 復活前第3主日、神戸教会礼拝
「牧会祈祷」原稿
牧会祈祷(1982)
1982年2月14日 神戸教会礼拝
「牧会祈祷」原稿
悲しんでいる人たち(1981 チャペルアワー)
1981年6月4日「チャペル・ニュース」掲載、学校名未詳
1978年 神戸女学院大学チャペル
2011年 湘南とつかYMCA
一粒の麦(1981 神戸教会)
1981年4月19日(イースター)発行、「神戸教會々報」No.96
“一粒の麦(1981 神戸教会)” の続きを読む今、なぜ、JOCSなのか(1980 神戸)
1980年11月15日発行「神戸JOCSニュース みんなで生きる」(第1号)掲載
神戸JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)発足から3ヶ月
兵庫教区 教育部の一年を省みて(1980)
1980年3月16日「兵庫教区報 No.44」掲載、日本キリスト教団兵庫教区
“兵庫教区 教育部の一年を省みて(1980)” の続きを読む兵庫教区役員研修:発題「宣教論的視点から」(1980)
1980年3月16日「兵庫教区報 No.44」掲載、日本キリスト教団兵庫教区
“兵庫教区役員研修:発題「宣教論的視点から」(1980)” の続きを読む書評『抵抗と持続』(鶴見俊輔・山本明編)(1979)
1979年7月10日発行「宗教部報」掲載、同志社大学宗教部
『抵抗と持続』(鶴見俊輔・山本明編、世界思想社 1979)
説教と日常生活(1978 夏期特別集会)
1978年7月16日、神戸教会夏期特別集会
主題「説教と日常生活」発題原稿
書き込みは健作さん、以下本文のみ
「君が代」に喰われまい(1977 投稿)
1977年8月21日発行「岩国市民タイムス」p.4 掲載
“「君が代」に喰われまい(1977 投稿)” の続きを読む万人の奴隷(1976)
1976年9月1日「教会婦人」掲載、全国教会婦人連合発行
“万人の奴隷(1976)” の続きを読む教会と清鈴園(1973 戦争責任告白)
1973年12月1日「働く人」No.189号 掲載
(日本基督教団社会委員会・伝道委員会 発行)
「自衛」問題を考える(1973)
1973年2月10日発行「キリスト新聞」
建国記念日(戦前の紀元節)の前日の新聞掲載
”違和感を持続させる” – 反戦喫茶「ほびっと」開店2ヶ月(1972)
1972年5月10日発行「ジャテック通信 第6号」ジャテックセンター
“”違和感を持続させる” – 反戦喫茶「ほびっと」開店2ヶ月(1972)” の続きを読む引用「本土にも核があった – 沖縄と連帯の闘いを」(1971)
1971年12月1日「働く人」座談会記事、日本基督教団伝道委員会発行
“引用「本土にも核があった – 沖縄と連帯の闘いを」(1971)” の続きを読む「いつわりの平和を問う」《マタイ 10:34-36》(1971 待降節)
「新生」1971年12月1日(巻頭言)
西日本新生館発行
自分の信仰告白(1971 戦争責任告白)
1971年10月号「呉YWCA会報」掲載
“自分の信仰告白(1971 戦争責任告白)” の続きを読む教団問題と私たち(1971)
1971年9月「日本キリスト教団 西中国教区通信」No.31 掲載
“教団問題と私たち(1971)” の続きを読む連帯を破壊するものへの抵抗(後半)(1971 同志社)
1971年4月21日「チャペルアワー月報」掲載、同志社大学宗教部発行
1970年12月9日開催 同志社大チャペルアワー座談会記録
連帯を破壊するものへの抵抗(前半)(1971 同志社)
1971年4月21日「チャペルアワー月報」掲載、同志社大学宗教部発行
1970年12月9日開催 同志社大チャペルアワー座談会記録
岩国に来てみませんか – 基地があるから、そして反戦活動もあるから(1970 西中国教区)
日本基督教団 西中国教区 社会部通信
1970年5月28日号 巻頭言
岩国キリスト者平和の会 1968年度総括(1969)
1969年4月17日 岩国キリスト者平和の会々長 岩井健作
“岩国キリスト者平和の会 1968年度総括(1969)” の続きを読む靖国神社問題と教会(1968)
1968年9月10日「基督教世界」巻頭言
“靖国神社問題と教会(1968)” の続きを読む岩国キリスト者平和の会 1967年度総括(1968)
1968年5月12日 岩国キリスト者平和の会々長 岩井健作
1967年3月26日「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(戦責告白)
呉から岩国へ(1965 呉山手教会)
1965年4月4日 日本基督教団呉山手教会 週報
(礼拝後送別会、教団戦争責任告白の2年前)
新任の岩井健作牧師について 田口先生にききました(1965 岩国教会)
「泰山木」1965年3月号、岩国教会発行
プロフィール紹介:田口重彦牧師(当時下関西教会牧師)
引用「岩国を去るに際して」高倉徹(1965 岩国教会)
岩国教会報「泰山木」1965年3月号所収、発行者 高倉徹
“引用「岩国を去るに際して」高倉徹(1965 岩国教会)” の続きを読むすると、彼は立ちあがった(1962 説教)
1962(昭和37)年8月11日「基督教新報」掲載
“すると、彼は立ちあがった(1962 説教)” の続きを読む教会の根拠(1960 呉山手)
1960年8月7-8日「夏期集会のために 1960」
日本基督教団 呉山手教会
集会主題「現代の教会」講師:高倉徹
(教団戦争責任告白の7年前)
男と女(1959)
1959年11月12日発行、広島流川教会 共励会・学生会
「秋期集会のために」リーフレット巻頭言
集会主題「人間 − 男と女」、11月15−16日
聖書研究(1959 広島流川)
日本基督教団 広島流川教会 学生会•共励会合同集会
1959(昭和34)年3月21-22日、小冊子「άνα-γινώσκομεν」
主題「聖書を読もう – その告知をどのようにして生活のなかで体得するか」
葬儀式辞(参考のための本人案)(2025)
坂祝教会の木彫りの十字架(2024)
ひとつひとつの支えの中で(2024 若林園長記)
2024年1月20日発行「新生」第46巻冬号(社会福祉法人新生会)掲載
特別養護老人ホーム 誠の園 若林毅園長 記
(現在健作さんが入居中のホームです)
メッセージ(2023 岩国・反戦喫茶「ほびっと」)
2023年11月20日発行『「ほびっと」50周年の集い 記録』所収
ほびっと50周年実行委員会
教会の風景(10)
新島襄の教会(安中教会)
“教会の風景(10)” の続きを読む教会の風景(9)
都市の郊外の教会(川和教会)
大学の中の教会(明治学院教会)
教会の風景(8)
港町の教会(神戸教会)
“教会の風景(8)” の続きを読む教会の風景(7)
米軍基地の街、そして城下町の教会(岩国教会)
“教会の風景(7)” の続きを読む教会の風景(6)
旧海軍の軍港のあった教会(呉山手教会)
“教会の風景(6)” の続きを読む教会の風景(5)
原爆を受けた教会(広島流川教会)
“教会の風景(5)” の続きを読む