「福音と世界」1967年5月号所収(新教出版社)p.12-17
(岩国教会牧師3年目、健作さん33歳、教団戦責告白から1ヶ月)
1 告白の受けとめ方
日本キリスト教団が議長名で「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を公にした経緯については、議長自身が本誌4月号に記している。また、長年くすぶっていたこの問題を、このような形で結実せしめた直接の「ことの起こり」と、問題を神学的に整理する試みとが本誌1月号の大塩清之助氏の論文に記されている。
私は、すでに公表された告白を、どう受けとめるかという問題から出発したいと思う。なぜならば、すでに公表されたという事実には、かなりの重さがかかっているからである。
3月27日付の中国新聞は「戦争是認(第二次大戦)をざんげ―日本基督教団が自己批判」という見出しで、この告白公表を社会面の記事にしている。中央紙がふれていないこの問題を、一地方紙が扱っているからにはそれだけの理由があるに違いない。元来、この新聞は、いわゆる安芸門徒(広島県の浄土真宗の信仰は、和歌山や富山と共に全国でも最も生活にしみこんで生きていると言われている)の信仰と生活に深く関わりを持っていて、宗教が現代生活に何を与え、既成教団がどの様な指導理念を持つべきか等について、平素から宗教欄に論を張っている。日頃からはってある網に、社会記事としては小さな出来事がニュースとしてかかったのだと思う。記事は、声明文がすでに英訳されて、韓国をはじめアジア諸国、西欧にも配布されたこと、宗教団体の戦争責任の告白は、ドイツ福音主義教会がドイツ無条件降伏5カ月後の1945年10月に出しているだけであること、今度の告白文が「今一度改めて」なされたもので、戦争中の教団の誤った言動に対する明確な罪の告白であること、等を述べて、告白文の意義を見定めるための文脈(コンテキスト)を明らかにしている。それは問題の焦点が宗教的ざんげと"自己批判"にあることを捉えていて適確である。しかし、記事の内容が、ざんげの告白に関する面よりも、使命への決意により重点をおいていることに注意したい。
中国新聞が広島に位置して、原爆被災の現実の追求と、その報道に生きて来たことは、すでに一昨年新聞協会賞を受けた「特集ヒロシマ」一つをとってみても鮮やかである。この新聞の性格から考え、戦争責任告白の記事が、原爆被災体験の系譜における平和への志向という観点に大きく包まれていることは十分うなずける。「あやまちは繰り返しませんから」という原爆記念碑の碑文と重ね合わせるように、告白文の最後の部分を要約して、「現在世界が再び憂慮すべき方向に向かっていることをおそれ、この時点において教団が再びあやまちを繰り返すことなく、日本と世界に負っている使命を果たすことができるように明白に向かって決意する」と記している。さらに、議長談話として「"過去"ではなく、現在にたいして態度をはっきりさせたい……」と告白文の積極的意図を報じ、現時点の状況を、教団自身が、「戦後25周年に当たり、ベトナム戦争をはじめ、建国記念日(紀元節)復活など、日本が再び軍国主義へ向かっている機に」と捉えていることも記している。教団の戦争責任の告白はあくまでも"罪を告白し主と隣人にゆるしを請い求める"という点にあるにもかかわらず、一度公表されたものに対しては、告白の必然的帰結としての使命の遂行に対する関心が寄せられている。この告白文において、ざんげと決意とは不可分であるが、決意というものはその主観的意図とは別に、それが及ぼす客観的役割についても新しい責任を負うことになる。その意味で、公表された事実というものの重さを感じる。
この告白文をどう受けとめるかは、それぞれが属する世代や状況によってニュアンスが異なる。告白文は議長名で発表されており、「わたくしども」という一人称複数が主語になっている。「この『わたくしども』という一人称複数にみずから加わるか否かは各自の良心にゆだねられている」(「本誌4月号」 p.60、鈴木正久)と言われているように、告白への参加は一人一人の問題である。それゆえに不参加の自由をも含めて、参加のニュアンスは異なっていてよい。不参加の場合、この告白に対する違和感が、信仰の問題というより事柄の経緯や立場や感情に属するものであるならば―現状の教会にはしばしばこの問題が克服できないままで、生産的対話がなされない場合が実に多い―その行き違いを冷静に交流させることを手がかりに、すでに自明なこととなっている信仰の意味を再び見出してゆかねばならない。これは初歩的なことであると同時に根源的なことである。
