イサクをささげることを命じられたアブラハム

「現代社会に生きる聖書の言葉」
湘南とつかYMCA ”やさしく学ぶ聖書の集い”

第4回「洋画家 小磯良平の聖書のさし絵から聖書を学ぶ」
創世記 22章1節-19節

そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。…「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」

創世記 22章11節-12節

小磯さんが描いたこの一枚は「アブラハム物語」の頂点だといえるだろう。完成図にたいして下図を2枚描いている。共に祭壇の部分はイメージが固まって同じだが、天使は一枚では天から舞い降りてアブラハムと並び、まなざしが向き合い、天使の頭上には辻氏(前出学芸員)が指摘するように、エル・グレコの作品「ペンテコステ」の「舌のようなもの」の形を描いた。静止的な感じがする。もう一枚は完成図と同じく天使が翼を広げて近付き、空中から語りかける構図である。この方が動的である。「アブラハム物語」全体の神の語りかけとアブラハムの応答との関係をよく読み取っている思いがする。写実からいえば天使の制止は「祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた」 (9節. E資料)の後の場面が、小磯が描いた一瞬(11節 JE資料)であるのに、完成図ではイサクは未だ縛られてはいない。7節8節(E資料)の、父子の対話から、縛られたイサクを描くのは忍び得なかったのではないか。私は、ここに小磯の人間性と聖書の読みをみる。

「アブラハム伝承」(創世記12章1節-25章18節)は、多様なモチーフの幾つもの物語が纏められたイスラエル初代の族長の話である。歴史性は疑われてはいないが、生涯を歴史的に確証することはできない。創世記のみに記述がある。ウルの地からハランに移住逗留の後、彼にとっては未知の地力ナンに移り小家畜飼育遊牧民の族長として振る舞った。早期説で前19世紀、後期説で前14-15世紀と推定される。

この物語は、後々の新約聖書で各所にそれぞれの解釈で引用されている。いわば聖書の土台に属する物語である。例えば、ユダヤ人は彼の血統の子孫であることを誇りとした(マタイ3:9)。パウロは無割礼の信仰者の父と言った(ロマ4:1-25)。アブラハムは、自分と妻サラの高齢のゆえに子に恵まれることはもはや不可能と思い込んでいたにもかかわらず、天の星のごとく子孫を約束する神の言葉を信じた。そのことが「彼の義」(神の属性。パウロでは神と人間との神の救いによる正しい関係)と認められた(創世記15:6)。そのとき彼は割礼を受けていなかった。パウロはここに彼の「信仰による義」の予型をみている。またアブラハムの子孫はキリストだとも言った(ガラテヤ3:15-8)。ヤコブは我が子を犠牲にすることをいとわない行いに模範をみて、行いの伴わない「信仰による義」の形骸化を批判した(ヤコブ2:21)。

 アブラハムにとってイサクがどんなに大事な独り子であったかを理解しておかないと「イサクをささげる」物語は理解できない。「歳をとって子どもなど生まれるはずはない」といって、「神の使いの告知」をサラは笑った(21章)。その「笑い」を「神に不可能があろうか」と主(ヤハウェ)は叱責した。そしてイサクは生まれた。サラは「神はわたしに笑いをお与えになった。聞くものはわたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう。」(21:6. E資料)。ユーモアのある話である。しかし、すでにアブラハムとサラは子どもがないことに一計を案じて、エジプトの女奴隷ハガルにイシマエルを生ませていた。サラ、ハガル、イシマエル、イサクの人間的確執の凄まじさは16章と21章の後半に記されている。そのような出来事の後に「神はアブラハムを試され……イサクを“焼き尽くす献げ物”(レビ記1章参照。牛、羊、山羊を焼き尽くす) としてささげよ」と「神は命じられた」(22:1-2)とある。

 この物語の根底には「長子を人身犠牲として神にささげるカナンの宗教的風習に対して、神が子供を犠牲にすることをやめさせ、代わりに動物を犠牲にするように命じたとして、この習慣の由来を説明し啓蒙する祭儀的物語の口頭伝承があったと推測される」(『注解』p.60)。 また、この箇所でどうしても触れておかねばならないのは、19世紀デンマークの哲学者キルケゴールの論考であろう。彼は著作『おそれとおののき』(『キルケゴール著作集5』桝田啓三郎、前田敬作訳、白水社1962)で、信仰の問題を、イサクを献げるアブラハムに則して扱う。

(彼はモリヤの山への)道すがらたえず信仰をもち続けた。もし神がイサクを要求されるならば、彼はいつでも喜んでささげるつもりではあったが、神はイサクを要求したまわぬであろうことを彼は信じていた。彼は背理(注1) なものの力によって信じていた。そこでは人間的な打算などのかかわる余地はありえなかったのだ。だって彼にその要求をなした神が、次の瞬間に、その要求を撤回するとしたら、それは背理なことではないか。彼は山を登った、刀がひらめいた瞬間にもなお、彼は信じた – 神はイサクを要求したまわぬであろうと。(注1)道理にもとりそむくこと『広辞苑』。

『おそれとおののき』(p.60) 。

小磯はこの背理の瞬間を絵にしているのだ。


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