なお壮図を抱いて − 新島襄没後126周年を覚えて

阪神・淡路大震災から21年目の日
礼拝説教 於 安中教会

わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信を持って、大胆に神に近づくことができます。

エフェソの信徒への手紙  3章12節

わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が代々限りなくありますように、アーメン。

エフェソの信徒への手紙 3章20-21節

1.このあいだ「テレビ朝日」の報道ステ-ションを見ていましたら、ニュ-スキャスタ-の古館伊知郎さんが「何しろ金まみれの日本ですからねー」という表現である出来事を表現していました。日本の近代史・現代史を顧みると、戦前は「富国強兵」、戦後 は「高度経済成長」など、「お金」が第一、お金を守るための軍事力が必要だ、という価値観が声高に叫ばれて来ました。そうして現在は「アベノミックス」、「集団的自衛権行使容認」、「安保法案」の可決というところまで来ています。「武器や原発」を輸出しても経済を盛んにしようというのが政府の政策です。

2.現に政府は金の力で政治をやっています。沖縄の名護市市長選で辺野古基地建設反対の稲嶺候補に対して、基地賛成の候補を現内閣の一人の石破茂さんが応援した時、この人が当選すれば政府は500億円を名護市に交付すると街頭で言っていたそうです。 しかし、名護市民は「お金」より「命」が大事だ、といって稲嶺さんを当選させまし た。

3.今日は1月17日、阪神淡路大震災から21年目の日でもあります。私は神戸でこの大地震をまともに体験しました。行政の復興は経済第一をベースにした復興でした。 コミュニティ-、人々の助け合い、つながり、つまり「命の回復」が被災した人達にとっては第一に必要だったのですが、それは顧みられませんでした。西宮で被災し、今は亡き作家の小田実さんは『これが人間の住む国か』という本を書き、行政の経済第一の復興の進め方を強く批判し、自ら「災害被災者支援法」制定に努力し、被災者が生きる基本はお金ではなく、助け合い分かち合ってゆく「いのち」だと主張しました。日本基督教団兵庫教区も、「地域の再生無くして教会の復興はなし」という標語を掲げて、教会堂復興は後にして、本気で被災者と共に生きてゆく「命」の救援活動を行いました。私は救援活動の責任者でした。このお話はまた機会があればしたいと思 います。

4.さて、「お金か」「命か」この二つの価値観の流れは、日本の近代史・現代史では、激しく攻めぎ合って来ました。聖書の価値観は、もちろん「命の」流れです。 旧約の「出エジプト記」には、イスラエル民族が荒れ野を導かれて、助け合って、自立してゆく「いのち」の旅は厳しいものでした。人々はたとえ奴隷であっても「エジ プトの肉鍋の傍らが恋しい」とつぶやき、指導者モ-セを困らせました。イスラエルの民はモーセが不在の間に「金の子牛」をつくって拝みました。預言者エリヤは「お金」の神である「バアル」に対して激しい戦いをしました。新約では、イエスは「人の命は財産によってどうすることもできない」(ルカ 12:15)、また「神と富とに仕えることは出来ない」(マタイ 6:24)、また「富める青年」の話でも「お金」よりも「いのち」が大切なことを諭しています。

5.「お金」と「命」の二つの流れのなかで、新島襄は「命の流れ」を日本の近代に作り出した人です。しかし、初めからそうだとは思っていませんでした。彼も初めは、日本を軍事力で強い国にしなければと思っていました。新島のことは、私などより詳しくご存じの方が多いと存じます。私自身の確認のためにも、その生涯をちょっと急ぎ足で素描しておきます。間違っていることがあれば教えて下さい。 彼は1843年2 月12日、江戸の神田で、安中藩板倉公の邸内の新島家で生まれました。 七五三太(しめた)という名前でした。中流の藩士の家で、漢学、蘭学を学び、航海術、兵法、英語、などを学びました。10歳の時、江戸湾でアメリアカのペリー提督の率いる米国艦隊いわゆる黒船や、ロシアのピチャ-チン提督の率いる艦隊に出会います。そしていたく衝撃を受けます。それが学問に一層励む動機となったと言います。 既に和訳や漢訳の『ロビンソン漂流記』『アメリカ合衆国歴史地理』などを友人から借りて読んでいました。やがてそれは国外に脱出してアメリカで学ぼうという思いになってゆきます。幕府や小さな藩を超え、日本という国が外国にたいして強くならなければならない。それにはまず軍事力が大事だと、考える様になりました。

