すずかけの葉っぱ(2009 明学教会報)

2009.8.1発行 単立明治学院教会「切り株」所収

(明治学院教会牧師、健作さん76歳)

 僕を子どもの世界に連れ込んだのは、「やすあき君」でした。

 この子が3歳児の時、ちょっと遅れがあるなと感じていました。お母さんはみんなについて行けないと幼稚園を退園させました。彼のことをすっかり忘れていたある夏休みの午後、幼稚園の門がギーッと開いて、白いパラソルと子供が入って来ました。「こんにちは」と玄関でご挨拶をした瞬間、記憶がよみがえりました。「なんだ、康明くんじゃないの」。お母さんの話ですと、あれから2年間、小児科医、精神科医、教育相談所などありとあらゆるところを回ったそうです。当時大妻女子大学教授の平井信義先生のお勧めで、康明君は、同年齢のお友達の中で育てるのが一番よい、ということで舞い戻って来たとのことでした。当の康明くんは、もう牧師館の応接間のピアノの上に座り込んでメトロノームを力チャカチャと黙って手で動かして遊んでいます。目が合わない、かなりの多動の情緒障碍です。その頃まだ「自閉症」などという用語は幼稚園の現場にはありませんでした。統合保育のことなどをおぼろげに知っていた気のいい「牧師・園長」は「お預かり致しましょう」と返事をしてしまいました。でも目算はありました。K教諭がいるからと。

 夏の研修から戻ってきた教師たちと相談会をしました。肝心のK教諭は予期に反して、

「そんな難しい保育は私たちにはできません。園長先生がお預かりになったのだから、園長先生がおやりになったらいい」

とケロリとしています。9月、とにかく自由遊びの時間だけ、お母さんがそーっと陰で見ていることで登園していただきました。園は大混乱です。靴箱の靴は散乱。ちょっと目を離した隙に印刷室ではインクペタペタ。トイレはペーパーの山。2週間ぐらい一人で悪戦苦闘をしました。見るに見兼ねたK教諭は私のクラスでお預かりしましょうとのこと。ただし条件があります。

園長先生が「けんさくちゃん」として「やすあきちゃん」と一緒にクラス入ってください。

「今日から二人新しいお友達がきました」
「なんだ、園長やんか」
「いいえ、ここでは、やすあきちゃんのおともだちのけんさくちゃんです」

 年長「菊組」さんは、大混乱です。でも混乱のうちにも、少しずつ「統合保育」なるものは進みました。案の定、他のお母さんたちからは大文句です。

 大切な就学前の時期、障碍児が一緒では遅れてしまう。「けんさくちゃん」は「統合保育」の意味を何とか説得しました。この間しばらく、教会の仕事が滞りなく出来るという訳ではありませんでした。役員会でそのことを話すと、

障碍児のお世話は牧会の一つだから専念してください。ほかの所は我々が補いますから

とお励ましの言葉、本当におおきな力でした。さて、やすあきちゃんですが、1月ごろから様子がおかしくなりました。お母さんが、焦って家で勉強の学習機を使っていたのです。康明くんは、康明くんなりに精一杯成長しているし、他と比べないで、暖かく包んでと、ある日の午後、しんみりとお母さんにお話をしました。「北風と太陽」のお話をしました。

 黙って聞いていたお母さんは、そのうち大粒の涙を止めどなく流しはじめられました。
はっと気が付くと、北風は自分なんだとひしひしと胸に迫りました。遠洋航路の航海士の夫とは普段相談もままならず、障碍児を抱えた将来への不安。周囲の差別の目。僕の祈りが続きました。でも3月、卒園式の証書授与では康明くんの

「ハーイッ!」

という真剣なご返事に、参列者は大変な拍手でした。やがてお母さんも「情緒障碍児の親の会」の仲間にも入ることができて、次のステップに進んで行かれました。気が付いて見ると、康明くんと出会ったことが、子どもの世界への手引きでした。42年間、いくつかの教会付属幼稚園の園長を務めさせて戴き、子供への驚きをたくさん経験いたしました。

「この幼稚園は、合わない」と転園を行動に起こそうとする高学歴・教育熱心なお母さんに「ここはボクの幼稚園だ」と頑として動かないS君。園は「子供の園(その)」なのです。お母さんも降参。大人がいて子供がいるのではなく、子供がいて、世界はあるのです。この発想の逆転を絶えず経験することが、僕の人生をどんなに彫りの深いものにしてくれたことでしょうか。あの子のこと、この子のこと、お話は尽きません。

 ある秋の朝、園の門で「お迎え」をしていました。

「園長先生、ハイ!お土産。きれいでしょう」

すずかけ フリー画像

とY子ちゃんは一枚のスズカケの葉っぱを僕の手のひらにポンと残してステップ軽やかに保育室に姿を消しました。もう五十年以上も前、神戸空襲で焼け爛(ただ)れた幹を包むように回復した近くの街路樹の大木の一枚です。紅葉は緑と黄と赤と茶と順に入り交じって、どんな画家のマチエールも及ばない材質感がありました。「戦争と幼子」など止めどないイマジネーションが心をよぎりました。こんな感性を育てるお母さんの心の新鮮さに感嘆いたしました。じーっと眺めていると、一枚の葉っぱは、何かイエスのメタファー(隠喩)のように思えてきました。「緑もふかき若葉のさと」の大工イエス。ガリラヤでの激しい言説、黄色の麦畑。そうして受難の真紅。枯れた茶の寂寥(せきりょう)のゴルゴタ。

 その午後、ホスピスヘ見舞いに出かけました。ふと思いついて、教会の境内の木々の何枚かの葉っぱをポケットに入れました。「秋も深くなりました」とお見せすると、Hさんは『葉っぱのフレディー』を思い起されたのでしょうか。

「“神の御許”って、先生どんなところでしょうか?」

とふと漏らされました。

「僕はいったことがないから分かんない。でも確かなことは、今、Hさんとこうやってご一緒にいて、“神の御許”でも僕が一緒だということです。ちょっと僕の方があとからになるのでしょうが」

「そうですね」。

 なごやかな日常の会話でした。僕の胸にはY子ちゃんも一緒にいて、軽やかなステップが心の内で弾んでいました。

保育/立証「生かされて、用いられて」(2000)