ギャザードチャーチ・スキャタードチャーチ

明治学院教会通信 2010.10.3号「切り株」第7号所収

 横浜は丘陵の街である。起伏が多い。緑の丘の急な斜面を這うように住宅が上まで行儀よく並んでいる風景がJRの横浜から戸塚へと続く。その戸塚はまだ樹木の丘の多い郊外地である。明治学院大学横浜校舎は戸塚区上倉田の森の丘に広大なキャンパスを広げる。そこでは約六千人の学生が学ぶ。正門から入って緩やかな坂をのぼるとキリスト教主義大学のシンボルにふさわしい瀟洒なチャペルが目に入る。「丘の上の教会へ のぼる石だたみ」(讃美歌 第2編189)を思わず口ずさんでしまう。そのチャペルを拠点に大学宗教部の活動が展関される。「2010年キリスト教ハントブック」(明治学院大学宗教部発行)をみると、初めてキリスト教に接する新入生に懇切丁寧にチャペルアワーを始めとする活動が豊富な写真と共に紹介されている。

 日曜日になると宗教部の活動が休みになる。そのチャペルでは「単立明治学院教会」の主日礼拝が執り行われる。この今の「明治学院教会」は明治学院(法人・大学)とは組織的には全く関係がない。ただ、一枚の「合意書」で結ばれている。「明治学院教会」と名のつく教会は、「明治学院」の長い歴史の中に過去2回でてくる。第一次(牧師村田四郎)。第二次(牧師中山昌樹)。これらの教会につき『明治学院百年史』(昭和52年)はこう述べている。「ともあれ、第一次の教会が、僅か2年、第二次のそれが約5年という短期間しか命脈を保ちえなかったのは、学校教会の限界を示しているといえよう。(p.284) 。いずれも大正期である。いまの単立明治学院教会は第三次の教会になる。その経緯をかいつまんで述べてみる。1995年3月の学校法人明治学院第439回理事会は「理事のキリス者条項に弾力性を付与する決議」を行い、あわせて学内に「教会の設置」を決議、その意志を受けて立った「日本基督教団上倉田伝道所」と「覚書」を結び、上倉田伝道所は横浜校地チャペルを活動拠点とし、「通称明治学院教会」の活動を開始した。しかし、上倉田伝道所は2003年その「覚書」を終了させ、再び学院外での活動に専念する(現日本基督教団上倉田教会)。しかしながら、そのなかには横浜校舎チャペルでの礼拝と牧会を希望する者たちが相当数あり、上倉田伝道所とはわかれてチャペルで「教会の礼拝」を続行した。法人明治学院はこの群れを理事会決議の「教会」と認め、ここに「単立明治学院教会」が設立され、改めて「合意書」が交わされた。「通称」ではなく「単立」教会は2003年5月25日を「創立記念日」とした。したがって2010年5月は「創立7周年」であった。

 さて過去2回の教会はなぜ命脈を保ち得なかったか。そこは歴史家の判断に委ねねばならない。だが、7年間続いている第三次の明治学院教会の課題はそこをどう克服するかにある。私が学院の歴史を読んでみて素朴に思ったことは、「学院と教会」との密着度が大きかったことに一因があるのではないかということである。密着度が高いことが悪いことではない。大学設立時から徹底していれば、それはそれで一つの個性となる。良い例に「国際基督教大学教会」がある。しかし、わが第三次「明治学院教会」はそれとは性格を異にする。

 この教会は二つの性格を初めから持っている。「学院との関係」の面と「普通(地域に存在する各個)の教会」という面である。前者の性格をはっきりさせる努力をこの教会の責任を負ってから私なりに展開してきた。「教会は“風”論」「 “風呂の蓋”論」「福音の“潜在と顕在”論」「明治学院教会の“出番”論」など「切り株」に寄稿した。しかしこの教会が第一次及び第二次を超えて長続きするためには、後者が意識されねばならないであろう。あえて「自覚的に」である。普通の多くの地域教会は「会堂」があり「牧師」がそこに常駐している。もちろん例外はある。だが明治学院教会は「礼拝場所」はあるが「会堂」はなく、「牧師」が常駐しているわけでもない。週日にキャンパスを訪れても「大学のチャペル」の建物があるだけだ。そこに「教会」はない。週日は「明治学院教会」は何処にあるのか。そこを2007年以来「宣教方針」でずーっと言い続けてきた。明治学院教会は「集められた教会」として日曜日に確固とした「主日礼拝」を行っている。優れたオルガニス卜の演奏で学院のパイプオルガンが礼拝に奉仕をする。しかし週日は「散らされた教会」として「教会会員と関係者」の「生活領域」で生き生きと働きが続けられ、その「存在感」は大きい。

 例えば、幼児教育の分野ではキリスト教主義保育の第一線でMさんは日夜奮闘をしている。現役を退いた後も障害児保育に奉仕する保育者Oさんの働きは、週日どれほど大きな励ましと慰めを、悩みを抱く家庭にもたらしているであろうか。福祉の分野でヘルパーとして身を粉にして様々な家庭を回るSさんの働きは報われること少なき分野ではあるが、高齢者社会の底支えの日々になっている。散らされた教会を担う人はこの人たちばかりではない。この教会に参加しているどの人もがそれなりに散らされた教会を担っている。その一人一人を覚えればきりもなく、いまは割愛せざるを得ない。ただ、ここにあと二人のことを紹介しておきたい。Kさんは今厳しいスキルス性の癌の宣告を受けて「手術は不可」で抗がん剤の治療を受けている。そのベッドの傍らには、信仰の友の励ましと祈りの手紙などが集中している。訪問し共に声を合わせて文語聖書を読み、「牧師として」教会会員と関係者の祈りを背後にしつつ、手を握って祈りを捧げた時、「集められた教会」に対して「散らされた教会」を覚えた。「教会は、今ここに在るのですよ」と思わずKさんに語った。「なんぞ“がん”復活のイエスわれとあり」こんな句をいただいた。教会員ではないが礼拝に出席しているTさんは、上倉田の街で地域の有志と「9条くらぶ」を作り毎月「ニュース」を発行している。もう43号になる。「国民投票法の施行の中止」を訴え、「憲法本文の読み解き」を行い、「9条の会の井上ひさし氏の死」を悼み、「9万人が集まった沖縄の県民大会”普天間基地撤去、辺野古に基地はいらない”の声」を伝える。A4裏表一枚の情報だが、上倉田約800戸のポストに手配りされているという。私も時々ではあるが資料提供をさせていただいている。そこにはTさんの「散らされた教会」の働きがある。

 「集められた教会・散らされた教会」(Gathered Church, Scattered Church /ギャザードチャーチ・スキャタードチャーチ)という概念は、世界教会協議会(WCC)の総主事だった、ヴィサ・トゥーフトが1950年代に言ったことだと記憶している。日曜日は礼拝という形で集められて、聖霊の働きを受け、その他の週日、教会は、教会を構成する一人一人の生活領域にあって聖霊のはたらきを受ける。生活領域には、呻吟する人間のあらゆる問題が山積する。しかし、たじろいでいる暇はない。福音書の表現では「自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」(マルコ8:34)、あるいは書簡の表現で言えば「キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています」(コロサイ1:24)が、スキャタードチャーチの役目ではないか。教会が長続きするためには、「散らされた教会」と「集められた教会」の往復運動が生き生きしていることが肝要である。いま明治学院教会は8年目の歩みを力強く踏み出しているところである。