アルバム(1952-58 同志社時代)

(敬称略)
岩井健作 1952-58 同志社大学時代(京都教会、浪花教会、神戸教会への派遣神学生)

下の写真は、京都の学生寮から、岐阜の坂祝、蘇原教会の応援に帰省していた時の一枚か。冒頭の溢子さんとの写真から推測すると、大学生で、高校時代の制服を着て畑仕事もしているように思われる……。

大下角一(オヤジ)同志社大学教授、神学部長、学長。 自由人にして野人(1994『オヤジ 大下角一』)

遠藤彰(同志社大学教授・新約聖書学)修士論文指導教官
健作さんは1958年 修士論文「エペソ書の教会論 – その真理契機と体得契機」を提出。修士号取得。
遠藤先生は1990年定年退官まで同志社大学神学部教授として教鞭をとられた。

旧・此春寮(ししゅんりょう:学部1、2年生の時に住んでいた学生寮)。写真では綺麗に見えるが……。

砂野文枝(此春寮寮母)学部時代の1952-53年の2年間、お世話になる。
あの若い精神を(2010 出会い)

 恵泉を卒業して岐阜県蘇原中学教師として蘇原教会で教会生活をしていた小林溢子さんと出会う。下の写真は京都での研修会、京都御所での一枚。

 下の写真は、神戸教会派遣神学生時代(1955〜57)、藤村洋(中央・神戸教会執事)、小林正樹(右・溢子さんの兄)と共に、神戸教会の前での一枚。左隣は小林祐子(溢子さんの姉、当時、神戸カナディアンスクールの校長秘書)。

 藤村洋(工学)、小林正樹(法学)、岩井要(建築)の三人は東京大学で同学年、同じ寮(東大学生YMCA寮)で生活し、教会も同じ美竹教会(浅野順一牧師、渋谷)であったという。藤村洋さんは20数年後に神戸教会牧師に就任する健作さん溢子さんをその後24年間支え続けた。

岩井文男(神学部教授)写真の右端。左隣が笠原芳光。

笠原芳光(教員・宗教部、健作さんの6年先輩)写真は、呉山手教会牧師の健作さんが招いた集会講師を務めた笠原芳光さん(中央)と呉山手教会メンバー。1960-65年の呉山手時代、かれこれ60年前の一枚です。健作さん、溢子さんが写ってます(お分かりになりますでしょうか?)。左端の男性が、溢子さんの文章で紹介されている、駆け出しの健作牧師に背広を仕立ててくださった信徒さんとのことです。

笠原芳光 @ 呉山手教会 1960-65年
2012年7月

住谷悦治教授(健作さん、経済学の講義を受講)。1963-75年 同志社総長。次男住谷磬(けい)教授は溢子夫人の姉のお連れ合い。叔父・住谷天来は甘楽教会牧師で、健作さんの父方祖父、父文男は甘楽教会出身、ですので牧師先生の甥っ子であり総長。溢子さん方からは義兄の父。健作さんにとっても義兄の父ということになるのでしょうか(ややこしいです)。(「土岐君、死んではいかん。愚かすぎるな、どうして時も来ないのに死んでよかろうか」リンク

 下の写真は、次男の住谷磬(けい)同志社大名誉教授(社会福祉学 -2009)、2002年撮影です。溢子さんからは義兄、健作さんからは義姉のお連れ合いということでやはり義兄になるのでしょうか。今の高崎の新生会の原慶子理事長は同志社時代・住谷磬(けい)教授の許で社会福祉学を修めています。住谷磬先生の左は岩井要様(長兄)、右は夫人・祐子様(溢子さんの姉)、京都在住で、神戸にお出かけの際は姉妹で待ち合わせされるのだそうです。

健作さんの同志社時代の(1958卒)同級生(いま筆者の聴いている範囲ですが)

・福井達雨

・金井愛明

・伊藤義清

・岸本和世

2年、3年後輩で同じ学生寮

野本真也 同志社大学名誉教授(旧約聖書学)、2019現在 賀茂教会牧師。

 健作さん溢子さん婚約式、京都教会。健作さんの上に文男さん、その上に野本真也さん。
 同志社大学神学部長として、24年間に8人の卒業生を神戸教会に派遣し、健作さんの牧会を支援。派遣された8人の伝道師の一人が現在の菅根牧師。

田口重彦 健作さんの岩国教会時代、岩国東教会牧師。アルバム(岩国)、(「ほびっとにとって、岩井さん・田口さんの存在は欠かすことができないリンク)(「青春がぼくにあったとすればそれは岩国だった!リンク

宮内常喜 ご夫妻で現在、新生会マリア館在住。以下は2019年6月後半、高崎にて。

五味一 3年後輩、寮で同室。2019現在 元浦河教会牧師・浦河教会兼牧。前安中教会牧師。


 先生方の経歴をあまりに略式で、記憶だけで書いておりますこと、本当に申し訳ありません。お一人お一人の牧会の経歴をどう記載できるか、宿題とさせてくださいますよう、お許しいただければ幸いです。

廣島流川・京都編に続きます

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