1991年5月5日、神戸教会週報、復活節第6主日
(神戸教会牧師14年、牧会33年、健作さん57歳)
ピリポがエチオピアの高官に洗礼を授けた物語には、ある爽(さわ)やかさがある。
馬車に乗りながら聖書を読む高官(宦官)。
並んで走るもう一台の馬車。手引きを求めたその箇所は、かのイザヤ53章の「僕の歌」。
旅の途上の洗礼式。
授洗者ピリポは消え去って、残った彼(高官)は「よろこびながら旅をつづけた」という。(使徒行伝 8:39)
使徒行伝の著者ルカは、異邦人伝道への導入としてこの物語をここに入れたのであろう。
高官は暗に異邦人を意味していたし、伝道は、エルサレム教会の領域をはるかに離れて進んでいる。
しかも、ピリポと高官との問答は、最古の教会の洗礼式式文を留めている、という。
特に受洗者の「わたしはイエス・キリストを神の子と信じます」という答え(使徒 8:37)は、洗礼に関連した最古の信仰告白の一つである。
新約聖書中には、このような最古の告白が多数保存されている。
「あなたこそキリストです」(マルコ 8:29)
「イエスは主である」(第1コリント 12:3)
「イエス・キリストは主である」(ピリピ 2:11)
信仰告白が発生した理由は5つある。(新約聖書学者 O.クルマン)
① 洗礼と受洗者に対する教理教育
② 正規の礼拝
③ 悪魔を祓う式
④ 迫害
⑤ 異端との論争
信仰告白は、キリストに関する一項目定式から、キリストと神の二項目へ、そして聖霊を含めて三項目定式に発展し「使徒信条」が完成した。
4世紀には「ニカイア信条」、続いて「アタナシオス信条(三位一体論)」が作られた。
古代教会の三信条の成立である。
プロテスタントの諸信仰告白はその後に続き、いや果てには、我が「日本基督教団信仰告白」も、その線上にある。
さて、生きた人格関係(神と人)は、言葉で告白しないと、以心伝心では明確でない。
と言って、言葉は不自由なもので相手の解釈を生むし、固定化を免れないから、真実と虚偽の表裏を併せ持たざるを得ない。
その一切を相手に委ねたところに「告白」は成立する。
(愛情の告白ということとなぞらえれば、よくわかる)
とすれば、我々が「信仰告白」をするという事は、そのこと自身が恵みなのである。
言い換えれば、出来事としては、神にすでに(イエス・キリストの出来事を通して)受け入れられていることの、拙(つたな)い追認にすぎない。
でもそれが、自分の主体的行為であるというところに尊さがある。
「まごころ」とは、その主体的在り方の別表現ではあるまいか。
(1991年5月5日 神戸教会週報 岩井健作)