変革と継続 藤村洋(2002 岩井先生ご夫妻へ)

神戸教會々報 No.165 所収、2002.4.7
(神戸教会牧師退任の日の会報)

(藤村洋さん71歳、健作さん68歳)


 組織としての神戸教会は今変革の時を迎えようとしている。

 児玉先生が辞任され岩井先生をお迎えしたときと同じように。

 あれから24年が過ぎた。

 その間信徒としてまた役員として岩井先生に接し、牧師のお仕事の大変さを垣間見ることが出来た。

 毎週の説教およそ880回、祈祷会の指導1240回、夏の特別集会と秋の公開集会の準備と指導50回、その他の集会、交わりの会などの指導300〜400回。

 この辺までは多くの信徒にも見えている部分、しかし、葬儀150〜160回、結婚式200回以上となってくると、みんなが知っているというわけではない。

 もっと大変なのは信徒ひとり一人の抱える様々な問題への対応、相談、お世話である。

 この辺になると殆ど見えないお働きである。

 私は大した用事でもないのに、夜、先生のところに電話をした時の先生の低く、くぐもったような「はい、岩井です」とおっしゃる声が忘れられない。

 電話の向こうにどんな問題があるのだろうか、何があっても慌てずきちんと対応しなければならないという先生のお気持ちが籠もったような声である。

 たくさんの教会員の身の上には、何時、何が起こるか判らないのである。

 誰にも言えない、しかし、放ってはおけない様々なことへの対応は本当につらいお仕事であったことと思う。

 まだこの他に教会の建物、電灯から下水までの故障修理の類が突如襲ってくる、しかしこの手のことでは楽しそうに先生自ら道具を握っての対応も多かった。

 本当に牧師の仕事は大変である。

 その上、幼稚園の園長としての仕事、教区、教団の仕事もある。

 忙しい24年間であった。

 先生はいつも走っていた、階段も駆け下りていた、スクーターで飛び回っていた、そんな印象が強かった。

 短いようで多くのことのあった24年間、共に信仰を養った多くの先達は既に天上におられる。

 変革のためとはいえ一つの時代が過ぎていくのは寂しいことである。

 しかし、我らの交わりは教会の枠を超えて継続していく、私たちが今でも児玉先生ご一家にお交わりをいただいているように。

 岩井先生、そして溢子夫人、有り難うございました、そしていつまでもお元気で!

藤村洋


(サイト記:写真説明)健作さんは、同志社大学4年、大学院1年の時、神戸教会への派遣神学生。その当時の一枚。中央が藤村洋兄、左上が健作さん。左隣は溢子さんの姉・小林祐子様(神戸カナディアンスクールの校長秘書)、右隣は溢子さんの兄・小林正樹様。右上は神戸教会員の大内四郎兄。

 藤村洋兄、小林正樹兄、岩井要兄の三人は、東京大学時代の同級生で、学生YMCAの寮も教会生活(美竹教会:浅野順一牧師)も一緒だったそうです。

 24年間、健作さん溢子さんを支え、教会の「変革と継続」の時に直面する神戸教会員から、牧師の「見えない働き」への感謝の言葉がとても心に残ります。

(関連ページ)

教会員から、岩井先生ご夫妻へのメッセージ

”所与”の恵み (神戸最後の説教)

牧会の日常で洗礼と聖餐を考える(2008 出会い・震災)

凍てついた時間と溶ける時間 − 藤村透さんへの想い出(2004 出会い)

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