「望楼」全テキスト(2019 管理)

(サイト記)岩井健作さん執筆の「望楼」(「キリスト新聞」コラム、33回分、2009年初頭〜2011年夏、明治学院教会牧師5年目〜7年目、75歳〜77歳)の本文テキストだけを集めたページです。

(1)2009.1.17

「平成二十一年」という年代標記の年賀状を今年も幾つか戴いた。皆、善意の人達だ。国家主義者ではない。だが、イノセントな歴史意識に戸惑う。では、元号に対して西暦を共通暦として用いれば問題はないかといえばそうではない。イスラム暦は別な歴史理解を持つ。いずれにせよ暦それ自身を相対化する視座がなければその思考は危うい。キリスト者の歴史意識も問われるであろう。『市民の暦』(1973年 朝日新聞社。小田実、鶴見俊輔、吉川勇一編)は、「今日は何の日」感覚で367人が3千項目を綴って1年の暦を書き記した。暦の意識の根源に、失われてはならない人間の尊厳や命を据えて、それを守るために戦い抜いた人々や出来事を記憶にとどめる暦に仕上げている。1月17日は「東京都教組、男女同一賃金を初めて獲得。1948(昭23)年」とある。3年越しの戦いであったという。教組婦人部は、座り込み、徹夜交渉など、徹底的な戦いをしたという(丸岡秀子)。改訂版をつくるとすれば、この日は「阪神淡路大震災」(1995年)の日。『地震は貧困に襲いかかる』(いのうえせつこ、花伝社 2008年1月17日)という感覚と記憶の日にしたい。(健)

(2)2009.2.21

「聖書研究(会)」は教会の大切な日常的営みだ。教職や発表者の神学的知見と信仰的読みが証される。が、方法はほぼ上意下達・一方方向だ。この世界的、歴史的流れに対抗して参加型の方法を徹底して提唱・実践しているのがラテンアメリカの「ベルボ聖書センター」の「聖書学習運動」である。参加型学習は、ブラジルの教育学者、パウロ・フレイレの思想の流れを汲む。サンパウロ市にある神言会修道院を本拠地に1987年以来展開されてきた同センターの所長は中ノ瀬重之神父(91年~)。30人の講師はカトリックとプロテスタントの人びとによって構成され、エキュメニカルな姿勢で参加する。このほど、この運動の民衆が用いるガイドブックが日本語に翻訳された。『喜んであなたのパンを食べなさい  共に学ぶ「コヘレトの言葉」』(マリア・アントニア・マルケス、中ノ瀬重之著、大久保徹夫、小井沼眞樹子訳、ラキネット出版、2009年)。翻訳者の眞樹子牧師は、かつて亡夫小井沼國光牧師と10年間、サンパウロ福音教会の牧師を務めていたが、この春再び、日基教団世界宣教委員会から宣教師として、フレイレの出身地近くのメソジスト教会に派遣される。祝福を祈る。(健)

(3)2009.3.28 

 復活日が近づいてきた。1944年のこの日「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」が教団統理者富田満の名で発表された。戦争協力の罪責を償う意味で67年の「復活主日」には総会議長鈴木正久の名で「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」が出された。それは深い淵からの懺悔の自覚であった。しかし、「告白」は所詮言葉の営みだ。あれから42年。「『ことば』は『からだ』で語るもの」(渡辺英俊著『地べたの神』新教出版社、2005年)と指摘されるような「からだ」がどれだけ育っているだろうか。その「からだ」をめぐって、中原真澄氏の言葉が心に残る。彼は「キリスト教の精神を次の世代に受け継ぐために」という一文(『福音と世界』2009年3月号)で、三つの提案をしている。①体験としての肉体性の回復。②時代の制約下の言葉の相互性。③ミクロな「歴史」の重視。「ここ数年、難病に苦しむ連れ合いを介護し、排泄と摂食(この順序!)に苦闘しつつ日々を共に生きていると、……ミクロな「歴史」こそがガリラヤのイエスの眼差しが捉えた民衆の日常で有り……ここに普遍が」ある、と。「復活の“からだ”」への思考を巡らせたい。(健)

