神戸教會々報 No.92 所収、1979.11.4
◀️ パンフレット
◀️ 説教「神の苦しみにあずかる」
(健作さん46歳、牧会22年目、神戸教会牧師2年目)
日本のプロテスタント教会はその創設時代より北米諸教会から多大な信仰的遺産と物的援助を受けている。特に宣教師たちの伝道、教育、文化の諸分野での人格的感化は大きい。しかし、日米両教会の関係はようやく、日本側の長い被援助の時代が終わりを告げ、相互協力から、さらに宣教の共通課題を共に負うべき段階に来ている。それは、両教会がそれぞれの身近な足許の問題を負うための協力である。
ダグラス・A・マッカーサー氏は、その意味では全く新しいタイプの宣教師として日本に3年間在住した。黒人である彼を日本の宣教に必要として招いたのは日本の教会であった。すでに週報(79年29号)や基督教世界誌(3351号)にも記したように、彼は岩国の在日米軍基地のある街「カワシモ」で軍隊内での黒人兵差別をはじめ地域社会での差別の中に身をおき、その視点から日本の社会の現実を見た。
人がひとつの街に住むという場合、その人の社会関係の中でしか街の姿は見えないものだ。私は岩国の街に牧師として13年住んだ。努めてその街の人々を知るために、街の人たちの問題にも関わったし、耳を澄まし、足も動かした。しかし、筆舌に絶する被差別の血が流れる彼が一たびこの街に住んだとき、我々などでは到底知ることの出来ない、在日韓国人差別や部落差別の現実が彼にはビンビンと響いてくるらしい。
彼は何回か韓国に渡り、感覚的に、米国によりまた日本により、軍事的に経済的に抑圧されているアジアの人たちの視点というものを捉えていく。そして、彼は彦根教会の東岡牧師が機会を作った、部落解放同盟の人たちの懇談では「あなたは米国の自分自身の置かれた場で、どのように黒人解放に関わっているのか」という素朴な問いの前で、彼を生み育てた黒人教会をも含めて米国教会の現状を省みるといった交流をしている。
米国のユニオン神学校の黒人神学者ジェームズ・コーンが、白人の神学者たちがラテンアメリカの解放の神学には興味を示しながらも、自分の街の黒人問題は避けて通ろうとする、と批判をしていたことをどこかで読んだことがあるが、それが米国教会の一面であるとすれば、マッカーサー氏が自分の国の宣教の将来に負っている課題も大きいだろう。
日米韓といった国の違いでではなく、イエスがそのために命をさえ惜しまれなかった抑圧されている一人の人の魂に近づく視点から現実を見ていく働き人が、諸国間の教会の間を行き交うことはすばらしいことである。恐らく宣教師の働きは、やがて先進諸国から開発途上国へという一方的パターンを破っていくに違いない。抜き差しならない足許の問題を教会が負っていく時、そのために必要な働き人が、派遣され受け入れられるようになってきている。マッカーサー氏はその先例だともいえる。
百余年前、神戸教会はアメリカンボード(米国伝道会社)から最初に派遣された宣教師D・C・グリーンの苦闘4年の働きによって設立された。そのことを思うと、今夏、新しいタイプの宣教師を招いて私たちの教会が集会を持ったことは意義深い。そして、やがて、私たちの教会も、働き人を送り出す日の来ることへ夢を持ちたい。
「私には夢があります。いつの日にかこの国の黒人すべてと、この世界の有色人すべては、彼らの肌の色によってではなく、その人格によって判断され、すべての人間が、その尊厳と人格の高さによって敬われるときがくるでしょう」とM・ルーサー・キング牧師は語っている。
人格の高さによって人間の関係が見られていく社会を宣教の課題として励んでいきたい。