明治学院教会の出番はどこか

明治学院教会通信 2009.8.1号「切り株」第6号所収

マルコ福音書 15章42節-47節(ルカ23:50-56、マタイ27:57-61、ヨハネ19:38-42)

 バッハのマタイ受難曲の演奏会で、最後の「イ工スの死」「降架と埋葬」「哀悼」の終曲が心に残響を宿して終わった。何とも哀感が漂う厳粛な思いで会場をあとにした。「 キリスト教」の感情では、この後「復活」と威勢良く続かないとどうも落ちつかない。白分でも「俺は根っからキリスト教の内々の人間なのだ」としみじみ思った。イエスの埋葬という終焉は、アリマタヤのヨセフだけがその役を担う。この箇所にしか出てこない福音書の人物である。生前のイ工スの活動の場面には現れない。

 四つの福音書を比較してみると、原著のマルコはヨセフを「身分の高い議員」「神の国を待ち望んでいた」者と好意的に記している。ルカはそれをさらに「善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった」(50-51)と敷衍(ふえん)する。ところがマタイ、ヨハネは単に「弟子」とだけ記し、ヨハネは「弟子であるのに隠していた」と卑怯者であるかのごとくに述べる。マタイの「金持ちで」の一語には悪意が漂う。いずれにせよ処刑された政治犯の「埋葬」は難しかった。それを行ったヨセフはやはり特異な人物である。ヨハネの異なる見解を聖書が収録していることに目を注ぎたい。

 イエスは、ユダヤの宗教権力者(サンヘドリン[議会]、祭司、律法学者)から告発され、その要求に押し切られて、ローマ帝国当局(総督ピラ卜)はイエスを十字架刑に処した。「十字架刑は、極めて不名誉な処刑方法とされ、また、何時間も断末魔の苦しみが続くので、最も残忍な処刑方法……イ工ス誕生時にはすでにエルサレムの丘陵で2千名以上のユダヤ人暴徒が十字架にかけられたといわれている」(『イエスの実像を求めて』教文館、ハイリゲンタール、新免責訳)。アリマタヤのヨセフの行動は、きっと身の危険を招くほどのことであったに違いない。しかし、ヨセフの埋葬の申し出は人間的行為であったと想像される。それがピラ卜のうしろめたさをついたのではないか。権力者・死刑宣告・執行者ピラトがヨセフに人格的好意を示したことは大きい。それでもなおヨセフには「勇気を出して」(マルコ15:43)の行動であったにちがいない。ヨセフはイエスへの関わりの新たな閾(しきみ。門戸の内外の区画を設けるために敷く横木。敷居。『広辞苑』)を作ったのだ。内からも外からも手応えのある関わりの線である。それゆえ「埋葬」の場面は、ヨセフの独特な、彼一人の出番となる。イエスの生涯にこのような出番を持つ人物が登場している意味は大きい。社会的地位もありイエスへの共感者である反面、イエスへの追従者としては極めて不明確である。彼も内面は挫折者であったであろう。でも人間的な善意者であった。評価は別にして、彼ならではの出番であったことに注目をしたい。私たちは、多かれ少なかれ、イエスの生き方をたどることにおいては、挫折者でしかありえない。イエスの徹底した宗教(ユダヤ教)批判や行動、疎外された者への真撃な関わりの激しさを辿って生きられはしない。しかし、なお「勇気をもって」一つの閾になることはできる。「私」の出番である。

 北村慈郎著『自立と共生の場としての教会』(新教出版社 2009)を読んだ(「本のひろば」6月号に岩井の書評あり)。彼は神学校を卒業して赴任した東京下町の教会で「バタ屋さん」の壮絶な死に出会う。このように貧しくされた人々こそイエスが食事に招いた人々であろうとの思いをそれ以来抱いている。住宅街の紅葉坂教会で、イエスが貧しい人を含め皆と食を共にすることの象徴としての聖餐式を行った。信徒以外の人を招く聖餐は日本基督教団の規則に違反するといって、「教団教師退任勧告」を「教団の現権力筋」から受けた。北村氏も現代の教会で、問いを投げ掛ける「アリマタヤのヨセフ」の役回りで、イエスに関わる人だと思った。教団の閾的存在である。

 もう何十年も前に、友人が自分の教会の機関誌に書いていた話をふと思い出した。出典が分からないので、記憶による以外にないのだが、粗筋はこんな話だ。あるところに気前の良い領主がいて、大変功労があった家臣に、褒美を取らせるので、お前が欲しいと思う領地を線で囲んで示せ、といったところ、家臣は王の前で地面に丸を書き、これだけ下さいと言ったという。それぽっちでいいのかと王がいうと、この線の外側を全部戴きとうございますと言った。さすがの領主も絶句した、という話である。普通は一つの線は囲った内側を規定するのが常識である。だが、この例話のように一つの線や囲いは内と外とを同時に規定する。例えば、キリスト教の「洗礼」は入信を意味し、外に対して内を規定しているが、同時に外も規定する。新約聖書学者の佐藤研氏は『禅キリスト教の誕生』(岩波書店)とか『悲劇と福音』(清水害院)などの著作が示すように、正統的・教義的キリスト教には問いを投げかけている方である。むしろイエスを人間学的に扱うことで、イエスに宿る真理に迫ろうとされている。同氏は1999年に洗礼を受けが、そのことが自分を変えさせたという。キリスト教の内側に入った責任が「イエス批判」をはっきりと行えるようにしたという。「洗礼」というけじめが逆に大胆な言説を支えているという(「罪と復活 – ドスト工フスキーと福音書」鼎談。雑誌「リプレーザ」8号所載)。これなどは洗礼が内側を規定すると思いきや、同時に外との関わりを規定している。「洗礼」は閾なのである。その様な意味合いから言えば、明治学院の「キリスト教主義」という一つの線は、キリスト教を内側に規定していると同時に、外(キリスト教でない明治学院関係者)の在り方をも規定している。それを私は、前回(「切り株」5号)は「潜在と顕在」という関係で述べた。一つの線が、文化の中の「福音」を「潜在」と規定しているのだ。キリスト教に入信することで初めて関係があるのではなくて、明治学院が「キリスト教主義」を宣言していることに、批判的にも肯定的にも、それ自身の学問、文化、芸術、研究が関わりを持つのでないか、ということである。

 もともと聖書は、線の内と外とを含むものとして成りたっている。それを、あとからの教義に合うところだけを繋げて、正統的キリスト教の正典としてのみ理解をしようということの方に無理がある。明治学院教会の存在も「アリマタヤのヨセフ」の如くであり、一つの閾(しきみ)であるのだ。この教会のこのような役割を、教会の皆さんと一緒に担ってゆきたい。


『自立と共生の場としての教会』 北村慈郎 新教出版社 2009