(4)2009.5.7

 聖書のテーマを追い続けた洋画家・田中忠雄さんの作品に「基地のキリスト」(1953年)がある。氏の現代的な制作理念を示していて貴重だ。米軍基地とキリスト(教会)は戦後日本の教会の火急な重要テーマであるが、基地足下の教会以外には忘れられがちである。しかし沖縄をはじめ基地所在地にある教会は呻吟している。それは基地犯罪とその危険性、爆音による住民被害、地方自治の侵害という以上に、戦争の加害者になる責任があり、イエスの「平和を作りだす」(マタイ5:9)御旨と離反するからだ。今、山口県岩国市では熾烈な基地闘争が過半数の市民を巻き込んで行われている。世界戦略遂行のための米軍再編による、神奈川県座間市からの艦載機移駐を拒否した前市長の井原勝介氏は、住民投票と市長選で二度も勝利しながら、中央政府権力の圧力に屈伏させられた。しかし「愛宕山に米軍住宅を作るな」の請願署名は現基地容認市長の得票数を超え市民の過半数5万747筆が集まっている。4月12日、愛宕山に2千人が集結し反基地を表明した。運動には日本基督教団岩国教会牧師の大川清さんが「住民投票の成果を活かす岩国市民の会」代表として関わっている。祈祝福。(健)

(5)2009.6.20

「平和憲法を護れ」は本紙のモットーである。その中心は9条第二項である。今「九条の会」は全国で7433が活動している。「鎌倉・九条の会」は5月30日、発足4周年の講演会を開いた。「人間らしく生きられる社会を!」のテーマで内橋克人、湯浅誠、小森陽一各氏の鼎談。約1500人が参集した。生存権の25条が破壊され「生きられなく」なった人の呻きが聞こえてくるような集会であった。あの穏やかな内橋さんが、涙ぐんで訴えていた。6月2日、最初の「九条の会」は日比谷公会堂で2千人余が集まり「加藤周一さんの志を受けついで」の講演会を行った。井上ひさし、大江健三郎、奥平康弘、澤地久枝の各氏が加藤氏の実践的知性から受けた思想とその現実的展開について情熱をもって語った。保守反動政府は解釈改憲で自衛隊の海外恒久派遣の法整備までやってのけ、「憲法審査会」の発足を焦り「近代立憲主義憲法」の息の根をとめ「君主制憲法」への逆行を実現する質の違う憲法制定を推進している。今こそ本格的な憲法学習が必要ではないか。「隗より始めよ」。キリスト教界でも西川重則さんが『わたしたちの憲法』(いのちのことば社、2005年)を著している。(健)

(6)2009.7.25

 児島昭雄氏の写真集『日本の教会堂・その建築美と表情』(日本基督教団出版局、1992)に「光と合掌の教会」が載っている。宮崎県日向市の有形文化財建造物の日向新生教会会堂である。基本設計は芸術書道家として名高い吉田功氏。同氏の友人山本爽起子さんがここの牧師を43年一筋に務めている。彼女は今年『雲と火の柱』(コイノニア社)を出版した。吉田氏が装丁し、緑色の布装に彼の金文字が光る宝石のような本だ。山本さんが『教会と聖書』誌に連載した「聖書研究」13編と吉田氏の詩のような文章を含む会堂の記録を二つの焦点にした本である。聖書研究にはテキストの読みに織り込まれて、100人近い交流のあった牧師や信徒の名が出てくる。山本さんは熟年になって新約学者・青野太潮氏のもとで新約原典を学び、歴史批評的方法で聖書を読み、「戦争責任告白」の意義を再評価し、歴史の苦難を負う教会形成へと軸足を深めた。大らかな人柄もあって教区議長や教団常議員なども務めた。筆者はこの教会に招かれ、現代の教会の変革のエネルギーを感じた。エルサレムの中央からではなくガリラヤの辺境から歴史を動かす出来事が起こったことを深く連想するひと時であった。(健)

