ヨハネ福音書 13:1-11 “弟子の足を洗う”、イザヤ書 2:4-5
2014.8.3、田浦教会(横須賀) 礼拝説教
”洗足” ヨハネによる福音書 13章1〜11節(聖書 おはこ ②)
東京都民教会 2014.7.6、奥中山教会(奥羽教区・岩手)2014.8.17
(2014年3月に明治学院教会牧師退任、教団隠退教師 健作さん81歳)
ヨハネによる福音書 13:1-11
「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」(ヨハネによる福音書 13:7、新共同訳)
1.一粒の麦
ある市民運動団体の機関紙からインタビューを受けました。56年牧会生活をしてきて印象に残ってることは何ですか。咄嗟だったの考える暇もなく、牧師になった若い頃の経験を話しました。
30代の歳で多少自信を持って教会の仕事をしていた時代です。ある年配の女性の熱心な信徒の方から「岩井先生は駄目な牧師だ」といわれました。
「確かに4代目のクリスチャンで、2代目の牧師。同じ環境の奥さんがいて、キリスト教のことはよく分っていし、お出来になる。だから逆に、封建意識に絡まれた家のしがらみで苦労している者の悩みが本当には分からない。そこが分からないと、因習の根強い地で伝道はできない。新しい先生が来たけれど結局キリスト教の決まった教えを語るだけだ」
といわれた時でした。
その方は、後でつぶさに知ったのですが、お寺の檀家の長女で、封建制の残る中、魂の自由、救いを人生の血みどろの闘いので中で知り、洗礼を受けられた方でした。その方の経験をわたしがたどる訳にはいかないので、私はいろいろ悩みました。その末に、閃いたのはヨハネ福音書の12章「一粒の麦」のイエスの言葉でした。
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである、だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネによる福音書 12:24、新共同訳)
の言葉です。はっは−ッ、牧師になったのは地に落ちたまでで、死んでいなかったのだ、と思い付きました。「古い自分がキリストと共に十字架につけられて死ぬ」ということはキリスト教の洗礼や、キリスト教信仰の一番大事なことで、頭ではよく分かっていました。しかし実際には、自分本位、キリスト教信仰の説き方の完結性ということ、さらには、相手との関係での誰もが陥りやすい自己絶対化というものに気付いていなかったのです。もっと自分を相対化してゆくことの訓練が不足していたのだ、ということに気が付きました。これはキリスト教信仰の基本的なことです。それぞれの出来事には「自分中心や自分本位というもの捨場と時があるのに」のその自覚や弁えが身についていないとか、希薄だ言うことに気が付きました。「信仰の教義や、キリスト教の筋道、理論」をいくら上手に語るだけでは、駄目な牧師なのだということが指摘が当然だということを自覚しました。
パウロもフィリピの手紙の2章6節以下でこういっています。
キリストは神の身分でありながら、神と等しいものであることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピの信徒への手紙 2:6-8)
の句です。「神ご自身がイエスの姿で、十字架の姿で死なれた」のです。「麦の種が死んでこそ芽を出す」というわけなのだというこを悟りました。他の言葉で言うと「自分本位の捨て場」が頭で分かっていても、日常生活で身に付いていなかったのです。しかし、本当に「自分を捨てる」ということ、現代語でいえば自己絶対化(すなわち罪)から解放されて、自己相対化することが、自分の力、修練で可能なのか、ということが問題になりました。これは、自分の努力の問題を超えており、神の助けに依らなければ出来ないことだと、改めて気がつかされました。実は、こんなことは、頭では良く分かり、神学の問題としてはよく論じていることでした。
2.洗足
その時、私には大変慰めになったのが、今日お読み戴いた、ヨハネ福音書の13章のイエスが弟子の足を洗う場面でした。共観福音書では3つとも、ここには「最後の晩餐」の記事があります。ヨハネは食事の「晩餐」の記事を入れないで、いきなりユダの裏切りから物語を始めます。そうして「洗足」の話に入ります。紀元一世紀、ユダヤ教から迫害されていた「ヨハネの教会」では最後の晩餐の意味は頭では分かっていたのだと思います。最後の食事でパンが分け与えられたわけですが、パンが裂かれることはイエスの体が十字架の上で裂かれることの象徴的意味を持っていました。けれども弟子たちには「一粒の麦の死」という象徴的なことの、本当の意味が、体では分かっていなかったのです。12章の「一粒の麦の死」が、イエスの十字架を象徴的に示していることは、聖書を少し読み込んでいる人にはすぐ分かります。しかし、体では全く分かっちゃいなかったのです。そこで、もっと日常的な分かりやすいことで、イエスは弟子たちにそれを悟らせるために行った出来事が「洗足」です。「足を洗うこと」です。
3.後で分かる
パレスチナでは、旅から宿に帰って来れば、土埃の道で汚れた足を洗うのは、ユダヤ人の奴隷ではなく異邦人の中から奴隷として売られてきた者の仕事でした。その最も低い奴隷の仕事をイエスがなさったのです。6節をみると、ペトロはびっくりして「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と驚きの声をあげています。
弟子たちは、これを単なるイエスの奉仕と受け取ったのです。だからペトロは足だけでなく体も清めて戴きたいという、悪乗りの言葉を語ります。しかしこの行為には、神が人となるという福音の事柄の全体が含まれています。「洗足」は十字架の予表(予め示す)であるということです。
