イエスの父《ルカ 23:44-49》(1995 週報・震災から半年)

1995.7.30、神戸教会週報、聖霊降臨節第9主日

(神戸教会牧師18年目、牧会37年、健作さん61歳)

ルカによる福音書 23:44-49、説教「イエスの父」

”既に昼の12時ごろであった。全地は暗くなり、それが3時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。”(ルカ 23:44-49、新共同訳)



 地震で散乱してしまった本を、手伝いにきて下さったボランティアの方々と一緒にとりあえず紐で縛ったり、段ボール箱に入れたりして、置けるところに積み上げたが、その後全く整理などできないまま半年経ってしまった。

 壊れなかった本棚には、一時的にごちゃごちゃの本をそのまま入れたので呉越同舟で本が並んでいる。

 どういう訳か、ギリシア語の辞書の隣に、山田風太郎著『人間臨終図鑑』上下(徳間書房 1986)があった。15歳から121歳で死んだ人々934人の臨終が身近な人々の文献の引用を交えて記されている。

「32歳で死んだ人々」の項には、キリスト(イエス)、坂本龍馬、ジプシーローズ、若松善紀が取り上げられている。

「キリスト」の項を著者はこう記している。

 イエスの降誕の年を西暦元年としたということになっているのだが、実際にキリストが生まれたのは紀元4年という。死んだ年も西暦30年という説もある。……とにかくエルサレムでファリサイ党や祭司階級の宗教を批判し、ユダに密告されて捕らえられ、4月7日昼過ぎ、ゴルゴタの丘の上で十字架にかけられ、午後3時ごろ死んだ。「昼の12時より地の上あまねく暗くなって3時に及ぶ。3時ごろイエス大声にて叫びて、”エリ、エリ、レマ、サバクタニ”と言い給えり。わが神、わが神、なんぞ我を見捨て給いし、との意(こころ)なり……イエス再び大声に呼ばわりて息絶え給う」(マタイ伝)。この人物の”臨終”については、”異教徒”にとってはまことに書くことが難しい。(山田風太郎著『人間臨終図鑑』、徳間書房 1986)


 イエスの最後の言葉を「わが神、わが神……」という詩編22編の言葉とするところから始まって、その死の神学的意義を考察する論考は多い。


”昼の12時になると、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。3時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。”(マルコ 15:33-34、新共同訳)


”わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず 呻きも言葉も聞いてくださらないのか。”(詩編 22:1-2、新共同訳)


 しかし、最近、台湾出身の神学者 C.S.ソン(宗泉盛 1927-)氏は、その著『イエス ー 十字架につけられた民衆』の中で、少し別の考察をしている。

 それによれば、イエスは福音書では、どんな箇所においても「神」を呼ばわるのに「アッバ(幼児が父親を指して言う言葉)」を用いている(ルカ 11:2-4、ルカ 22:42等)。


”そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』”(ルカ 11:2-4、新共同訳)


”「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」”(ルカ 22:42、新共同訳)


 そして、十字架という人間の暴虐に、ただ沈黙する神を見る。

「エリ、エリ、……」はイエスの最後から2番目の叫びであり、「父よ(アッバ)わたしの霊を御手にゆだねます」を最後の叫びとし、「子と親は再び慈悲の中に抱かれている……彼の復活は十字架上ですでに始まっていた」と結んでいる。

 慰め深い指摘である。

(1995年7月30日 神戸教会週報 岩井健作)


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