教会の風景(2)

東京・借家の二階座敷の教会(日本組合渋谷教会)

 父は日本組合教会の資金で開拓伝道を「日本組合渋谷教会」として、東京市渋谷区八幡通1丁目21の二階屋の借家で始めた。

 閑静な住宅地であった。

 門があって、通りには「日本組合教会 渋谷基督教会」という中々しゃれた大きな看板が通りからよく見えるようにかかっていた。

 小さな庭付きの二階屋の上の二室で日曜日の集会が行われた。

 階下は牧師住居になっていた。

 近所の子たちと路地でよく遊んだ。

 僕が小学校に上がる前であった。

 そこから常磐松(ときわまつ)尋常小学校に入学した。

 入学式の日、僕だけに母が付き添ってくれた。

 今までに経験のない出来事だった。

 弟・勇児は体が弱くて(4歳の時には赤十字病院に入院、肺炎で死にそうになったと聞かされていた)僕ひとりが母と一緒という経験は初めてで、驚くべき経験であったのを覚えている。

 借家の二階は、八畳と六畳二部屋であった。

 そこは父が書斎として使っていたが、机などを日曜日には片付けて、折りたたみ椅子を並べて礼拝場所になった。

 日曜学校には近所の子供が大勢来た。

 オルガニストは水谷のりだった。

 この人には僕は6歳の頃からオルガンを習った。楽譜をゲゲエツエとドイツ語で読ませた。

 当時はみな「ドレミ」だった。

 教師は教会に来ていた青年たち明治大学の学生の石上(後長田)、松山(後朴)たちであった。

 父は昭和14、5年頃、招集礼状が来て、高崎歩兵連隊に入隊した。

 教会には渡瀬常吉牧師や野口末彦牧師が応援にきた。

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