先に、私がここで慰めを与えられるといったのは、イエスの弟子も「一粒の麦の死」が分かっていなかった、ということです。イエス自らが、身をもって示されたけれども、弟子は分からなかった。そこで、イエスは「わたしのしていることは、今は分からないが、後で、わかるようになる」ということです。
福音書のイエスの十字架の場面を、わたしはある聖書研究会で先週学びました。十字架の場面には、弟子たちは、躓いて、一人もいないのです。ガリラヤでイエスの世話をした女性たちが幾人か遠くにいた、と記されています。弟子たちがイエスのことが分かったのは、イエスがいなくなってからです。五旬節の日に、聖霊を受けて、イエスが「神の子」であり、「救い主」であるとの告白が為されています。「後で分かった」のです。
「後で分かる」ということは大事なことです。
さて、「洗足」はイエスが弟子の足を洗って、弟子に仕えたというお話しです。イエスの「洗足」から学ぶことは「福音」の中心的出来事なのですが、それを、観念として、頭で学ぶということではなくて、イエスにしたがった私たちも「洗足」と同じように奉仕をするということです。
ここでは二つのことを学びます。
① 第一に気が付くことは、奉仕というものは、自分の手足で行うということです。
食事の席から立上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって、腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い…(ヨハネによる福音書 13:4、新共同訳)
とあります。口で行うものではないということです。口でいって、人にやらせたのではないのです。「人の褌で相撲を取る」という諺があります。そういう生き方はしないということです。奉仕は他人を当てにするのではなく、自分の事としてゆく。
② 第二は、さきに触れたように、イエスは奴隷の仕事をしたということです。
格差社会の最も低い人々のことに目を留められたということです。奉仕の方向性とでもいえなす。最も低いところから、物事を見てゆくということです。また奉仕はすぐに人に分かってもらえるものではない。「後で分かってもらえるに」違いないということ。大事なことは、それを行うことで、イエスの十字架の出来事に結び付いて「恵み」に与かるということです。
「恵み」「救い」を体で経験するということです。
最初に述べた、わたしに「駄目な牧師」といってくださった婦人の方も、実に隠れた奉仕を、人知れずなさる方でした。ある年、教会学校の教師の奉仕をしてくださる事になりました。受け持ってくださった中学生の女生徒の一人に癲癇を持病で持っている子がいました。夏期のキャンプに行きたいと言ったとき、他の教師は、みんなその子の癲癇の様子を知っているので反対しました。責任者である牧師の私も反対でした。しかしその子がどんなに行きたいかということを察して、親を説得し、牧師を説得して、もういい加減の年齢であるのに、自分が一緒に行きましょうといってくださった。キャンプ地の海で水泳をする事になった。みんなはしゃいだ。わたしは責任者でもあるので、もしもの場合を考えてその子が海に入るのを許さなかった。そうしたら、その婦人が「わたしはそのために水着を用意してきた。その子がどんなにそれを楽しみにしていたかを知っているので、一緒に付いて入る。自分が責任を持つ」と。わたしはその徹底した奉仕に頭が下がった。おざなりのことではなかった。普段からあなたは癲癇もちだから、とさげすまれていたその子はどんなに喜んで、解放されたかを知った時、そしてそのためにその婦人がどれ程祈ってきたかを知った時、相手を生かす奉仕の在り方を教えられた。
ある時「先生うちの主人が教会に来るといっているから、主人のためになる説教をしてほしい」という。主人は、その地方の中学校の校長で、教育界では有名な人であった。自分の中学に、優秀な教師ばかりを集めてきたので、有名な進学優秀な学校になった。ところが「みんな個性が強い人で、纏まらず、悩んで、どうしたら人の和を作るかに悩んで、教会に行くといってる」という。次の日曜日、礼拝に出て、帰りがけに、わたしに「あんたも、やねっこいおばさんばかり相手にしなくてはならず、大変だのう」といってくれた。
当日は牧師が苦労している姿を省みて、励まされ、元気が出たといったそうです。晩年、癌になって、いよいよ最後という時、奥さんに「自分はそれなりの力のある人間で神様を頼りにする生き方はしてこなかったけれど、考えてみれば、ずい分、他人を傷つけてきた、その罪というものは許されるだろうか」と夫人に語ったという。「わたしはあんたの神様ではありません。そんなこと分かりません」といったら「あんたのところの牧師を呼んできてくれ」といって(その頃は牧師はわたしではなかった)、牧師に何回かきてもらって病床洗礼を受けた。本当に平安のうちに召されたそうです。
婦人は、自分は親の反対を押し切って女学生の時に洗礼を受け、親のあてがった人と結婚をして、その夫が自分と同じようにイエスを信じることが、生涯の祈りであったが、神は、その祈りを60年かけて聴いてくださった。自分は主人には、一番身近な人として奉仕をしてきたが、それは実り豊かなものであった、といわれた。
もうその女性もお亡くなりになったが、二人の娘さんは、洗礼を受け、それぞれの教会で中心的な奉仕をしておられる。
福音の恵みとは後で分かるということが大事なことである、と思います。
祈ります。
私たちに、それぞれふさわしい奉仕を備えてください。
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