バベルの塔

「現代社会に生きる聖書の言葉」
湘南とつかYMCA ”やさしく学ぶ聖書の集い”

第3回「洋画家 小磯良平の聖書のさし絵から聖書を学ぶ」
創世記 11章1節-9節

彼らは「さあ天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。

創世記 11章4節

小磯さんは旧約聖書のさし絵を15葉描いています。そのう5葉が創世記からです。創世記は旧新約聖書66巻の最初を飾る50章にわたる重厚な書物です。前編、後編の二部で構成されています。小磯さんの5葉のうち3葉は、前編の1章から11章までの「原初時代の歴史(物語) 」から選ばれています。「エデンの園」「ノアと洪水」「バベルの塔」の三場面です。後編の12章から50章は「族長時代の歴史(物語) 」で、ここには「アブラハム物語」「ヤコブ物語」「ヨセフ物語」と独立した物語が収録されています。さし絵はここから2葉、「アブラハム、イサクをささげる」「ヨセフの兄弟、ベニヤミンを連れて再びエジプトへ」が描かれています。原初時代(原初史)の3葉は、聖書のさし絵を描くにあたってどうしても外せない三場面であることは、恐らくだれが選んでも変わらないでしょう。小磯さんの選択もその大きなイメージをたどっています。

 さて、「バベルの塔」の物語は、原初史の文脈では「ノアからアブラハムまでの系図」
(9:18-11:32) の中間に入っています(J資料)。洪水の後、ノアの子孫たちが地上の諸民族として発展していきます。その子孫の系図が「信仰の父」といわれるアブラハムの物語につながって行くのですが、その中間に、人類の企図・人間の高慢(ヒュブリス) が神「ヤハウェ」に撃たれるというお話が「バベルの塔」のお話です。ここには3通りの起源説話(原図書) の要素があります。人類はどうして異なった言語を話すのか。人類が分散するようになった理由。バベル(バビ口ン)の名の由来。しかし、創世記の原初史ではその面は希薄になっていて、むしろ古代西アジアの中央集権的国家の営みに神にも比肩しようとする人間の高慢を見据えた物語であり、バビロニア帝国崩壊の歴史的状況が暗に重ねられていると言われています。

 少し、注解的なことに触れます。1節から4節は、人間の行為と言葉。「世界中は閉じ言葉を使って、同じように話していた」(1)は、交流と意志の疎通が豊かな秩序であることを示しています。これは現実というより終末の時に起こるべき諸国の民の希望を指示していると理解されます(ゼファニア書3:9)。ところが「東の方から移動してきた人々はシンアルの地に…住み着」きます。シンアルはメソポタミアのこと。「石としっくい」はイスラエルの建築材料ですが「れんがとアスファルト」はメソポタミアの特産で、新たな建築資材であり、技術の大発見でありました。この革新の話は質的に劣る建築文化への嘲りを含んでいました。「天まで届く塔」は、多層構造の神殿(聖所)の塔(ジグラトゥ)です。目的はニつ。
 「有名になること」はメソポタミアの王たちが業績を碑文に残したことに暗示されています。これは自分本位的・自己神格化の意図を示しています。
 「散らされることのないように」。仲間うちの安全を計ることを意味しています。権力の集中。バビロニア補囚期、ネブカドレツァル2世の時代、基壇が一辺約91メートルの正方形をなし、高さが90メートル余りあるジグラトゥがそそり立ち、あらゆる面で補囚の民を威圧して、被支酉己層と弱小民族に無力感を与えていました。古代イスラエルの民もこの権力に呑みこまれていました。

さて、5節から11節は、前半を逆転させる神ヤハウェの行動と言葉です。「主は降ってきて(ヤーラード)」(5,7) は上から下へと降りること。神ヤハウェの介入を意味します。神は虐げられた者たちの神なのです。神は人間の自己神格化に介入します。「若いときから心に悪を計る人間」(8:21)をもはや再び滅びに渡すのではなく、言葉(唇)を混乱(バベル)させ(これは、原語では煉瓦を作る、都市と塔を建てる、と語呂合わせになっている)、人々を拡散させることによって、権力による人間の構造化を撃ち砕くのが神ヤハウェです。
 「聞き分けられぬように」。ここの「聞き取る(シャーマー)」は異なる言語を理解することを意味します(月本)。混乱(バベル)と街の名バベルとは音韻上の類似はあっても、語源的つながりはありません。敢えてこれを結び付けるのはバベル(バビロニア帝国の首都バビロンのヘブライ語形)への痛烈な批判を込めたお話にするためであろうと思われます。創世記が編集された時代には、メソポタミアにはジグラトゥの廃嘘があったと言われています。

 さて、小磯さんの「バベルの塔」には下絵が2枚ありました。一枚は塔と人物を書き込んだ完成図に近い下絵、もう一枚はトレーシング・ペーパーの上部に、ロバを伴って人々を後方から描いた旅の列の図です。前者(展示ではab図)の人々の部分だけを後者(展示b図)に入れ替えて完成図を描いています。塔は小磯さん特有の繊細な線で大地に傾斜を伴って描かれ、人々の列が塔の神殿(聖所)へと巡礼に向うように、近くから遠くへと画面に奥行きを与えて描かれています。旅の列は遥か塔の階段から上へ上へと転々と続いています。画家が想像した場面はテキストの前半のようです。塔が権力の構図を象徴する図です。私は、民衆というものは、いつの時代にも権力の構造の中にあって風景になり得るものなのだと言うことをこの絵に感じました。小機さんが描いている人々、ろばの背中にのっている赤い着物の女性はもしかしたら子どもを抱いているような気もします。巨大な現代の「バベルの塔」のもとであえいでいる女性へと想像は広がります。
 では、その現代の『バベルの塔」とは何で、ありましようか。この物語を読む読者に投げられた問いです。


(サイト追記)小磯画伯の挿絵は本サイトに掲載できません。