夕べがあり、朝があった(2014 信徒講壇 ④)

2014.7.27、明治学院教会(信徒講壇 ④)聖霊降臨節 ⑧

日本基督教団教師、単立明治学院教会 教会員(2014.4-2016.3)、
前・単立明治学院教会牧師(2005.9-2014.3)、80歳

創世記 1:1-13、ローマ 13:11-14

初めに、神は天地を創造された。(創世記 1章1節 新共同訳)

1.創世記1章1節。

 聖書の一番初めの言葉です。ここを読むと、どうしても思い出すお話があります。同志社大学を創設した新島襄は海外脱出の最中、この聖書の言葉に出会って、価値観を「軍事力」から「聖書(キリストへの信仰)」に転換しました。▶️「なお壮図を抱いて − 新島襄没後126周年を覚えて

2.キリスト教の信仰の中心は、神がイエスによって自らを「救いの主」として表されたという「キリスト論」にありますが、「天地の造り主(創造者への信仰)」は、それより古くからの信仰です。初代教会の伝道も創造者を伝えることが中心でありました(使徒言行録 14:15-17)。

 キリスト教の理解にはいろいろな面があります。キリスト論・贖罪論・教会論・人間論・終末論・創造論。創造論は最も古いものです。創世記のはじめの、ヤハウェ(J)資料(創2:4f)、祭司(P)資料(1:1f)の二つの資料に天地創造の物語があります。今日読んだ祭司資料は紀元前6世紀頃まとめられたイスラエル民族の世界観と言ってもよいかと思います。

3.今日は6日間で神が天地を創造された物語の区切りに6回記されている「夕べがあり、朝があった」というリフレイン(くりかえし)に注目したいと思います。神は天地を創造されると同時に繰り返しのリズムを創造された、という視点です。

4.私たちの生活で、朝・夕、春夏秋冬、というリズムは生活にとって、とても大事です。「子供は9時までに寝かせて欲しい」とは、ある小児科医の切実な声でした。幼児はリズムの中で育つからです。

5.「光」と「闇」のリズムは、そうして6日の労働と7日目の神の安息が祝福され、聖別された(創世記 2:3)という出来事を象徴するからです。教会は、これを象徴的に、あるいは日常的に繰り返すために日曜日に礼拝を持っています。

 これは「神がイエスにおいて十字架の死を負い、罪の贖いの愛の実現を成し遂げ、それを安息日の朝の(マルコ16:1)復活の出来事で示した」という福音の内容を表しています。

安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。(マルコ 16:1-2 新共同訳)

 週日の労働と日曜の礼拝とは、福音そのものを示す繰り返しだからです。

 いつぞやは「ギャザードチャーチ・スキャタード・チャーチ(集められた教会・散らされた教会)」という表現で表しました。その繰り返しのリズムが大事なのです。

6.三浦綾子さんの小説に『夕あり朝あり』(小学館 1990)という作品があります。クリーニング店(白洋舎)を創業した五十嵐健治さんの伝記小説です。人生を、信仰に生かされたリズムとして描いているところが読みどころであります。

7.パウロの「夜が更け、日が近づいた」(ロマ13:12)は、彼が創造物語を念頭においていたと思われます。

夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう(ローマ 13:12、新共同訳)

 闇は闇のままではない。恵みのリズムがあって、新しい朝へと必ず向かわしめられる。

「うるわしき朝も、静かなる夜も……」の子ども讃美歌のように、神のリズムのなかに生かされていることを忘れまい。

 私も少年の日、農村教会で与えられた恵みは「神のリズム」に要約されるような気がしています。

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