三つよりの糸(2009 礼拝説教・コヘレト)

コヘレトの言葉 4:1-12、ルカ 9:12-17

2009.8.2、明治学院教会 礼拝説教(要旨)
聖霊降臨節第十主日・平和聖日礼拝メッセージ

(明治学院教会牧師、健作さん76歳)

「コヘレトの言葉」には極めて現代的な感覚が宿っている。今日の箇所に「改めて太陽の下に」(4:1、4:7)とあるが、コヘレトには「太陽の下に」が29回出てくる。これはプトレマイオス王朝(紀元前323〜紀元30。16代にわたりエジプトを支配した王朝)の抑圧的支配を暗示する言葉である。「改めて」の語が、4章の「虐げ」を一層悲惨なものとして浮き彫りにする。

 コヘレトの言葉 4章1−8節は3部に分けられる。

① 4:1-3。権力者の横暴の前に虐げられた者の涙を慰める者のいない空しい状況を見よ、死んだ人の方が幸いだ、生まれてこなかった者がより幸いだ、とある。自殺者年3万以上、子どもが産めない日本の状況を連想する。

② 4:4-6。生き甲斐を求める人間の労苦の空しさ。「片手を満たして、憩いを得る」は悪しき時代を何としても生き残る知恵の吐露であろう。「両手を満たして、労苦するより良い」は競争社会を泥まみれで生きた者がいるのであろう。分相応に生き、他人を尊重しながら、生きることを示唆している。「風」はセレウコス王朝(紀元前312-63年頃。28代にわたりシリヤを支配した王朝)の暗喩だという。

③ 4:7-8。魂の安らぎを得ない富の追及は誰のためなのか。労苦というものは、愛があってこそ意味がある。富が目的の「仕事人間」は「空しく不幸だ」。この言葉には現代の新自由主義経済時代と重なる響きがある。

 4章9−12節。さて、今述べたような時代をどう生き抜くのか。

 ヘレニズム文化(アレクサンドロス大王以来、怒濤の如く流れてきた利潤優先・個人主義・競争主義)に対して古いユダヤ文化の価値が見直される。

「ひとりよりふたりがよい」
「倒れれば、ひとりがその友を助けおこす」
「ふたりで寝れば暖かい」
「ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する」
「三つよりの糸は切れにくい」。

 みな長い経験から生まれた諺的知恵の言葉である。生活の温みがある。

 当時、ユダヤの宗教は律法と祭儀に命脈を保ち、体制補完の役割を果たした。その宗教に民衆は苦しんだ。その時代の民衆に宿る「命の宗教」がコヘレトのような知恵で保たれたことは驚異である。

 ラテン・アメリカの「ベルボ聖書センター」は、徹底して民衆の視点で聖書学習運動を広げる。コヘレトの解説テキスト、中ノ瀬重之・M.Aマルケス著、大久保徹夫・小井沼眞樹子訳、『喜んであなたのパンを食べなさい − ともに学ぶコヘレトの言葉』(ラキネット出版 2009)では「三つよりの糸」に暗示される道を五つに纏めている。

「民が息づける社会構造の保護」
「命に仕える宗教」
「協同して働く」
「分かち合い」
「生活のささやかなことに楽しみを見出だす」。

 先月、岩手県・奥中山教会を訪問する機会を与えられた。社会福祉法人「カナンの園」も見学した。12の事業は「キリストの愛」のもと「障害者」を中心に助け合いの社会の実現を目指しているという。パン工場の責任者Sさんは

「『障害者』に自我を脱がされて、「神の前の」自己への道程を歩んでいる」

 と淡々と語った。

 何しろ明るく楽しい雰囲気に打たれた。羊を飼って、糸を紡ぎ手芸製品を生み出す「小さき群れの里」は、障害者が寄り添い「いのち」を紡いでいる思いがした。

 コヘレトの言葉は知者が残した言葉であるが、この言葉を生み出した、イスラエルの最低辺の民衆の生活と信仰が息づいている。それに呼応する感性を祈り求めて行きたい。

▶️ 「コヘレトの言葉」を現在日本の教会で読む意味(2009 宣教学 59)

▶️ 三つよりの糸は切れにくい − 反貧困(2010 コヘレト ①)