福音は、弱さと共にあずかるもの(2014 信徒講壇 ⑤)

2014.8.24 明治学院教会(信徒講壇 ⑤)聖霊降臨節 ⑫
(配布「聴き手のために」はPDFで掲載)

(日本基督教団教師、前明治学院教会牧師 -2014.3、81歳)

エレミヤ 17:7-8、コリント第一 9:19-23

わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」(コリント第一 9:23、新共同訳)

1.私どもの教会が祈りに覚え献金している団体の一つに「日本キリスト教海外医療協力会」(JOCS)があります。今、アジアに49名の看護師、医師、理学療法士、助産婦、奨学生を派遣しています。その地域の弱い人達と共に福音に与かる働きをワーカーの方たちはしています。

2.今日の聖書の箇所にパウロの言葉

「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。」(コリント第一 9:19、新共同訳)

 とあります。これは逆説ですが、この背景には、コリント教会の一部「知識人」信徒の教会内での「自由を標榜する」身勝手な発言がありました。

 冷たい言葉を投げ掛けられたのは、決して社会的に強いの人達ではありませんでした。最下層に属し、また「奴隷」の身分に属しつつも、実直な信仰を生きていた信徒達です。

「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけでははなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません」(コリント第一 1:26、新共同訳)

 と言われた教会の構成員です。

3.彼らは、日常食用に食べるお肉が、当時の習慣でアフロディティの神殿に備えられ、それが払い下げられて来たので、偶像礼拝に捧げられた肉は食べないと言ったのです。

 ところが、福音を知的に理解していた人は「もともと偶像なんていうものはないのだ、天地にはただ1人の創造の神、イエスの父なる神がいますことははっきりしている、神殿のお肉をたべたからといって実際に汚されることはない、大体、神殿からの肉を食べないなんていうのは、信仰の知識がまだ足りないのだ」「あなた方は自由が分かっていないのだ」とまで言いました。

 パウロはこれを8章と9章で戒めています。素朴な信仰の人達が、神の愛に繋がっているとすれば、その人達と繋がるために、敢えて「奴隷になろう」とまで逆説を語り、「頭だけの(強いと思っている)信徒」を戒めました。

 福音は、弱いものと共に与かるものなのです。パウロの言う「人を得るため」(ケルダイノ)は内容的には、共に神の与えるよろこびに繋がることを意味します。

4.”サンガイ・ジュネイ・コラギ”(みんなで生きるために)は岩村昇医師(1927-1980)が日本キリスト教海外医療協力会よりネパールに派遣されて医療活動を行った際、遠いところから病人を連れてくる村人から聞いた言葉です(参照『山の上にある病院 ー ネパールに使いして』岩村昇・岩村史子、 新教出版 1965年)。

 彼は、何故ネパールに行くのかという問いに対して「そこにキリストがいるから」と答えました。貧しく弱い人々と共に福音を受け取って行きたいと思います。

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