アルバム(野本真也さんのアルバムより ②)

(2020年1月17日に野本真也さんより提供・掲載許可)

壮図寮の開寮式後の記念写真(1954)
壮図寮の開寮式後の記念写真(1954)

 1954年4月新築・壮図寮の開寮式後の記念写真。
 最上段、右隅2人目に学部3年の健作さん、4人目が新入生の野本真也さん。

 最前列、左端から魚木忠一、宣教師、宣教師、田畑忍前学長、大下角一学長「自由人にして野人」岩井健作(1994『オヤジ 大下角一』)、大塚総長、ギューリック宣教師、Wood宣教師、山崎亨神学部長。


 左下から3列目の宣教師の後ろ遠藤彰(新約学、健作さんの修士論文指導教官、「アルバム同志社時代」)、その右一人置いて福原はるよ同志社女子大英文教授(ブルンナーの講演を通訳)、(一人おいて)本宮やへい宗教心理学名誉教授。

 ギューリックの右後ろ伊藤洛陽教会牧師。その隣がロイド教授、土肥昭夫「改めて”歴史に生きる教会”とは(2005 宣教学 ㊴)」、緒方純雄、滝口勝寮長、右端に樋口和彦。

 壮図寮寮会後。2列目右から三人目が健作さん、右上に田口重彦さん。2列目の左端が新入生の野本真也さん。

 壮図寮の叩き売り会。左上に健作さん、すぐ下に田口重彦さん。野本真也さん撮影。


 壮図(そうと)寮。背後は比叡山。すごい場所に建っている。

 1955年、東京神学大学、同志社神学部、関西学院神学部などの交流、インターセミナリーが同志社で開かれたとき。右上の隅が野本さん。3人目が田口重彦さん、とのこと。健作さんもどこかに写っているようなのですが、どこにいるかわかりませんでした。

 左から二番目が健作さん、右が橋本滋男さん、三番目が野本益世さん。
 1958年、原水爆反対運動のデモ、野本真也さんが神学部自治委員長の時。




 以下は藤村洋さん追悼の際、野本さんからお送りいただいた寄せ書きです。

 笠原、藤村、三好、山下さんのお名前と共に益世さんのお名前もある。
 小磯良平さん宅での神戸教会青年会(1955年、昭和30年)、小磯さん直筆の女性画を囲んでの署名。当時、健作さんは学部4年で神戸教会 派遣神学生、笠原さんは伝道師。

アルバム(野本真也さんのアルバムより ①)

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