ヨセフの兄弟 ベニヤミンを連れてエジプトに帰る(2008 小磯-05)

ヨセフの兄弟 ベニヤミンを連れてエジプトに帰る

「現代社会に生きる聖書の言葉」
湘南とつかYMCA ”やさしく学ぶ聖書の集い”

第5回「洋画家 小磯良平の聖書のさし絵から聖書を学ぶ」
創世記 43章1節-34節

ヨセフは急いで席を外した。弟懐かしさに、胸が熱くなり、涙がこぼれそうになったからである。ヨセフは奥の部屋に入ると泣いた。やがて、顔を洗って出て来ると、ヨセフは平静を装い、「さあ、食事を出しなさい」と言いつけた。

創世記 43章30-31節

 壮大なドラマ、ヨセフの物語は、創世記の編集者が資料を使って纏めた記述というよりは、一人の作家がみごとに構成した文学作品だと言われている。父ヤコブを含めてヨセフとその兄弟たちの、家族の分裂と和解の物語である。この物語をヤコブ物語の中に巧みに埋め込みつつ、創世記の編集者は37章から50章を「ヨセフ物語」とした。族長アブラハムへの祝福の物語は、「ヤコブ物語」ではさらに広がりをもった一族の物語となり、ヨセフの時代に至って、当時最大の国家エジプトとの出会いを経験し、国家とは如何なる人間構成によるものかと、問題を展開しつつ、編集者はそれを「出エジプト記」が証言するエジプトによるイスラエルの奴隷化とそこからの救済の意味に繋げてゆく。「ヨセフ物語」 は創世記を締めくくる物語である。ここでは父祖たちの物語のように神が直載に顕現することはなく、文学的物語によって読者との対話が試みられている。

 物語はヨセフの夢をモティーフにその実現という筋で展開される。彼は兄たちに夢の話をする。「わたしたちが畑の中で束を結わえていたとき、わたしの束が立つと、あなたがたの束が周りにきて、わたしの束を拝みました」(34:7)。父の偏愛をうけ生意気に育った彼のこの夢に兄たちは憎しみをもった。兄たちの手で奴隷として売り飛ばされた彼は、奇しくもエジプトで曲折を経て大臣という破格の出世を遂げる。飢僅で危機にさらされた力ナンの兄弟たちは、食料を求めてエジプトを訪れる。ヨセフとは露知らない大臣と様々な劇的葛藤の末、ヨセフとその兄弟たちは和解し、飢謹の窮地にある家族が救われというシナリオのー駒が今日の絵の場面である。かつてヨセフを失った父ヤコブは早世した最愛の妻ラケルの唯一の子ベニヤミンだけは兄たちにエジプトに連れて行かせない。しかし、エジプトの大臣は、ベニヤミンを連れてこなければ食料を渡さないという。長兄ユダは自分の身に代えてベニヤミンの同行を父に訴える。ヤコブは躊躇の末「もしわたしが子を失わなければならないのなら、失ってもよい」(43:14)と「全能の神」(17:1)にゆだねる決断をして、ベニヤミンを送りだす。一行はエジプトに帰った。ヨセフであることを秘した大臣は、弟なつかしさに心がせまり、別室で涙を流す。これは自分の現在に働く神の不思議な導きを思う涙でもある。ヨセフの兄たちへの憎しみはもはやない。しかし、ここに至る「神のヨセフの派遣」と兄たちの悔悟、そして「神の赦し」が明示されねばならない。物語はそれを追って続く。

 ドイツの小説家マン(Thomas Mann 1875-1955)は、『ヨゼフとその兄弟たち』(『トーマス・マン全集 Ⅳ, V』 新潮社 1972)という長大な4部作の長編小説を残した。ベニヤミンとヨセフとの対面は第4部「養う人ヨゼフ」に描かれている。マンはこの食事の場面をベニヤミンの気持ちの動きで描写していく。

「その男の顔を見たり手を見たりするベミヤミンは、幼少時代の香りを嗅ぐような気がした。一切の讃嘆、愛情に根ざす親しみ、びっくりさせられるような予感、分からないながら分かる子供心、信じる気持ちとやさしい懸念との精髄である強烈な日向くさい香り、つまり、あのミルテの香りをかぐような気がしたのである。そしてこの思い出の香りは、ある美しい謎を解こうとする心のはたらきと同じものであった。ある人物と他の人物とが同一人物だという恐ろしいほどの暗示を、不安ながらも誇らしい気持ちで従順に解き明そうとする心のはたらき」(『全集V』p.663)。

 「恐ろしいほどの暗示」とマンが叙述した事柄は、再び出会うことなど想像を絶する、出会いが実現しようとしている、その前の場面である。マンは「解き明かそうとする心のはたらきと同じであった」と表現し、ベニヤミンとヨセフの子供時代の香りと重ねている。

 小磯の絵では兄弟のうち中央であどけない表情を見せているのがベニヤミンである。「エジプト人はヘブル人と共に食事をすることができなかった。それはエジプト人の忌むところであったからである」(43:32)の記事がエジプト人の入っていない画面になっているのであろうか。画面は部屋の段差の斜めの区切り線でヨセフと兄弟たちの空間が区別されている。椅子に座ってこちらに視線を向けるのがヨセフである。その表情は、自分の身を明かすまでの苦悩を漂わせている。兄弟たちの席では、人質のシメオンも解放され、一時の安堵が食事の雰囲気を和やかにしている。

 言葉には尽くせない波乱に満ちたヨセフの歩みと、他方家族の困難な現状をそれぞれに背負った兄弟たちが対照的な構図をつくる。しかしなお暗示的なやすらぎが交差する場面である。テーブルに椅子というヨセフの位置と、床に敷き物という対比が、ヨセフと兄弟たちとの、歩んできた状況の隔たりを感じさせ、同時に食事の場面という和やかさが彼ら全体を包んでいる。「ヨセフの物語」の緊張と安らぎが併存している。


(サイト追記)小磯画伯の挿絵はサイトには掲載できません。