2016.7.7 執筆、ご兄弟宛、高崎「新生会」からの第一報
(サイト記:一部表記を○で伏せています)
(日本基督教団教師、安中教会員、健作さん82歳)
私どもは昨年(2015年)7月7日(火)に住み慣れた鎌倉の地を離れ、ここ群馬県の高崎市、榛名山の中腹、山の緑濃き閑静な場所にある社会福祉法人「新生会」の健康型有料老人施設「マリヤ館○号館○階」に転居して参りました。
この施設と出会ったのは10年ほど前です。溢子の姉・Yさんの今は亡き夫・住谷磬(けい)さん(同志社大学教授、老人社会福祉専門)が、同志社の教え子で群馬で老人福祉施設を展開していた原慶子さんを一度訪ねようかということで、住谷夫妻と我々でお訪ねしたのが10年前でした。
新生会は聖公会系の人々によって設立された施設です。隣接して聖公会の「教会」もあります。その後、原慶子さんから施設の「教養講座(小磯良平と聖書)」の講師や、脱原発のシンポジウムのパネラーとして健作がお招きを受けました。
その折「僕らの年金でも入れる“健康型ホーム”施設もあるとの事、今希望者が多く、数年かかるとのことで、“早く申し込んでおきなさいよ”」とのお勧めでした。
そこで申し込んでおいたら3年目に突然空きが出来たのです。順番がきたので、この機会を逃すとまた数年はかかるとの事。
そこで少し早いとは思ったものの、思い切って「鎌倉」を引き払い当所に引っ越しました(入居金も神戸教会の退職金で賄えました)。
夫婦とも80を越えてからの引っ越しはさすがに大変でしたが、体力も限度でした。
入居した「マリヤ○号館」は23室31名(男11・女20)、同じ規模の○号・○号館が隣接しています。全部で73名(2016/4/1現在)が一緒の食堂です。
聖公会信徒をはじめとするキリスト者が多いです。ここには7年前から溢子の兄・小林正樹さんがおられますので、日々交流があります。新生会には診療所を含めて12施設(介護付き・特養・軽費など)があります。全体で利用者約600名、職員約300名と聞いています。
さて、入所して1年になりますが、今年の3月までは、鎌倉に月1回、帰って(出かけて)いました。
引っ越しのあとの整理も少しづつしましたし、明治学院教会でも月1回説教(信徒講壇)をしました。その後、清掃業者に家の後片付けを頼み、家(溢子名義)の取り壊しを含めて土地(溢子の兄のMさんの所有)を業者に任せたので(まだ売れていませんが)完全に群馬の人になりました。
教会は安中教会に転会しました。ここが「人生の終わりの場」になります。
もっとも、最後の「遺骨」は神戸教会の納骨堂に納める契約(永代納骨料契約)をしておりますので、「第12代牧師」として納めて貰う予定です。
ついでの話しですが、僕はここで人生を終わると思いますが、最後はここで家族だけで、臨終・納棺・火葬・遺骨にして、神戸教会の納骨堂に納める時、「記念礼拝」(公開)をして貰うように家族には頼んでいます。神戸教会の菅根牧師には話してあります。
安中教会納骨堂には両親「岩井文男・牧江」の遺骨が納めてあります。こちらは毎年○○の納骨料を納めねばなりません。勇ちゃんと善ちゃんに○○今年だして貰ったので、僕の○○を加えて○○になりますので、向こう20年分ぐらいは納めておきますが、その後についは長男・要(長男が安中では「喪主」になっていたので)の長女Mさんと相談はしておきます(安中教会の担当者には永代の場合どうするのか聞いてみます)。
さて、私たち兄弟姉妹も高齢になってきてしまい、一堂に会する機会を持つ事は難しくなったような気がします(溢子の兄弟、小林家は皆元気で、この6月、ここ榛名の新生会に7人集合して、妙義温泉で一泊の兄弟姉妹会をしました。連れ合いは僕だけでした)。
せめて、メールで近況など伝え合って励まし、祈りの契機にするぐらいの交わりは出来ると思ってこれを書いています。
善ちゃんはこの3月、安中教会に出たあと榛名を訪ね、一泊してくれてありがとう。さすがまだ若いですね。
溢子は至極元気です。今日、同じこのマリヤ館に入居(7年目)している兄の正樹さんと高崎まで出ました。車で40分ぐらいでしょうか。
ここまで書いて一応第1報とします。
2016年7月7日 健作
2020年1月25日、ひ孫くんが「新生会」訪問。
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