神の苦しみにあずかる《フィリピ 1:27-30》(1979 マッカーサー宣教師・夏期特別集会記録・週報)

1979.7.15、夏期特別礼拝、神戸教会
説教要旨は翌週7月22日の週報に掲載
(要旨の記録は渡辺伝道師、資料としてデータ化)
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(牧会21年、神戸教会牧師2年目、健作さん45歳)

ピリピ人への手紙 1:27-30、説教題「神の苦しみにあずかる」
ダグラス・A・マッカーサー宣教師

”ただ、あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そして、わたしが行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたが一つの霊によって堅く立ち、一つ心になって福音の信仰のために力を合わせて戦い、かつ、何事についても、敵対する者どもにろうばいさせられないでいる様子を、聞かせてほしい。このことは、彼らには滅びのしるし、あなたがたには救のしるしであって、それは神から来るのである。あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっている。あなたがたは、さきにわたしについて見、今またわたしについて聞いているのと同じ苦闘を、続けているのである。”(ピリピ人への手紙 1:27-30、口語訳 1955)


 イエスはあらゆる人々に証しをした。

 貧しい人々、虐げられている人々に対して、あるいは権力を持っている者、富を持っている者に対しても証しをした。

 そして、私たちが誰であろうと、イエスの福音は私たちに生きる意味と目的を発見せしめるのです。

 また過去の人々はこのことを確認してきたのであります。


 私の生まれた町の人々は、経済的富の蓄積や社会的成功に関心があり、他者に対しては無関心な、利己的世界に安住していた。

 その世界が引き起こす結果については考えていなかった。

 そして人々は自らをキリスト者と呼んでいたのです。

 また、私が大学を出て2年間働いていたニューヨークのユティカという所は、黒人をはじめとするアメリカ社会から抑圧されていた人々の住む地域でした。

 そこはスラム化しており、盗み、失業、アルコール中毒、売春、子供への虐待等がはびこり、人々は人生の意味や理想を持ち得ない状況でした。

 抑圧はその社会において固定化していました。


 また、私が今働いています「カワシモ※」は、米軍基地とそれを含んだ地域とが持つ矛盾や諸悪が多く存在しています。

 ※ 山口県の在日米軍海兵隊・岩国基地のある街の名。現在米兵2000名、うち15%は黒人兵。様々な基地問題が起こり続けており、約20年前より日米両教会が「兵士センター」を作り、多様な牧会活動をしている。

 キリストがこの地において何を為そうとしているのか、何を語ろうとしているのか、という問いを私は誠実に問うてきました。

 まだ十分な答えを得たとは言えません。

 しかし、イエスがなぜ十字架上で殺されたのかを考えてみるならば、私はその《十字架上の死の苦しみにあずかる》仕方で宣教しなければならないと思っています。

 イエスのとった振る舞いが当時の支配者たちの望んでいた社会秩序、人間観を拒否したが故に、イエスは十字架にかけられたといえます。

 ユティカ、カワシモのような非人間化された社会に生きている人間は、より良い生活をしたいと思っています。

 そして、この欲求がより人間らしい生活への希望となり、また現状を変革していく原動力となります。

 しかし、この欲求を抑圧する社会構造が一方では存在しています。


 私たちキリスト者は、抑圧された人々の状況の中に身を置いて、生きる意味の見出しうる社会、人間らしい生活のできる社会を生み出す状況をつくっていくように、神から召されているのです。

 そしてユティカやカワシモ、その他あらゆる非人間化された状況の中においても、私たちの内に住んでいるキリストは常に力強く輝いており、そして常に私たちの生に意味を与えんとしているのです。

(1979年7月15日 説教、記録:渡辺敏雄伝道師)


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