2004.2.22、 川和教会週報
(川和教会代務者、健作さん70歳)
2月14日(土)は岐阜県の中濃教会の伝道集会。
教会が地域の若いお母さんなどへの「教育」を視野においた集会を持ちたいという。幼稚園のお母さんへの話を念頭において準備をした。
集会が始まり集まった人の顔触れは多くが6、70代の、顔なじみ男性。というのはわたしがこの教会で中・高生時代を過ごした母教会。
急遽準備した原稿は断念した。この地の開拓伝道の牧師家族の一員として戦後経験した、サツマ芋作り、麦作、養蜂など自然から学んだことがその後、聖書の価値観と相俟ってどのように自分の人生を形成したか、今それがグローバリゼーションと言われて世界を席巻している金融資本や軍事支配の非人間的力とどう向き合って生きる力になっているか、というような話になってしまった。
夫婦単位の教会員の奉仕体制に心強さを覚えた。創立58年だが、信仰二代目までが確実なのに対して、その後が続いていないのが泣き所。
小さな農村の教会ながら若い牧師家族がアルバイトを含め生活の拠点をそこに持ちつつ宣教活動に励んでいることは大きな希望である。夜は酪農家の好意で地鳥の焼き鳥の会食。
この日の朝、川和教会からは、N・T姉のお連れあいT氏の訃報がU役員から入る。葬儀社の手配、納棺の司りの依頼、17日の葬儀の日程、ご遺族との会話など、電話、メールで相談しながら15日の礼拝、16日夜の神戸「学校法人頌栄保育学院」の会議の役目までは果たさせて戴いて帰ることとする。
今回は途中幾つかの所用を兼ね車で旅をしたので、結果16日夜半から17日未明にかけ、名神・東名高速を潮のような物流大型トラックに混じって、連れ合いと交替で7時間半の運転で鎌倉に戻った。
(サイト記)川和教会員のお名前はイニシャルのみとしました。最初の写真は現在の中濃教会、下は坂祝教会会堂、兼牧師館。