十字架がついた

十字架がついた

2003.8.30

 川和教会のバス通りに面した壁に、通りがかりの人に、特にバスに乗っている人に良く見えるようにとステンレス製の「十字架」が取り付けられました。“ここに教会がある”ということを多くの人に知って戴きたいからと、前からの懸案だったのです。「十字架」はなんといっても教会の象徴ですから。

 でも、どうして十字架が教会の象徴になったのでしょうか。その昔、十字架は政治犯の死刑を執行する残酷な道具でした。紀元29年ロ−マ帝国の支配地ユダヤで一人の政治犯が死刑になりました。十字架につけられたのです。囚人の名はナザレのイエス。彼は、悩める人、貧しい人、病める人の友として行動し、当時の形骸化したユダヤの宗教を批判し、それを実践しました。ユダヤの宗教権力とロ−マの権力の双方から敵視され、殺されたのです。イエスを慕う人達は、イエスに「神の子」の姿を見ました。そうして十字架をイエスの存在の徴とするようになりました。そういえば、十字架は、横棒と縦棒が交叉(クロス)してできています。人間(水平)と神(垂直)が交叉して出会うことを象徴しているようです。教会は、人が神に出会うところです。キリスト教は伝統的に、十字架に、イエス(神の子)が人間の罪の贖(あがない)を成し遂げられたという「救い」の象徴を見てきました。あなたは、十字架に何の象徴を見ますか。

 聖書には「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マルコ 8:34)とイエスが言ったと記されています。私にとっての十字架は何でしょう。

川和教会 代務牧師 岩井健作