(7)2009.9.12

 大都会の中にこんな広大な緑と芝生の空間があることに驚いた。横浜市保土ヶ谷区狩場の「英連邦戦死者墓地」である。8月第1土曜日、毎年「英連邦戦没捕虜追悼礼拝」が行われている。呼び掛け人は永瀬隆・雨宮剛・故斉藤和明の各氏、実行委員長は奥津隆雄氏、いずれも青山学院関係者だ。今年で第15回になる。この墓地には第2次世界大戦中、日本の捕虜となり、日本に移送され過酷な強制労働などで犠牲になった1800余名の墓がある。国際法に悖る扱いがあったという。墓石には異国に眠るものたちに遺族の短い言葉が記されている。憎しみの消えない犠牲者と日本人との和解を祈るのが礼拝の原点だとは、主催者の言葉。当日約130余名の参列者に向かって「追悼の辞」を述べた関田寛雄青学名誉教授は、エフェソ2章から「敵意という隔ての壁を取り壊す」と題し、日本軍の罪責を謝罪し、キング牧師の言葉「敵は愛することしかない」に注視を促し、現今、東北アジアの政策が「対話と圧力」路線であってはならず、真の「対話」こそがここに眠る兵士たちに応える道だと訴えた。奉仕をした東京農工大の男性合唱団の力強い讃美歌が森にこだまして参列者の魂に染みた。(健)

(8)2009.10.17

「1846年の琉球は日本ですか」こんな質問がでた。穏やかな照屋善彦琉球大名誉教授が語気を強めて「そうです」と答えたのが印象的だった。6月13日東京・教文館ウェンライトホールでの日本キリスト教協議会教育部主催の「歴史を学んで、未来を拓くフォーラム ベッテルハイムの琉球伝道」の集会席上のことであった。この年のベッテルハイム師の伝道から163年になる。質問者は1609年薩摩藩が琉球王国に侵攻、実質的な支配においた歴史を知らなかったようだ。『福音と世界』誌(08年11月号)で饒平名長秀・神愛バプテスト教会牧師は、「当時沖縄は異国」との先入観を「浅薄な歴史理解」と批判し、言語学者伊波普猷の「半死の国」を引用し沖縄の苦悩を凝視する。「日本伝道150年」につき「アイヌ情報センター」の久世そらち氏は亡き萱野茂さんの言葉「この島を日本国に売った覚えもない」を引用、“150年”を掲げることは「北海道を幕藩体制に組み込んだ(1869)アイヌに対する収奪と抑圧による侵略の側に立つことの証しに他ならない」(『ノヤ』36号09年8月16日)という。「日本」を歴史認識なくして無自覚に使う感覚を戒めねばならない。(健)

(9)2009.11.28

 この秋、講談社から『ほびっと 戦争をとめた喫茶店』という本が出版された。著者は中川六平さん。副題に「べ平連1970-1975 in イワクニ」とある。中川さんは1950年生れのライター・編集者。この本は若い日の日誌をもとに一気に書いたらしい。「ぼくは20歳になったばかりだった。海の向こうに戦争があった。人が人を殺すことなんてゆるされない。ぼくになにができるか?コーヒーで米兵のこころを掴もう。青春がぼくにあったとすればそれは岩国だった!」彼が店のマスターに担がれた、いわゆる「反戦喫茶ほびっと」の記録だ。この街の2つの教会の2人の「おとなの」牧師たちが影に日向に支えてくれたことが随所に記されている。心に染みる話だ。牧師たちのさらに前にはこの街では高倉徹さんや杉原助さんが牧師だった。11月2日出版記念会があった。六平さんはこの本を若者に読んで欲しいという。「1人の友達がいれば生きられる」と。この喫茶店を手のかかる我が子のようにいとおしんだのは哲学者の鶴見俊輔さんだ。本書に「エール」を送り、一文を寄せている。「今も、書きながら涙がとまらない」と彼にまつわる感動のエピソードが載っている。是非ご一読を乞う。(健)

