隠された恵み(2008 礼拝説教・ルカ)

2008.7.13、明治学院教会(121)聖霊降臨節 ⑩

▶️ 隠された恵み(2010年版)

(単立明治学院教会牧師 4年目、健作さん74歳)

ルカ 13:18-21

”そこで、イエスは言われた。……「神の国を何にたとえようか。パン種に似ている。女がこれを取って3サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」”(ルカによる福音書 13章18−21節、新共同訳)

 このイエスの「パン種」の譬えは、すぐれた隠喩です。

(1)第一に、隠喩はイメージを与え、経験を呼び覚まし、その物語へと引き入れます。

 ギリシア神話の英雄アキレスは、不死身で足が早く、トロイア戦争で活躍をした故に「アキレスはライオンである」と言われました。「ライオン」は隠喩です。

 私たちは、「パン種」の隠喩を通して豊かにされます。聞き手を隠喩理解可能な存在だと認めていることが「恵み」です。

(2)第二に、このお話はパン焼きの技術の問題ではありません。「情報言語」ではなく、象徴を与えている言葉「象徴言語」です。

 情報しか求めていない人は失望します。律法解釈の情報を求めた学者にはつまらない話です。その類の人間は現代にもたくさんいます。

(3)第三に、この譬えは「神の国」の譬えです。

 それは「イエスが”アッバ”即ち”父”と呼んだ方との関係」そのものです。

「神の国を何に喩えようか」の主語はイエスです。日常のパン焼きの経験を選択したのはイエスです。日常の外に、宗教を求めよ、ではないのです。

 日常生活の象徴に「宗教性」は宿るのです。

 パンを焼くことは、神の国の象徴です。

 パウロは彼の書簡の中で、

”神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。”(ローマの信徒への手紙 8:28)

 と表現しましたが、「万事が益となる」という物語の世界へ、象徴が招くのです。

(4)第4のこと。「パン種を…粉に混ぜる(mixed)」という表現のギリシア語は、混ぜるよりは「隠す」という意味です(”egkrupto”)。

 イエスの父の働き「神の国」は、隠された仕方でやってくるのです。

 パン種は入ってしまうと、入っているのかどうか、分かりません。生地全体に浸透して、抑えることの出来ない発酵力になります。混ぜられて、隠された形で生きていて、力になっていくということです。

(5)第五に「やがて全体が膨れる」。

 神の国は定義ではありません。定義は変わらない。しかし、イエスの父なる神との交わりに生きること、生かされることは、全体が膨れてゆくプロセス・過程を意味しています。

 イエスは神の国について「教えた」のではありません。「物語った」のです。

 私たちはその物語の「聞き手」であり、「担い手」であり、「語り手」に組み入れられて行くのです。究極の目的に向かって歩み出すのです。

《祈り》

 神よ、日常の些細なことに隠されている恵みを味わう喜びを与えてください。主の御名によって。アーメン。

121_20080713

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