6.安中藩は徳川家普代の大名でした。しかし、新島襄はむしろ明治の新政府をつくろうとしていた勤王の志士たちの気持ちに近い気持ちを持っていました。かつて勉学中に乗ったことのある松山藩の快風丸が函館まで行くことを知り、藩主には函館で勉強する許可を得て、この舟で函館に行きます。英国ポ-タ-商会の福士宇之吉に志を分ってもらい、停泊中のベルリン号の船長セイヴォリ-に紹介してもらい、その好意でその船に乗せて貰うことが出来て、国外脱出の第一歩を踏み出したのです。

7.さて船上での出来事です。船長の雑役をしていた新島に、船客の一人が英語の出来ない新島に英語を教えてくれました。単語の発音を何回も繰り替えさせ、口に手を掛け DO,DOといわせようと試みた時など酷く屈辱を感じたといいます。彼が新島に用事を言いつけたが、新島は分らなかったので殴り付けられました。新島は「武士たるものに何たる無礼」と激怒して、自分の部屋に帰り、日本刀をにぎりました。しかし、 この時、なぜか心のうちにその行動に待ったがかかりました。ここで一人を斬った所 で、大きな志をつぶすことになる。ここが彼の大きな転機です。 私は、神がここで新島に働きかけたのだと思います。こういう解釈は誰もしていませ ん。私の思いつきです(新製品だったら特許ものです)。

8.このことをきっかけとして、武士である身分が崩れてゆきます。それ以来彼は、凄い孤独を感じました。彼は、かつて読んだことの或る『漂流記』を思い出します。絶海の孤島で、たった独りで「天父」(天の父)と祈るロビンソンクル-ソ-のことです。 そうしてやがて自分も「天父」と言って祈ってみます。その後、ちょんまげを少しずつ切って海に流しました。身分も何もない一人の唯の人間になってゆきます。 船が上海に着き、セ-ボリ-は彼をアメリカに行くワイルド・ロ-バー号の船長のテーラーに依頼します。新島襄は大刀を船長に乗船のお礼に差し出し、船が香港についた時、 小刀を8ドルで買って貰い、上陸してそれで漢訳の聖書を買います。武士の身分を完全に離れます。「神はじめに天地を創り給えり」、また「神はその独り子を給うほどに 世を愛し給えり」という言葉に出会います。そして、「命」の価値観を身に付けて行きます。 海外脱出の動機が変ってゆくのです。鶴見俊輔さんは「陸の思想」から「洋上の思想」 への転生だと言っています。ボストンに着き、テーラーからハーディー夫妻を紹介され、夫妻の庇護の下、米国で10年間を学び、高校、大学、神学校を卒業します。洗礼も受け、牧師の資格も得ます。会衆派教会総会で日本にキリスト教主議大学を建てる志を訴えて、5千ドルの献金を与えられ帰国します。1874年(明治7年11 月26日)です。

9.その足で上州安中の両親を訪れ、3週間安中伝道を行い、湯浅治郎夫妻他多くの者が求道し、それが後に海老名弾正を仮牧師とする安中教会設立に至ります。1878年(明治11年)3月30日です。新島襄は、京都で山本覚馬を同志として、同志社英学校を興します。時の政府の田中不二麿から政府に入って仕事をするように強く懇請されますが、固く断り、あくまでも在野の立場で、私学を設立する道を進みます。しかし同志社大学設立の志半ばにして、病に倒れ、天に召されます。1890年(明治23年)1月23 日、47歳でした。