(10)2010.1.30

『こどもの笑顔を消さないで(うたの絵本)』の歌は、障がい児と共に生き、差別に対する抵抗運動をし続けている福井達雨さんの叫びでもある。今、大人が子どもの笑顔を奪っている深刻な場の一つは、パレスチナであろう。日本キリスト教婦人矯風会はこの1月28日「パレスチナこどものキャンペーン報告会」を行う。2008年12月27日から22日間イスラエル軍はガザを攻撃して412人の子どもを含む1314人を殺害した。「矯風会」は機関紙『婦人新報』12月号を「クリスマス/パレスチナを忘れない」の特集に当て、岡真理・高橋和夫さんほか、切々たる論考を集めている。「アハリー・アラブ病院を支援する会」の『ニュース・レター』28号は、被災の中の病院の活動と共に、原隆さんが「パレスチナ問題」の経緯・歴史・連帯への視点を分かりやすく述べている。1993年、筆者は桑原重夫、村山盛忠さんらと共に、ガザにある聖公会の同病院を訪問した。インティファーダへの報復で多くの子どもが傷ついていた。しかし、子どもが笑顔で日本の支援者たちを迎えてくれたことが忘れられない。『子どもは闇の中に輝いている』と福井さんも言う。(健)

(11)2010.3.13

 普天間基地の移設先という問題の立て方をマスメディアはする。寺島実郎氏はこの発想を破り「常識に還る意志と構想」(『世界』2月号)で、外国軍隊が駐留していて果たして独立国か、という常識に立ち返った問題提起をする。鳩山首相と親しい人だ。日比谷で6千人余りの「辺野古新基地建設をゆるさない 1・30全国集会」が行われ、銀座までデモは展開された。そこには1995年の沖縄米兵少女暴行事件に抗議した8万5千人(主催者側発表)集結の怒りが継承され、今回名護市長に稲嶺進氏を押し出した沖縄の思いが表出されていた。それは「移設」思考をはねのけて、「安保」の見直しを迫る意志であった。日本基督教団神奈川教区有志16名は2月3~5日「米軍再編撤去に取り組む旅」を実施した。筆者も参加して辺野古の抗議テントに座り込んでいたら小林アツシ氏に出会った。DVD『どうするアンポ~日米同盟とわたしたちの未来』を制作したディレクターだ。辺野古、高江、岩国、厚木、横須賀などを現地取材している。「移設」がどこか、などという一歩退けた思考ではなく、アンポ見直しの強固な意思をキリスト者は貫きたい。(健)

(12)2010.4.24

 生活協同組合パルシステムに牛乳をたのんだら「いわて奥中山牛乳」がきた。奥中山は今でこそ酪農、そしてスキーと温泉の観光地だが、太平洋戦争以前は日本軍の軍馬の供給地だった。戦後この寒冷高地が払い下げられ開拓団が入って艱難辛苦の開拓が続いた。奇跡か、団長・八重樫治郎蔵、副団長・野澤義男、事務局長・川守田燦三が皆キリスト者であった。その辛酸は『奥中山・無番地物語』(やえがしこうぞう著、04年 本の森)に綴られている。初代3人の祈りが実って、今や、堂々たる会堂の日本基督教団 奥中山教会は100人近い信徒と共に礼拝を守っている。72年設立の「カナンの園」は13の社会福祉施設及び学園を運営している。その一つ「ひつじ工房アドナイ・エレ」のことは本紙2月20日付に生活支援員の戸田睦子さんが語っている。「みことば煎餅」を作っている「シャローム」では障害者一人ひとりに合わせて機械が動き、作業が進められている。人間が人格として限りなく大切にされ、自然との調和が活かされる。大都市一極の文明が荒廃する中で、信仰と共に生きる田舎に生命が漲る。都市キリスト教会も「辺境」から学ぶべきではないのか。筆者は昨夏ここの地を訪れ、励ましを受けた。(健)

