1991年5月12日、神戸教会週報、復活節第7主日
(神戸教会牧師14年、牧会33年、健作さん57歳)
”彼に結びついてその死に様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう”(ローマ人への手紙 6:5、口語訳)
必要があって『わがいのちわがうた:絶望から感謝へ 玉木愛子集』(玉木愛子、新地書房 1986)を読み返した。
新たな感動を受けた。
玉木愛子。1887.12.28〜1969.3.26。俳人。大阪に生まれる。7才の春ハンセン病が現れ、旧制女学校1年より蟄居生活。舞、箏(そう)曲(尺八・三味線)に精進。商家(しょうか)の家族は手厚く看護、しかし病勢進行、四肢麻痺。17才の春、リデル女史経営の熊本回春病院に入院。医師三宅俊輔によるキリスト教への感化で受洗。以後終生信仰に励む。入院中聖歌隊の指揮をして病友を励ます。42才の時右脚切断。1933(昭和8)年、国立長島愛生園に転園、光田健輔の下に治療を受ける。49才で失明。ホトトギス社に入会し作句生活に入る。句友牧玲司と結婚。霊肉ともに助けを受く。81才の生涯を終えるまで病苦と戦いつつ作句。著書『この生命ある限り』『真夜の祈』。
案山子立つ神より弓矢賜りて
目をささげ手足ささげて降誕祭
常臥の身拭いて貰う復活祭
さぐり出て冬日の恵みしかと受く
祈り終ふもう朝顔の咲く刻か
祈る日々祈らるる日々露うれし
(玉木愛子『わがいのちわがうた:絶望から感謝へ 玉木愛子集』より)
この世の生活の低さ、小ささ、つつましさ、それに比べて、霊的な生活の、高さ、大きさ、豊かさを想わしめられ圧倒させられた。
自伝には「案山子」になり切るまでの苦悩の歩みと、「冬日の恵みしかと受く」という喜びの歩みとが交錯している。
その振幅は、イエスの十字架の死と復活の生命を共に生きていることの証であろう。
イエスの死に結びついて死の様に等しくなる、その結びつきの確かさが、同時にいのちへと開かれている。
この世を形づくる直接性・一切の誇りが、イエスの十字架に結びついて葬られることを、恐れてはならない。
「葬り」のないところに「よみがえり」はない。
「結びつく」「共に葬られ」という言葉には深い慰めがある。
己れを捨てることという最も難しい局面に、十字架のイエスという同伴者がいることを思うことができるところに、救いがある。
己れに死なない近代主義から脱して、聖書の示す、逆説を内に宿すものでありたい。
(1991年5月12日 神戸教会週報 岩井健作)