預言者エレミヤの時代(2014 エレミヤ ①)

2014.9.3、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「現代社会に生きる聖書の言葉」第81回、「旧約聖書 エレミヤ書を読む」①

(前明治学院教会牧師、牧師退任から半年、81歳)

エレミヤ書 1章1節-3節

マタイによる福音書2章17節−18節でエレミヤ31章15節の言葉が引用される。

 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
「ラマで声が聞こえた。
 激しく嘆き悲しむ声だ。
 ラケルは子供たちのことで泣き、
 慰めてもらおうともしない、
 子供たちがもういないから。」(マタイ2章17節−18節 新共同訳)
 主はこう言われる。
 ラマで声が聞こえる
 苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。
 ラケルが息子たちのゆえに泣いている。
 彼女は慰めを拒む
 息子たちはもういないのだから。(エレミヤ 31章15節)

1.聖書は古典。全66巻の書物。その構造。二つの大きな部分。旧約聖書39巻・新約聖書27巻。旧約聖書は古代イスラエル人が語り伝えた様々な「律法」や「預言」や「物語・文学」などが次第に文書として結集され、やがてユダヤ教徒が、それらの文書から選んで「聖なる書物」として権威を与えてまとめ上げたものです。新約聖書はイエスの死後、成立した初代教会が残した文書です。伝道者パウロやその後継者たちの手紙・信仰指導書、およびイエスの言葉や振る舞いが民衆により語り伝えたれた伝承を、纏めた「福音書文学」や初代教会の歴史などが含まれています。

2.旧約聖書は3部作の構造になっています。「トーラー”律法”」(この部分の「聖典」化は紀元前400年ごろ)。「ネビーム”預言者”」(この部分は前200年頃)。「ケスビーム”諸書”」(この部分は前90年ごろ)。

 イスラエル民族は「主なる神(ヤハウェ神)」から与えられた律法(その中心は出エジプト記20章、申命記)を守ることで、民族共同体を形作っていました。その律法が守れない、守らない現実が生じた歴史の中で、主の契約の精神(律法)への立ち返り(悔い改め)をその時代の中で、語り叫ぶ役目が「預言者たち」の使命でした。

 預言者の「預」は「あらかじめ事柄を述べる」という意味ではなく「神の言葉」を「預かる」という意味です。世の中が神の言葉(精神)を忘れ、ないがしろにする時、その人間の現実を自分自身の身に負い、同時に神の側からの言葉を語り、諭す使命を持ったものです。預言者サムエル、エリヤに代表される預言者は文書を残していませんが、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル(四大預言者という)はその弟子たちによって文書を残しています。

 その前後活動した、ホセア、ヨエル、アモス、オバデヤ、ヨナ、ミカ、ナオム、ハバクク、ゼファニヤ、ハガイ、ゼカリヤ、マラキの文書は「十二小預言書」としてまとめられています。

3.エレミヤの活動した時代。イスラエル民族の出エジプト(B.C.1290)、荒れ野放浪(B.C.1250-1200)、士師時代、王国時代、サウル王の後、ダビデ王朝(B.C.1000-994-961)、王国北と南に分裂(B.C.992)、北王国イスラエル、首都サマリヤ、アッシリアにより陥落(B.C.722)、(イザヤの活動)、南王国ユダ、申命記の発見(B.C.621)、カルケミシの戦い(B.C.605)、首都エルサレムへの第一回バビロニア侵入、エホヤキン王(B.C.609-598)、傀儡王権であったにも拘らずこの間ゼデキヤ王(B.C.598-587)がエレミヤの言葉を聞かず、国粋派を頼りにエジプトに寝返って、エレミヤを殺そうとした。バビロニアは第二回目の侵入を行いエルサレムを占拠した(B.C.587)。この複雑な国家滅亡の時代に活動した預言者がエレミヤ。後、バビロニア補囚時代(B.C.587-538)へと続き、エゼキエルの活動が始まります。

4.ミケランジェロ(1475-1564)のシスティーナ礼拝堂のエレミヤ像(上掲、Wikipedia Public Domain)は嘆き頭を垂れて悲しんでいる姿である。神の言葉を内に抱えつつ、不真実な時代のなかで苦難の生涯を生きた。この時代は「ラケルの悲しみ(31:15)」の満ちた時代であった。

(サイト記)冒頭画像は田中忠雄さん(「預言者」画集より撮影)、次の画像はレンブラントの「預言者エレミヤ」(Wikipedia Public Domain)。

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エレミヤの召命(2014 エレミヤ ②)