(13)2010.6.19

「怒」「怒」「怒」。沖縄の叫びである。その呻吟への本土の人間の不共鳴が、怒りを増幅している。自責し涙を禁じ得ない。4月25日沖縄の「(普天間閉鎖、国外・県外移設を求める)県民大会」には9万人。キリスト者平和ネットの姿も多数見えた東京の連帯集会が公称1千人。その落差が現実だ。単純な人口比からすれば「沖縄」は東京の90万人集会の出来事であり、島民の半数以上が集結した徳之島の「怒」は数字にはならない。にもかかわらず米国の従属国に徹し、沖縄を切り捨てた政府は、5月28日「日米合意」で辺野古、徳之島に新たな基地新設を盛り込んだ。6月3日、東京・中野での「許さない!日米合意」集会。400人あまりの小集会に、沖縄・徳之島から安次富浩・山内徳信・上原成信・高里鈴代・田川忠良・久田高志さんが緊急報告で渾身の訴えを行った。来援の「優しさ」に心が震えた。日基督教団西原教会員の高里さんは「日米合意」文書を声をあげて読み、「沖縄の自治体との意思疎通を強化する」との項目に地方自治を侵害する姑息な懐柔への怒りと決してそれを許さない決意を語った。稲嶺名護市長は「新たな屈辱の日」だという。本土の良心を呼び覚ましていきたい。(健)

(14)2010.8.7

 7月30日、作家小田実の没後3年を迎えた。小田の多彩な活動と「難死」の思想を継承する人々が17日、YMCAアジア青少年センター(東京都千代田区)で「偲ぶ会」を開催。小田の「人生の同行者」玄順恵を含む6人のスピーカーの1人、北村毅(早大高等研究所助教)は1973年生まれ。その「小田実が遺したもの……第4世代が培うもの」との講演は新鮮だった。同氏の著書『死者たちの戦後誌』(御茶の水書房 2009)は小田の「私の思考の底にはいつも死があるような気がする」に触発された研究だという。小田は沖縄戦の死者に向かい合うのに、日本兵の玉砕地、南の島々の死者を訪ねて沖縄に入った。戦争死からの思考が今後小田とキリスト者の平和思考との接点になればと思った。小田は、大阪空襲、アウシュヴィッツ、沖縄などの経験や足でたどったおびただしい悲惨な戦争死から死を思考する。キリスト教はともすると「十字架の死」に歴史を収斂させて死を思考する。その思考が抽象化しないためにも小田の思考に接点を求めてゆくことが大事だと感じた「偲ぶ会」のよびかけ人の1人今村直さんはキリスト者政治連盟書記長。「平和を実現するキリスト者ネット」は主催団体の一つ。示唆深い繋がりだ。(健)

(15)2010.9.25

 70歳代を軸にした市民運動が今、日本の世論に力を発揮している。全国で7500を超えるさまざまな「九条の会」などだ。渡辺治さん(一橋大学名誉教授)の指摘である。そこには数多くのマイクロ運動誌がある。筆者の購読範囲にもそのいくつかがある。そのひとつ『鎌倉・九条の会ニュース』(第7号、7/1)が心に残る。その渡辺さんの民主党政権分析がある。「普天間問題」の「日米合意」への回帰を「予言」し、これを「沖縄だけの問題」にさせてはならないと強調されている。その後、事態は名護市議選挙で「沖縄は辺野古NO」を突き付けた。「本土」で、やっと継続した「菅政権」にこの「NO」を本気で突き付ける気概が持てるのかが今問われる。もう一つは鎌倉ならではの「井上ひさしさん追悼」である。内橋克人さんのNHKラジオ放送(4/13)の心に染みる追悼文を載せている。井上さんの「むずかしいことをやさしく/やさしいことをふかく/ふかいことをおもしろく/おもしろいことをまじめに/
まじめなことをゆかいに/そして、ゆかいなことはあくまでもゆかいに」の言葉を噛みしめた。数多くのマイクロ運動誌にはこの「ゆかいさ」がある。それを大事にしたい。(健)