参加のニュアンスを二つの軸に整理してみると、第一は、この告白そのものにおいて教団を主体的に自覚する受けとめ方。第二は、この告白を起点として教団を主体的に自覚する受けとめ方、である。第一の場合、告白への参加は、懺悔を軸にしており、第二の場合には使命を軸にしている。前者は教団の成立と存続において働く神の摂理(現状肯定的ではなく、信仰において現状に生きる意味で、すなわち本来の深い意味において)の自覚に重点を憶え、後者は、日本と世界に負っている使命を、ふたたびあやまちをくりかえさないように正しく果たすことに重点を感じるであろう。一方は、この問題に関して「義認」がより深く、切実であり、他方は「聖化」がより緊急に感じられる。この告白への参加は、一人の人においてこの両者が離れ難く結びついているのだが、それでいてこの二つの軸は参加のニュアンスの多様さを認めるものとして無視出来ないものである。
大塩清之助氏が、「私は、戦時中、例の『使徒的書簡』と全く同じ似而非信仰をもち、『天皇のために死ぬことが即キリストのために死ぬことである』と信じて海軍の予科練に献身した者である。だから、教団の罪は全く自分の罪であり、教団の体質は全くそのまま自分の体質であることを告白せざるを得ない。その意味において小論は懺悔録である」(本誌1月号)と述べているが、それと同じ意味で、私などは「体験的挫折経験即教団の戦争責任の告白」とは結びつかない。私は、本誌編集者から送られて、「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書簡」(自称「現代的使徒書簡」、昭和19年復活節)を初めて読んだ。戦争協力の総決算と言うべきこの書簡が、教団の名において出されたという事実を前にして、今、教団に属する者として、この事実に連帯的につながっており、その罪が今日の私たちの問題であり、「戦争責任の告白の主体は、今日ただ今の教団であるわれわれ自身であるに違いない」(前掲)ことを認めることに変わりはない。しかし、それが即信仰の挫折経験とは結びつかない。もし信仰の挫折と結びつくとすれば、それは告白文中の「使命を正しく果たす」という迂回を通して、使命の遂行の過程における挫折と結びついている。これは私が世代的には戦後世代に属しており、信仰的に見れば、すでに戦後、先輩たちがいち早く戦前戦中の教会の誤りを償う実践的課題に取り組んでいた路線に、身を置きえたという事情によるのかも知れない。その意味では、自分が、昨夏の教師修養会でこの問題について発言もし、また教団総会の戦争責任問題の建議案の同意者に名を加えておりながら、この告白への関わり方を模索せざるをえなかった私にとって、この告白に参加することは、この告白を起点として教団を主体的に自覚することであり、使命を正しく果たす決意にかかわることなのである。そのことは、先に述べたように、この告白が持つ客観的役割について責任を負うことでもある。
2 過ちをくりかえさないために
あやまちを繰り返さないための決意として、この告白を受けとめる時、戦時下の日本の教会の実質的挫折がどこにあったかを知らねばならない。
笠原芳光氏(本誌1965年1月号)は、戦争中のキリスト教の指導者、教団の幹部の転向を捉えて、形式的には転向しないけれども、実質的には転向した類型であるとしている。教義における最後の一線を守るという象徴的な形式のゆえに、転向の問題を「踏絵」を踏むか否かという見地からのみ捉えて、キリスト教の内容と実質が失われてゆくことに気がつかなかったという。そして、キリスト教の実質を、「宗教的・精神的領域の問題だけではなく…物質的・社会的領域にもわたる人間的事柄」として捉えている。つまり、戦時下の教会が、信仰の告白を、この社会的領域を含んだ人間的事柄において貫かなくなった時に、実質的挫折を起こしたと考えてよい。教会の挫折は、大塩氏が指摘しているように「イエスのみが主である」ことを大胆に告白しなかった信仰の挫折であるが、政府から戦争協力をせまられて、はじめてこの挫折が起こったのではなく、そのはるか以前に、教会が政治的・社会的現実から逃避し、あるいは妥協していった一つ一つの行為の選択の中にあったのである。遠藤周作氏が『沈黙』の主人公ロドリゴの「転び」において、行為の選択の苦しさを描き出したかったのだ、と語っていたのを記憶しているが、もし、教会が政治的・社会的現実の中で、その苦しさを自覚していたならば、形式的には信仰の挫折を経験していたとしても、積極的戦争協力への転落をくいとめる信仰の実質を残したに違いない。
