行いと教え − この順序の大事さ(2009 礼拝説教・使徒言行録)

2009.7.26、明治学院教会(161)聖霊降臨 ⑨
画像は伊香保温泉の紅葉

◀️ 命漲る。 奥中山教会、カナンの園

(単立明治学院教会牧師 5年目、健作さん75歳)

エレミヤ 17:9-11、使徒言行録 1:1-5

”イエスが行い、また教え始めてから”(使徒言行録 1:1-2、新共同訳)

1.夏から秋にかけて、使徒言行録を学ぶことにいたしましたので、よろしく。

 久しぶりに二度ほど通読してみました。

 イエスの死後、弟子たちによってエルサレムに教会が起こされ、その宣教活動がユダヤ、サマリア、シリアへと広がっていく物語です。

 前半の中心人物はペトロ(1-12章)、後半はパウロ、「福音」はローマに至ります(13-28章)。

 この書物は「ルカによる福音書」の「続編」です。

「ルカ」と「使徒」を貫く考え方は「イスラエル」にもたらされた「神の救いの出来事」を、預言・成就・完成という救済史として、イスラエル〜イエスの出来事〜教会の働き、と大きな繋がりとして捉えているところです。

 通読してみて面白かったのは、本書の約1000節のうち約300節は、登場人物が語る24の「説教」や「演習」です。

 当時は録音機があったわけではありませんから、これは著者の創作だと言われています。当時、キリスト教はこんなふうに説かれ、弁証されていたのだ、ということがよくわかります。

2.本書はすぐれたコイネー(共通)・ギリシア語で書かれていて、その文学的評価は高いといわれます。著者はパウロに同行していた医師・ルカだという通説がありますが、それにしてはパウロの書簡に言及されず、「信仰義認論」も出てきませんから、最近ではルカ説は採られていません。

「神を畏れる」異邦人の信者のひとりで、年代は紀元80−90年と推定され、場所はパレスチナ以外としか学者は言っていません。

3.この書物の「プラクセイス(活動)・アポストローン(使徒たちの)」という表題は、紀元2世紀ごろに付けられました。

「プラクセイス」に「言葉・言行」という意味はありませんから、「新共同訳」の「言行録」は適切ではありません(『岩波キリスト教辞典』)。

「行伝」(口語訳、文語訳、岩波訳)の方が原文に適切です。

4.今日は、それに因んで「イエスが行い、また教え始めてから」の一句から学びます。

 1−2節は、著者がこの書を「テオフィロさま」(1:1)に献呈する文の中に出てきます。テオフィロは「神を愛する人」。彼については「わからない」と各注解書は言っています。

「第一巻」とは「ルカ福音書」です。ルカはイエスを「この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした」(ルカによる福音書 24:19)と記しました。

 ルカはイエスの言葉よりも行為に預言の成就を見ました。

 イエスの言葉を聞くより、イエスの奇跡を見ることを優先させます。マルコは業と言葉(マルコ 1:27)、マタイは言葉優先なのに比べて。

5.言葉で「信仰告白」が表現できない障害者の受洗の問題で、かつて止揚学園の福井達雨さんは、身体的表現(行い)が言葉に優先すると申しました。

 イエスの招きに応えることの大切な意味が含まれています。

 今度、奥中山教会を訪問し、重い知恵遅れの方が受洗した恵みを、教会が大変大事にしている出来事に出会って、このテキストの意味を改めて思いました。

  ▶️ 命漲る。 奥中山教会、カナンの園(2010 望楼 ⑫)

161-20090726

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