2002.4.7、 神戸教会、神戸教会週報、復活節 ②
(牧会44年、神戸教会牧師 24年目、健作さん68歳)
(神戸教会牧師退任日の礼拝)
礼拝説教 マルコ福音書 4:1-9、説教題「”所与”の恵み」
少し具体的なことを記します。
私の退任は3月31日です。4月1日からは菅根牧師が主任担任牧師です。
ただ、(菅根牧師の)着任は、4月第3週。28日の主日礼拝が最初の講壇です。
それまでの教務は担任教師の大塚伝道師が司(つかさど)ります。
(大塚先生、主任の交替期を4年間にわたり務めて頂くことになりますが、本当にご苦労様です)
私と連れ合いは、教会が借りて下さった仮牧師館に既に1月に引っ越しましたが、しばらくそこに滞在します。
(神戸教会の関係で理事在任中法人の理事会の務め、牧会の継続の記念会、結婚式《菅根牧師と協議済み》、その他の残務のため)
7月中には関東に移ります。既に他界した、溢子の両親が居住していた古家です。
7月より、友人とその教会の要請で、この春、無牧になった神奈川教区の川和教会の代務者を、私は次の牧師招聘までの間、務めます。
お別れにあたって、素人ながらの絵葉書のセットを作りました。「港町の教会」以外は今までの会報のカットに彩色したものです。
会報のバックナンバーと共に観ていただければ幸いです。
礼拝後、記念撮影をしますが、その後、会堂出口でお手伝いの方からお渡ししたいので、お受け取り下さい。今日、おいでになっていない方や、この方にはお渡しした方が良いと思われる方には、メモででもお知らせ下されば、私の方からお送りします。
退任にあたって、改めて「言葉」がある訳ではありません。
先週、説教でマルコ16章の最後が唐突であると申し上げましたように、それ(説教)を通して改めて”日常性に回帰”することが「復活」であるならば、”別れ”は「唐突」であってよいと思っています。
24年間の牧会の日常の全て、その出会いの一コマ一コマが、改めて”甦る”のが、教会という場の出会いと別れだと思っています。
24年間に語ったことは、週報や説教テープ、会報、宣教方針になって残っています。
今年の「宣教方針」は、私にとってはそのまとめの意味が込められています。
「難しい!」と片づけないで、味わって下さい。
24年間、その折々に祈って下さったり、慰めや、励ましを与えて下さったりしたことを感謝いたします。
信仰者・求道者の群れ、「主の体である教会」とそこに遣わされた一人の牧会者夫婦との関わりが、私たちにとっても、イエスの言葉「後で、分かるようになる」(ヨハネ 13:7)という温かみに包まれていることを信じています。
説教「”所与”の恵み」(神戸教會々報 No.165 所収、2002.4.7)
教会員から、岩井先生ご夫妻へのメッセージ
祈祷会感話 岩井溢子(2002 廣島流川・呉山手編)
祈祷会感話 岩井溢子(2002 岩国・神戸編)
『地の基震い動く時』所収版 説教「”所与”の恵み」
第12代 神戸教会牧師 最後の礼拝の挨拶(2002 神戸教会)
変革と継続 藤村洋(2002 岩井先生ご夫妻へ)