(16)2010.11.18

 生物多様性条約第10回会議(COP10)で途上国の貴重な生物資源の利用と利益配分を決める「名古屋議定書案」は作成が難航した。アフリカ諸国は利益の「遡及適用」を植民地時代にまで遡ることを主張したという。被造世界と人間の関係で、被造物に対する人間の暴力を戒めた聖書的・神学的なゲルハルト・リートケらによる発言を耳にし、南北問題で経済の格差問題や植民地主義批判を突きつけられたのは、先進諸国キリスト教にとってそんなに遠いことではない。これも「解放の神学」などで、聖書解釈、神学のパラダイム転換が求められている。今回の争点となった利益配分の問題は、「生態系保全」への英知結集を迫られ、先進諸国家のみならず企業の責任までもが問われていることだ。折しも、キリスト教世界ではこの6月、世界宣教会議百周年「エディンバラ2010」が開かれた。「全被造物に向けられた変革と和解をもたらす神の愛の宣教への参与」はCOP10の課題を受け止める神学的素地があると信じる。それにしても、社会の動きが問題にならず、いわゆる「教勢」の低下が喫緊の主要なテーマになっている「日本の教会」は、この課題をどう受け取っているのだろうか。(健)

(17)2011.1.22

美術の側の多くは政治に無関心であり、政治的運動の側は芸術に無関心だった」アジアを描く画家・富山妙子さんの言葉である。富山さんの原体験は女学生時代のハルピンの街の植民地抑圧下の極寒の凍死犠牲者、日本の警官に泥靴でけられる「苦力」(クーリー:港湾労働者)である。画家として、炭鉱、光州抵抗、日帝戦争責任、「慰安婦」などの強烈なテーマを神話的ルーツをも交えて描き続けてきた。今は亡き松井やよりさんや東海林路得子さん(矯風会ステップハウス所長)たちと運動を共にしつつ、他方では音楽家・高橋悠治氏と絵画と音楽の共同制作の芸術表現を行っている。87歳でなお意欲的活動を続ける富山さんの作品展が東京YWCAの主催で同会館カフマンホールで昨年末行われた。後援にはキリスト教団体の名も。自伝『アジアを抱く – 画家人生 記憶と夢』(岩波書店 2009.5)には、近代西欧文化を普遍とする思考、また男性文化中心の芸術や政治を鋭く問うまなざしがある。ラテン・アメリカでの旅の経験をも包含してアジアの悲惨と同時に命が描かれている。「抱く」という表題の彫りの深さに圧倒された。現代日本のキリスト教芸術家たちとの対話はあるのであろうか。(健)

(18)2011.2.19

 かつて公共公園の遊具について放映したNHKは、横浜市都筑区の川和保育園の園庭を取り上げ、取材していた。その理念とモデルは(社)日本公園施設業協会々員(株)アネビーのパンフレット『遊び込むための園庭設計』に紹介され、「このような園庭がつくられ維持されているのは現代の奇跡」とある。その根源は寺田信太郎園長の保育思想だという。その寺田園長が『子どもと親が行きたくなる園』(監修・佐々木正美 すばる舎 2010年10月)で、子どもの遊びについて「危険を遠ざけるのではなく、危険を感じ取り、体験することが自分の身を守る力を育てる」と書いている。「たいへんなことが なんども なんどもあった そのあとで たのしいことがおこる」とは卒園文集の子ども自身の言葉である。川和保育園の創立者寺田キクさん(1901~1990)は共立女子神学校の出身。川和伝道所(現日本基督教団川和教会)の牧師であった。貧しい農村の夏の託児が創始だという。こんな園がキリスト教界にあることが嬉しい。筆者は月1回、この園の幼児礼拝のお話しをさせていただいているが、遊びに集中する子どもたちは、澄んだ目で食い入るように聖書のお話を聴く。(健)

