2004.2.28
川和教会 代務者 牧師 岩井健作
約2年弱、この教会で、代務者の「牧師」という役目を果たさせて戴いて、本当に感謝をしています。牧師が一つの教会で牧会を司る場合、牧師館に居住していることが基本条件となります。信徒は牧師館を尋ねていろいろ聞いてもらう、相談をする、交わりを持つ、また牧師はそこを拠点に訪問をしたり、地域社会の働きや運動などに参加をする、日常的教会堂の管理や事務運営をする等々などは、基本的なことですし、そこに居なければできないことです。
私の場合の代務者はまさに次の主任担任教師(牧師)が与えられるまでの、最低限の「保安要員」でした。神戸から鎌倉に居住して、礼拝の説教だけは担当をするという、しかも、月1回は他教会の伝道応援にも出かける、という条件で「代務者」を受け入れてくださったことは、私としては、神奈川に移って、自分の都合を携えながら「牧師の居場所」を与えられたことでした。
牧会は説教で語られたこと(「神の言葉」と締めくくる事ができるならそれ)が、どのように受け取られ、各人の生活に肉となり力となり、慰めとなっていくのか、またならなかったのか、それを辿り尋ね、祈りをもって支える働きです。
生活はどの人もみんな重いのですからその軋みに、静かに、耳を傾けて聞くのが牧会(「魂への配慮」と言われています)です。そのような営みを多少は気に掛けましたが、ほとんど未完で過ごしてしまいました。
もちろん教会の働きのうち最低の守りだけは、と励んだつもりではいます。礼拝から遠ざかっておられる方を尋ねて、心の悩みを聞くなどのことは到底できませんでした。また、道を求める方に、積極的に働きかけることもままなりませんでした。まして、この地域の教会の責任としての社会的関わり(特に保育園の働きを通しての子供たちへの関わり)、伝道の企画なども「牧師」の側からの提案には手が及びませんでした。
しかし、そこが逆説的に恵みの働く場になった事だけは自負しています。日本の教会は、どこでも余りにも牧師中心の歴史を歩んでいます。しかし、この度はよい意味で、専門職の牧師のリーダーシップではなく、それが充分ではなかった期間に、役員を中心に、信徒の奉仕が導き出されたと思っています。この事は、教会にとって大切な遺産です。
私のこの教会での大きな役割は、ふさわしい主任担任教師を紹介する事でした。祈りが聞き届けられて、不思議な導きで「教師」が与えられました。教会はその教師兼清啓司牧師を招く決断をしました。そして兼清啓司先生を、祈りをもってこの教会なりに精一杯の備えをして迎える事ができました。これを通して、私の役目がほぼ終える事ができたと思っています。これはひとえに神の導きと、皆様の祈りと支えによるものと感謝しています。役目としてのお交わりが終って、これからは1人の信仰者として、牧会の経験者として、いやそれにもまして同時代を生きる1人の人間としてのお交わりを作っていきたいと思っています。
信仰とは出会いです。神と人との出会い、また、それに基づく人と人との出会いです。川和教会で、たくさんの出会いを与えられました。それによって、私の信仰の豊かさを一層厚いものにされました。それはこれからも続いていくでしょう。その一つ一つを彩ってくださった事を本当に感謝しています。川和教会のこれからの歩みに神の祝福をお祈りいたします。