教会の風景(10)

新島襄の教会(安中教会)

 鎌倉から群馬の新生会に移った事情を思い出して顧みておきたい。

 妻溢子の姉祐子の連れ合いは、住谷磬(けい)で、同志社大学教授だった。

 住谷家のことを少し記せば、磬の父は住谷悦治で同志社の総長を務めた人である。

 僕が同志社に入学した時は経済学部長であった。

 磬は悦治の次男であり、長男は住谷一彦で、立教大学の教授であった。住谷家は群馬県の出で悦治の叔父に当たる住谷天来はその昔、甘楽(かんら)教会の牧師であった。

 磬・祐子の夫妻に誘われて群馬への旅行をしたことがあった。

 住谷夫妻と我々とで温泉旅行をしようという話がどこから出たか覚えていないが、四万(しま)温泉(群馬県吾妻郡)にいった事がある。

 同志社の社会福祉出身の原慶子が群馬ですごい社会福祉施設をやっているので一度訪ねてみたいということで、僕らも着いて行った。そこが新生会であった。

 今考えれば、それが新生会に入居するきっかけであった。

 見学をした後なんとなく「僕らもこんなところに入りたいなあ」とつぶやいたところが、「此所は希望者が多く早く申し込んでおかないと入れないよ」と、理事長・原慶子の話であった。

 それがきっかけで申し込んでいたところ、意外と早く順番が回ってきた。

 この機会を逃すとなかなか次が廻ってこない、とのことだったが、予期しない早い時期に空き室が出たとのこと。それが2015年の初夏であった。

 少し早いとは思ったが、それぞれ人生には時があると言うことで、ここ新生会マリヤ1号館5階D室に引っ越すことにした。かなりの家財道具、特に本などはそのままにして、本当に必要なものと思われるものを荷作りした。

 それでも現在考えると余分な本など沢山持ってきたと思う。元気だとはいえ二人共に八十路を越えている。本棚などは引っ越しを頼んだ会社に全部設置してもらった。何と言っても溢子の采配と精力的働きで引っ越しが出来たと言えるだろう。

 新生会マリヤ館には台所がついていて食事は自分で作ってもよい。軽費老人ホームのバルナバ館は3食付きで入居する事になっている。マリヤ館は少々家賃は高いが我々の年金と退職金の持ち出しとで、何とか、生涯の見通しは立つようだ。このあたりは溢子にお任せということである。

 さて、マリア館に入居して、まもなく溢子の甥小林望がすでにかなり前からマリア館に入居している父小林正樹を訪ねてきた。

 我が家に来たとき、かつて戸塚で行った「小磯良平の聖書挿絵と聖書」のプリントを見せたところ、これを読み物として文章に書き直せば、出版も可能だと言って、出版を勧めてくれた。

 彼は今、キリスト教出版界の大手、新教出版社の社長である。

 原稿を書き始めた頃、たまたま来訪中であった義弟・石井一成が文書に手を入れてくれたことがきっかけになり、以来原稿の校正を彼がしてくれた。

 名古屋と離れているが、そこはインターネットの力である。何ヶ月かかかって原稿を書き上げた。それこそ共著としてもよいくらいの溢子の手が入った。

 出来た原稿は新教出版社に送った。小磯については、もし本が出たとして、一番の難関は小磯研究の第一人者、小磯記念美術館の館長ら美術館関係者から批判やクレームがついたら困ることだったので、出版前に出版社の小林望と小磯記念美術館館長との間で事前に校訂をしてもらい出版原稿が出来た。

 後は版権の交渉であるが、小磯の版権所有者とは新教から交渉してもらい、出版にこぎつけた。

 小林望への感謝は「あとがき」に記した如くである。

 2018年6月9日、神戸教会牧師・菅根信彦の企画で出版記念会が神戸教会で行われ、溢子と参加した。盛況であった。神戸キリスト教書店は300冊を目標に仕入れをしたと聞いた。多くの旧知の人たちと旧交を温めた。小林社長のわざわざの参加は心強かった。

 新生会でも買い求めてくれる人はかなりあり、新生会バルナバ館集会室で読書会を行った。(21名参加 2018年6月21日)。

 当地へ来て依頼された講演を二つおこなった。

 一つは「非戦の願いをつなぐ安中松井田の会」(2017年9月23日 安中公民館)。「米軍基地のある国は本当に独立国か」と題して話した。

 もう一つは「日本キリスト教婦人矯風会関東部会」(2018年5月15日 安中教会)「柏木義円を辺野古から読む」。後者の講演要録は矯風会の機関誌「k-peace」No.9, 2018年8月号に掲載されている。

 共に50名以上の参加者があった。

 安中教会の素描については、かつてなにかの折りにスケッチをした(安中教会便りVol.117表紙)。

 この紙面には「私の信仰の歩み(転会にあたって)」を転会の記録として記してある。

 この号には溢子の信仰者の経緯も「わたしの杯は溢れます」という題で記されている。

 安中教会について、多少の思いを記すならば、母方の曾祖父・松井十蔵が海老名弾正より1883(明治16)年に受洗したのが、私のキリスト教のルーツと言うことが出来る。

 十蔵の娘きなが新藤に嫁ぎその子が英松、その娘が牧江、そして牧江が私の母である。

 私は四代目のキリスト者である。


「安中教会」という言葉で、私の心にまず浮かぶのは「第5代牧師の柏木義円(1860-1938)」である。

 安中教会牧師在職38年間。『上毛教会月報』(全459号)を通じ、日露戦争開戦に「非戦」を掲げ、軍国日本の時代に「思想、良心の自由及び言論の自由」を唱えた。

 彼は非戦を教会の風景とした。

 痛烈なのは、組合教会は当時神戸教会牧師・渡瀬常吉を中心に朝鮮伝道に取り組み、当時の国策に協力していた。

 それに対して柏木は「渡瀬常吉君に問う」を書いて批判している。

 現在この安中教会に籍をおき、礼拝に出席しているが、昔の面影はない。

 会堂内に掲額されている湯淺一郎画伯による新島襄、湯淺治郎、柏木義円、海老名弾正などの像が往年の歴史を伝えている。日本の教会の風景である。

 私も85歳、残る生涯は限られている。

 日一日を主に導かれて生活したいと思っている。

 拙著『聖書の風景』を締めくくる聖書の言葉は「32. サウロの回心」のところで引用したコリント人への第二の手紙12章9節の言葉であった。

 それをもって自分史の締めくくりとしたい。



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