転会にあたって(2016 五世代目の安中教会信徒)

2016.5.29 「安中教会便り」所収

(健作さん82歳。組合教会・会衆派の伝統で、健作さんは教師籍・信徒籍を併せ持つ)

 私の信仰生活は、父・牧師・故岩井文男(元新島学園中・高校長)から岐阜の坂祝(現中濃)教会で13歳の時、洗礼をうけて70年になります。牧会生活は同志社神学部を出て58年です。その間、広島流川(2)、呉山手(5)、岩国(13)、神戸(24)、川和(2)、明治学院(10)の各教会で牧会の務めを果たしました(隠退後2年)。

育った農村教会で養われた信仰は、家族の一員として生活の糧のために農作業をした「薩摩芋」と「麦」に象徴されます。

 前者は、社会の構造的矛盾をいやというほどに知らせてくれました。以後宣教を社会的視野で思考し、教団では「社会派」と呼ばれ、差別撤廃、教会の体質改善、原水爆禁止運動、護憲、戦争責任告白の発議、米軍基地撤去・反戦米兵支援、沖縄(著書『兵士であるより人間であれ』にまとめる)、阪神大震災救援活動(著書『地の基震い動く時』にまとめる)、脱原発、震災銭湯を作る運動に取り組んできました。

 後者「麦」は信仰的実存の象徴的表象として大事にしています。その信仰の方向性を教団・教区(西中国・兵庫・神奈川)の宣教活動にも反映させてきました。その間各教会幼稚園を通じ、「幼な子」からの視点を大切にしつつ、キリスト教幼児教育の課題に取り組みました。同時にキリスト教主義大学では「キリスト教概論」などの講義をさせて戴きました。

 宣教と教会形成を共に担った連れ合い溢子には言葉にならない感謝の思いを抱いています。今、信仰のルーツ、母・牧江(旧姓、新藤)の祖父・松井十蔵(私からは曽祖父、相野田)が海老名弾正から受洗した安中教会に籍を置くことになり、四代目(サイト記:実際は五代目になります)のキリスト者として感無量の思いがします。現在、入所している社会福祉法人新生会の施設には、原慶子理事長が溢子の義兄・住谷馨(同志社大学教授・老人社会福祉)の許で学ばれたということが契機となり、導きで入居することになりました。出席教会に縁の深い安中教会を与えられたことは、深い神の導きであると思っています。

 父・子二代共に同志社神学部ですから、信仰と学びのルーツは「新島襄」です。しかし、私が同志社を卒業して「奉仕」した教会は、メソジスト派、長老派、両者の合同教会の伝統の教会です。日本基督教団は1941年宗教団体法の許、国家の要請を契機に30余派の福音主義教会が合同した合同教会です。「神戸」は会衆派でしたが、アメリカンボード派遣の宣教師D.C.グリーンの設立です。アメリカから会衆派教会の信仰を携えてきた新島襄とは別ルートです。教団の中でもいろいろな教派の伝統の教会に接することが出来たことは、信仰の多様さに触れる恵みでした。先般(1月新島襄没後126年記念日)に講壇(「なお壮図を抱いて − 新島襄没後126周年を覚えて」)に立たせて戴き、改めて新島襄を学び直したことを感謝しています。