キリスト教信仰の中心である「イエスは主である」という告白が、公然と国家権力と衝突したのは、明治24年の内村鑑三の不敬事件にはじまる。この告白が、その後の時代になって、直接国家権力とぶつかり、最後の一線として自覚されるまでには、社会的・政治的領域で、外堀がじわじわと埋められて来ている。外堀の第一は、共産主義運動であった。国家独占資本にとって何といってもこの敵をまず倒さねばならない。宗教団体の統制やキリスト教への直接の弾圧は、共産主義運動の壊滅した後、昭和12年以降に始まっている(佐々木敏二「日華事変下のプロテスタント教会」、『キリスト教社会問題研究』第9号)。では、共産主義運動の弾圧が始まった大正から昭和にかけて、教会はどのような態度をとっていたのであろうか。佐々木敏二氏は「治安維持法改悪とキリスト教会(『キリスト教社会問題研究』第10号)によれば、「キリスト教は、唯物論思想を否定するものとして、国家権力によって利用される傾向にあった」のである。しかし、自らを共産主義と区別したキリスト教も、何年か後には同じ運命をたどることになる。同氏の論文の「『社会信条』の精神の崩壊過程」の項がそのことを示している。昭和3年11月2日、日本基督教連盟総会で制定された「社会信条」の内容は引用の如く、今日においても新鮮さを憶えさせる。しかし、これはすでに大正14年4月に共産党の弾圧を目的に制定された治安維持法下にあって、自己の立場を意図的に共産主義と区別している。けれども、その区別も国家権力の前には安全ではなく、弾圧が広く社会運動、反戦運動、自由主義思想に及んで来て、昭和11年11月11日に修正されるのである。昭和3年の原文(ゴシックは修正個所)と昭和11年の修正文(カッコ内)を読み比べる時、そこに国家権力のきしみを感じると共に、自らの手で、信仰の告白の内容をゆがめて、気づかないうちに実質的な挫折をしてゆく教会の姿を見る。
社会信条(前掲論文より引用)
「我等は神を父として崇め人類を兄弟として相親しむ基督教的社会生活を理想とし、基督によって示されたる愛と正義と融和とを実現せんとする者である(愛と正義とを実現する忠誠順良の国民たらんとする者である)。
我等は一切の唯物的教育、唯物的思想、階級的闘争、革命的手段による社会改造を排し、又反動的弾圧にも反対し、進んで基督教教育の拡張を計り(及びあらゆる暴力による社会改造を排し、基督教的人格教育の進歩発達を図り、進んで基督の主義精神により)、身を以て社会問題の解決に当らんとする士人(者)の、我等の間より多く出現せんことを祈るものである。
我等は社会の組織体(社会機構)の中に、基督の生命を活かし、之によりてのみ当今の悩みは救わるべしと主張し、且つ富は神よりの受託物にして、神と人との為に捧ぐべきものと信ずる者である(凡ての資源は神より出でて神に帰属すべきものなるをもって、之より生ずる所得は、神に捧げ人類の福祉に供用せらるべきであると信ずる)。
此の理想に基き、我等は左の条項を主張する。
一、人の権利と機会の平等
二、人種及民族の無差別待遇
(一、二はまとめて、人権の自由平等と人種及び民族間の機会均等)
三(二)、婚姻の神聖、貞操に対する男女同等の責任、家庭生活の保護(抹消)
四(三)、女子の教育、社会、政治及産業界に於ける位置の改善(待遇の改善)
五(四)、児童人格の尊重、少年労働の禁止
六(五)、日曜日公休法の制定〈賃金の支給を予期す〉(日曜日を公休とする習慣の奨励)
七(六)、公娼制度の廃止、及之に類する営業の徹底的取締(後半抹消)
八(七)、国民的禁酒の促進(強調)
九(八)、最低賃金法、小作法、社会保険法、国民保険に関する立法の完備と施設(社会立法の制定と実施)
十(九)、生産及消費に関する協同組合の奨励(経済生活の倫理的調整〈カッコ内略、引用者〉)
十一、傭人、被傭人の間に適当なる協調機関の設置
十二、労働者教育の普及及徹底、合理的労働時間の制定
(十一、十二は抹消)
十三(十)、所得税及相続税の高率的累進法の制定
十四(十一)、軍備縮小、仲裁裁判制の確立、無戦世界の実現(不戦条約の促進、仲裁裁判制の確立、世界平和の強調)
