私がたどった日本基督教団の50年 − 特に1980年代以降の宣教論の変遷(2010 講演・巣鴨)

2010.8.15、午後、巣鴨ときわ教会
礼拝説教「種を蒔く

(明治学院教会牧師、77歳)

Ⅰ.はじめに

1.私の日本基督教団における経験

① 経歴
受洗(1946年。教会歴、坂祝、京都)以後64年。
受按(1961年)。
牧会歴:広島流川(2年)、呉山手(5年)、岩国(13年)、神戸(24年)、川和(2年)、明治学院(3年)49年。

② 教団は合同教会《組合・日基・メソジスト、他。改革長老主義が中心ではない》

③ 地域《農村・都市・関西を経験、辺境が生きている。東京が中心ではない》

④ 教会の宣教の守備範囲
《幼児教育[幼稚園・保育所]、社会福祉事業、キリスト教主義学校[神学校]、社会実践、海外宣教など、教会中心主義ではない》

2.私が受けてきた問題提起

①「農村伝道」は「教団」の主軸、日本近代主義への批判的視点保持の拠点。

② 宣教は「パッケージ・メッセージ(教義、信仰告白)」の言葉による布教の優先ではなく、「マター・オブ・エンカウンター(出会いの出来事)」の生起への参与。

(「神の宣教、ミッシオ・デイ」の神学が提起したもの)。

「新日本建設キリスト運動 1950年代」の失敗から「教団宣教基礎理論(体質改善論と伝道圏伝道論)1960年代」への転換。

「共に生きる」宣教論(最近これを破棄する動きが露骨)。

③ 情況捨象の「信仰告白」をどう克服するかの問題。歴史意識の欠如からの脱却。1966年、夏期教師講習会での「若手牧師」の発言(岩井健作を含む)が「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白(戦責告白)」(鈴木正久議長)に結実。

 その講習会の席上、沖縄への罪責の欠如を山里勝一牧師が指摘(1969年の沖縄キリスト教団との合同から1978年の沖縄教区への教団問安使派遣へと展開。

 1985年、第23回総会「日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同とらえなおしと実質化の推進に関する決議」可決。「(合同)特設委員会」発足(委員長・岩井健作)。

④ 60-70年代の学生・青年(東京神学大学他)による既存体制に対する問題提起。

 教団の会議制、教師および教師検定問題、万博キリスト教館出展問題、近代主義批判、宗教批判。私はこれを不十分ながら、持続して受け止めている。

⑤ 聖書学からの問題提起。福音書の歴史研究から。史的イエスと教義・神学的に理解されたキリストとを明確に区別し、聖書各文書を個別の「信仰告白的文書」として歴史研究の篩の上で受容する。いわゆる「教義的信仰」の歴史化の作業。

⑥ ラテン・アメリカの教会からの問題提起。2005年、ブラジル訪問(渡辺英俊牧師と共に)。最下層の人々の聖書学習運動(解放の神学の実践化)。

Ⅱ.1980年代以降の宣教論の変遷

1.概略

 教団は1969年以降「問題提起者」によって第16回教団総会が未開催となり、1973年、第17回総会で初めて戸田伊助議長を選出、その後、後宮俊夫議長(1978-1988)時代までは、問題提起を受けて、教団運営がなされる。

 その後、辻宣道、原忠和議長(1988-1996)時代はまだ不十分ながらその体制が継続する。

 しかし「戦責告白」に対して、反対の意見を持つ人たちが「福音主義教会連合」(教団正常化の政治的意図実現のための運動:1974年発足)を結成、以後、問題提起者および「戦責告白」の実践路線の者たちと激しくぶつかりながら、東京教区総会再開(1990/9/23、19年ぶり)を契機に、第27回教団総会(1992/11)で23年ぶりに全教区が揃う。

 第30回総会(1996/11)で多数派を占めた「正常化路線」派は小島誠志議長を選出、政治的主導権を握り、以後「教団信仰告白・教憲教規」による教団”正常化”の実施を進めてきた。

「共に生きる」宣教論から「福音伝道」路線への転換を強固に打ち出し、戦後宣教論(体質改善論、ミッシオ・デイ)の廃絶を組織的にかつ理論的にかつ政治的に実施して今日に至る。

 教団教会の数的な減退に危機感を抱き「戦責告白」以後の歩みを誤りと、山北宣久議長は「荒野の40年」なる総括をする。および北村慈郎牧師への「未受洗者陪餐」問題による「免職」決定を行い、教団の秩序「回復」を計る。

2.1980年−1995年の主な教団の出来事(宣教論が未だに生きている時代)

 部落解放センター発足(1981年、大東市移転開所・1994年)、在日大韓基督教会との協約(1982年)、沖縄教区牧師館会堂再建資金募金4600万(1978年以来)送金。台湾基督長老教会との協約(1984年)、合同特設委員会発足(1985年)、宣教方策会議(1986年、「聖書の読み方のつきあわせ」1987年も同じ方法で)、旧6部・9部教師および家族・教会に謝罪し、悔い改めを表明する集会(第24回総会、1986年)、天皇代替わりに関する情報センター(設置1988年、『情報センター通信』発行)、障害者差別問題と取り組む活動者会議(1988年)、阪神淡路大震災救援活動(1995年、「地域の再生なくして教会の復興はない」)。

 その後、第33回教団総会(2002年)、沖縄関連議案を廃案にする。沖縄教区「当分の間距離を置く」。

3.教団(教会)の歴史を見る視点

 イエスの宣教活動(振る舞いと言葉)
ーマルコ10:45、「仕えるために」

人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来たのである。(マルコ 10:45 新共同訳)

ールカ15:4、「見失った1匹」からの距離

「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。(ルカ 15:4 新共同訳)

午前中の礼拝説教「種を蒔く」

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