教会の風景(7)

米軍基地の街、そして城下町の教会(岩国教会)

 僕は呉を辞して岩国に移った。

 笠そよが涙して呉を辞することを惜しんで下さった。

 自分の最後を預けるつもりでいたのにとまで言われた。

 葬儀といえば此所で、柳沼歌子の葬儀をしたことが葬儀の一番初めであった。

 配慮して笠そよがモーニングを貸してくれた。


 岩国教会では、岩国東教会牧師・杉原助と一緒に「キリスト者平和の会」を場に反戦平和運動を行った。

 その後、岩国で特筆すべきは1970年代のベトナム戦争最中、米軍兵士がベトナム戦争を忌避して、基地脱走を企てたことであった。

 そして、基地内で反戦行動に出たことであった。

 その年の夏の夜、突然米兵の一人が教会を訪ねてきた。

 朝一番の列車で東京に行くので、一晩泊めて欲しいという。

 とにかく家に入れた。

 基地を脱走して来たという。

 翌朝早く岩国の駅は目立つと思い山陽線玖珂駅まで車に乗せて一番早い上り列車に乗せた。

 岩国での米兵反戦運動は、哲学者の鶴見俊輔や京都で「ベ平連」運動を始めた京都大学教授の農学者・飯沼二郎が応援していた。

 鶴見、飯沼、岩井のたった3人で駅から岩国米軍基地周辺をデモしたことがあった。

 岩国教会には基地に働く魚谷徳男が会員だった。

 基地の警備員の務めをしているときもあり、牧師は外でデモ、役員は基地内で警備という関係であったが、大目にみてくれて、特に苦情は言われなかった。

 このあたりの活動は岩井健作著『兵士である前に人間であれ ―反基地・戦争責任・教会―』(岩井健作、ラキネット出版 2014)に纏められている。

 実際の編集、及び解説は牧師大倉一郎である。彼は聖公会の司祭から、教団に移り、フェリス女学院大学の教授を経て、現在は北海道在住である。論文の中に『岩井健作の宣教思想と霊性 ―教会と平和運動の形成』(明治学院大学キリスト教研究所紀要 48号 2016)がある。

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