すでに昭和8年同連盟は第11回総会で「非常時局に対する声明書」を出している。その内容が、「日本精神の真意を把握し、…基督教の思想信仰は我が皇室の尊栄、国運の基礎を闡(せん)明するに最善の貢献を為すものであると我等は信ずる」(前掲論文より引用)というものであってみれば、「社会信条」の根本精神を放棄した修正も当然の結果である。信仰の外堀を埋められた時、そこにおける実質的な意味での信仰告白的対決をしないでいたことが、実は気づかぬうちに実質的挫折を起こしてしまったのである。この事実は、あやまちをくりかえさないために、今日の課題に取り組む私たちが忘れてはならない必須の要件である。
昭和12年7月、支那事変勃発後の日本の教会の姿は、森岡巌『太平洋戦争と日本の教会』(本誌1953年10月・12月号)、『深き淵より – キリスト教の戦争体験』(安藤肇、長崎キリスト者平和の会 1959年)、『あるキリスト者の戦争体験』(安藤肇著、日本YMCA同盟出版 1963年)等の文献に明らかである。それ以後、発表された文書は、狼狽に満ちたものから、高踏的な例の「現代的使徒書簡」に至るまで、戦争協力の深みにはまっていったことを示している。
3 過去からの光
戦時下、政府の弾圧はきびしかったが、抵抗者はやはり存在した。それが部分的であり小さな存在であっても、その系譜を受け継いでゆく責任が私たちにはある。私が、教団の戦争責任の告白を「どう受けとめるか」という点で、二つのニュアンスの相違をあげ、今から果たすべき使命の軸で受けとってゆきたいと言ったのは、暗夜に星の如きではあるが、これら抵抗者の精神も含めてのことであったからである。彼らも、全体としては過ちを犯したことに変わりはない。
しかし、国家権力を前にして、信仰故に「反戦言動」「神社参拝拒否」などを行い、戦争への積極協力を拒んだ事実は、私たちが戦争協力の過ちを償ってゆく時、大いなる励ましとなる。
以下、内務省警務局『社会運動の状況』(『キリスト教社会問題研究』第9号)から2、3の例を引用する。
・昭和12年中の事実関係各種事犯の取締状況。宗教家・信者の要注意言動事例:渡辺謙蔵(基督教信者27歳、島根県邑智郡中野村1657)
8月中旬京都市市電車掌を勤務中今次事変に召集せられて帰郷し、加茂神社に於いて出征報告祭執行せられ、他の応招兵一同と共に神官の修祓(しゅばつ)を受くるも頭を下げず、且玉串奉奠(たまぐしほうてん)を拒否し、又同村婦人会より千人針を贈与せんとしたるも斯(かか)るものは不要なりとして拒絶せり。
・昭和13年中の主要宗教事犯の審理状況。宗教関係者の軍法違反事件検挙概表。
須永隆(理髪業・基督教信者・22歳・栃木)
本名は支那事変に関し、「自分は基督教を信じ基督愛を目標としている関係上人を殺す戦争は反対だ」と主張する等反戦言説を弄したる外…「戦争をした結果、戦死者は沢山出るし、国民経済は逼迫するし、生活は不安となり、戦後の国内混乱は免れない、今度の事変で戦死者が沢山出たが殊に貧乏人の伜が戦死したのは気の毒だ。何れにしても戦争は人道的にも階級的立場よりも穏やかでないから反対だ」等の造言を為せるもの。
・昭和14年のキリスト教 英米系プロテスタント派基督者の反(非)戦的言動
木原セツ(松山市港町基督教信者)
戦争が早く済んで呉れんとお互いに苦労です。お互いが真実の愛と云うものを以てすれば戦争など起るものではありませぬ。如何に支那人でも好んで戦争をする様なことはないでしょう。クリスチャンは毎日早く平和の訪れる様祈って居ります。
これらは小さな過去からの光であるが、同時に、それは「イエスは主なり」という信仰の反射光でもある。そして、このような小さな反射光を、現場の生活を通して輝かすことが、信仰の実質的挫折と戦うことである。その戦いを、絶えず政治的・社会的決断を通して深めてゆくことが戦争責任を負うことになるのである。現在日本の国家はベトナム戦争にぬきさしならない協力をしているし、すでに恵庭(えにわ)事件公判の過程で明らかになったように、自衛隊はアジアの特定の国々への派兵を想定して作戦演習を行なっている。戦後21年の間に、かなりなし崩しにされたとは言え、戦争を否定し、平和主義を貫いている憲法は、活きている。しかし、国家権力の手で、私たちの信仰の外堀が徐々に埋めかけられているのが、現実である。この現実は、実際には教会が気がついているよりも進行しているかも知れない。―ちょうどそんな時期に、教団の戦争責任の告白は公表されたのである。この告白が出されるまでに、戦後21年を要したことは、否定的に考えれば教会の弱さを示すものであるが、肯定的に考えれば、これを機会にみんなが論議して、過去の過ちを実践的に償ってゆくためによき課題を与えられたとも言えないだろうか。
(岩国教会牧師 岩井健作)






