愛の働きで《コロサイ 1:9-14》(2001 礼拝説教・週報)

2001.2.18、 神戸教会週報、降誕節第8主日
▶️ 2009年「教会のために祈る」

(牧会43年、神戸教会牧師 23年目、健作さん67歳)

コロサイの信徒への手紙 1:9-14、説教題「愛の働きで」


 20年開拓伝道をされてきた教会の「記念誌」に次の言葉がありました。

「私どもの弱さにもかかわらず、主から託された使命の一端を担って今日まで歩むことができたのは、主のみ言葉の力であり、また多くの教会の方々の支援に依るものです。」

 ここには二つのことが含まれています。

(1)「主のみ言葉」という「福音」の出来事そのものの力という面
(2)「多くの教会の方々」という「主のみ言葉」に応答する人々の働き

 一方を”神の働き”といえば、もう一方は、”人々の応答”ということです。

 教会の誕生、成長というのは、この二つが相俟ってなされるものだということをよく示しています。


 コロサイの信徒への手紙でも、このことがよく出ています。

 6節は「あなたがたにまで伝えられた福音は」と「福音」が主語になっています。

”あなたがたにまで伝えられたこの福音は、世界中至るところでそうであるように、あなたがたのところでも、神の恵みを聞いて真に悟った日から、実を結んで成長しています。”(コロサイ 1:6、新共同訳)

 福音は、それ自体が主語なのです。

 これは教会が絶えず立ち返ってくる拠り所です。

 教会は社会の団体のように、志を同じくする人々が集まって創ると言うものではないのです。

 6節では「神の恵み」と言い換えられています。

 そして、それに呼応するものが、6節の後半では「神の恵みを聞いて真に悟った日から、実を結んで成長しています」と述べられます。

「福音」が主語だ、と言う面に対して、「聞いて真に悟って、身を結んで成長する」という面は、教会の主体的な面だと言えます。

「聞いて真に”悟った”」という”悟る”という言葉は「エピギノスゴー」(動詞形)という言葉です。この言葉と同じ語源の「エピグノーシス」(名詞形)が、9節(悟り)、10節(知るように)に出てきます。

 これは「認識」とも訳されますが、行動を含んだ理解です。

 例えば、生活習慣病を認識するということは、生活習慣を変えるという行動を含んでいます。

 9節から始まる(コロサイの)著者の祈りは「この認識ができるように」との祈りです。


 コロサイの街では、迷信的哲学(人間を観念の虜にする)が力をもっていました。

 それを破る闘いが、この教会の直面する問題でした。

 このことは現代でもあまり変わりありません。

 20世紀に何故キリスト教は、ナチズムをはじめとする人間の陵辱を防ぐことができなかったのか、反省は今も続いています。

 それは、信仰(宗教)が生活や倫理や政治や経済や医療や教育など、あらゆる文化と乖離していることへの反省でもありました。

 コロサイの教会のために著者は祈ります。

 その祈りは、執り成しの祈りです。

 信仰が生活化することへの祈りです。

 このことは根源的に、イエスの十字架の死と命に関わる出来事です。

”御子によって贖い、すなわち罪の赦しを得ています。”(コロサイの信徒への手紙 1:14、新共同訳)

 祈りを持ってここをたどる、ここに教会の姿があります。

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