1979.7.22、夏期集会の翌主日、神戸教会週報所収
◀️ パンフレット
◀️ 説教「神の苦しみにあずかる」
▶️ 宣教の将来(1979年11月 神戸教會々報)
(牧会21年、神戸教会牧師2年目、健作さん45歳)
「今はわたしは黒人の代表としてここに立っています」。
人懐っこくて、ざっくばらんな人柄のダグラス・マッカーサー宣教師が午後のレクチャーをさりげなく始めた。
が、考えてみれば幾世代にも渡って民族全体が差別され、抑圧されてきた人々の一人を、そしてその苦しみを、「神の苦しみ」に与ることとして生き、証ししている兄弟を、わが教会に迎えたことは、歴史的なことではなかったろうか。
講師もずいぶん緊張していた。
大きな教会で話すのは初めてだと言っていた。前夜はあまり眠れなかったらしい。
置かれた状況での”苦しみ”というものは、おそらく言葉では伝わらない。
もし、彼にできることがあるならば、苦しみを生み出す社会の構造について体験を語ることであり、と同時に、キリストに繋がればこそ”苦しみにあずかり得る”ことを証しすることであったと思う。
前者は午後の発題で、後者は朝の礼拝説教で精一杯なされていた。
老若男女、信仰生活の長短を全部含めたごちゃごちゃの分け方の分団は、教会ならではの交わりの形であるが、4つに分かれたどの分団でも「差別」のことが、自らとの関わりで取り上げられて話されたと思う。
講師の視点からすれば、その内容のたどたどしさは、目に余るものであったかもしれないが、自ずと懇談をそこに方向づけたのは講師の存在の重さによるものであった。
それ故に、今後の課題も大きい。
英語の歓迎の辞やスピーチまで飛び出したり、童心に帰ってゲームに笑った2回の食事時間の明るく自由な雰囲気が心に残る。
多大な労を取られた通訳・森孝一(同志社神学部講師)へは山下長治郎(伝道部委員会)委員長が「よく辛抱してくださいました」と礼を述べた。
一同同感である。
このために労した兄姉に祝福を祈る。
(1979年7月15日の「夏期集会」岩井健作記)