10. 新島襄は死の前年12月も末、前橋で大学設立の募金演説中、胃腸の痛みを覚え大磯・百足屋旅館の離れに移りますが、新年を迎え、元旦に詩を詠みます。

歳を送りて悲しむを休めよ病羸(ルイ)の身、鶏鳴早く巳に佳辰を報ず、 劣才たとい済民の策に乏しくとも、尚お壮図を抱いて此の春を迎う。

古い歳が過ぎて、病気であってもそれを悲しむのはやめよう。鶏はすばらしい時を告げているではないか。自分は才能にも乏しいが、なお大きな望みを持って此の春を迎えている。という壮大な七言絶句です。

11. いよいよ臨終の間近に「小崎くん聖書を読んでください」と言い、小崎弘道は新島の望む、エフェソ書第3章を読みます。伝記によってまちまちなのですが、12節と20節をもう一度読んでください、という伝記もありますし、最も感深く耳を傾けた箇所とあるものもあります。そこが、今日聖書朗読で読んだ箇所です。 20節に至ると、襄は「この力ある神によりて御業をなせ」(森本 p.437)と病床を囲む者達を励ました、とあります。 20節には「わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えて、かなえることのおできになる方・・・」という言葉があります。神はわたしたちの思いを超えて業をなし給うということです。今か ら 126年前のことです。「お金の価値観」から「命の価値観」への転換は、人間の努力で出来るものではなく、その転換自体が神の業です。

12. 死後、新島襄の直弟子の海老名弾正、小崎弘道、徳富猪一郎からさらに、後継者が現れ、近代日本の「お金の価値観」に対抗して「命の価値観」を闘い取ってゆく「神 の僕」となる人物が次々と現れます。その名を挙げれば枚挙にいとまがないでしょう。 『同志社山脈』(同編集委員会 2003 晃洋書房)には113 人が挙げられています。 ごく初期の人から3人をあげれば、私は柏木義円、留岡幸助、山室軍平をあげます。 実は、私も新島の系譜で信仰を与えられました。母方の曾祖父は安中で海老名から洗礼を受けた小野村の農民です。父方の祖父は甘楽教会で導かれた高瀬村の農民です。 甘楽は安中の流れの教会です。そうして親子二代にわたって、同志社で学びました。 自分では50年余りの牧会を終え今は隠退の身ですが、自分の牧会・宣教は「お金の 価値観」に対する「命の価値観」の闘いとして意識してきました。教会を中心に、いろいろな運動もしてきました。

13. 新島襄を通しての神の働きは、わたしたちの思いを遥かに超えて、日本の近代の歴史に於ける大きな出来事です。わたしたちはその流れの中で「お金」や「軍事力」 ではない「いのちの業」に生きるように招かれています。現代の「金と軍事力で、日本の国を覆い尽くそう」という力、いわゆる「アベの力」はなかなか手ごわいもので す。どうしてこんな人を支持する人が日本には多いのかと思うと情けなくなります。 今年の夏には参議院の選挙で3分の2を取り、平和・人権・民主主義の憲法を改正すると豪語しています。私たちは、神の給わる「命の力」をもって真っ向から闘ってゆくように、私たちは召されていることを信じるものです。一人一人は弱くとも、新島襄を此の国に興し給うた神は、われわれ一人一人に力を与え、各々の持ち場での闘いを祝福して下さる事を信じます。

 お祈りを捧げます。

 天の父なる神よ。新島襄を覚えての礼拝を感謝いたします。 此のことは安中教会の恵みです。今、日本の進むべき道は、お金と軍事力に頼る道ではありません。どうか主イエスが示されたように、それぞれの役割を通して、神と人に仕える「命の道」を歩ませてください。今日礼拝に招かれているものすべてに上よりの力をお与えください。主イエスの御名によって祈ります。ア-メン。