東日本大震災(2011.3.11)

(19)2011.3.19

 沖縄本島北部の東村高江では、米軍ヘリパッドの移設工事が強行され、阻止する住民ときわどい攻防が続いている。日基教団岩国教会の大川清牧師も応援に出かけてきたという。高江地区は集落の安全とヤンバルクイナ、ノグチゲラなど希少な固有種の保護、住民の水源確保など、何よりも戦争荷担拒否から反対決議をして、工事監視を続けているので、4年前に着工されたが進んでいなかった。だが菅政権がそれを強行した。米国からの指示だろうかとさえ疑う。これほどまでに米国従属の政府を許してよいのだろうか。このことを大手メディアではほとんど見かけない。ただ、東京新聞だけが3月1日の「こちら特捜部」で報じた。特筆評価したい。沖縄県企画部は「2010年米軍基地返還跡地への夢 絵画コンクール」入選作品を公表した。県内の小中学生から1001枚の応募があったという。ホームページで小学校低学年、高学年、中学校の最優秀賞を開けてみた。「にじいろのでんしゃにのってみたいな」「沖縄だよ ぜーんぶ集合」「未来へ続く美らパーク」。青い空と海、そして緑、躍動する子どもたちが描かれている。子どもたちの夢を実現するのは、「本土」の責任ではないか。(健)

(20)2011.4.16

『原発への警鐘』(1986年、講談社)の著者・内橋克人氏は、この度の「福島原発」事故について、原子力産業を推進してきた企業、さらにそれに「もたれ合い構造」で「原発安全神話」の浸透に力を発揮してきた、政府機関、ご用研究者・学者たち、マスメディア(新聞・TV)の総体がこのような悲惨な人災の責任者であることを、名を挙げて厳しく指摘する。情報や世論調査すら「あちら」側だという。今は亡き化学者・高木仁三郎氏は「原子力資料情報室」を設立し、「市民科学者」を標榜して、その「あちら」側にたいして一貫して被害者になりうる「人間の側」に立った。あちら側を責めればよいと言うものではない。エネルギー問題については、究極には、一人ひとりの生き方の選択にかかわる。「安楽」の「あちら」側か「苦渋」の「人間」の側か、と同氏は言う。人間破壊者の責任を明確にし、自分の生き方の選択をすることは、どちらも聖書の信仰の歴史の根幹に呼応する事柄である。被災地・被災者へのこまやかな救援活動と共に、「福音」の根幹を発信する「キリスト教」そして「教会」でありたい。この度の「震災」への関わりに悔いを残さないために。(健)

(21)2011.5.28

 本紙は「東日本大震災」関連で5月7日付号に「宗派越え『脱原発フォーラム』」の記事を掲げた。アクセントを「宗派越え」ではなく「脱原発」に置きたい。今度の震災は日本が「復興」に頑張ったかどうかよりも、「脱原発」の価値観を選び取り、世界に発信できるかどうかが問われている。あれ以来リーダーとしてさえない菅首相は5月6日、珍しく浜岡原発ストップを投げかけた。しかし政策を変えたわけではない。原発既得権益勢力の総反撃があるだろう。脱原発を人間の命を守る価値観として標榜する民衆との熾烈な攻防戦が展開する。菅首相の政策転換まで監視をしなければならない。「市民が声をあげて、宗教者たちも自分たちの使命をもう一度確認して、国家権力に対して闘いをしてゆきたい」と先のフォーラムを結んだNCC(日本キリスト教協議会)副議長の城倉啓氏の言葉は重い。「脱原発」は今日本の教会やキリスト者にとって宣教課題の通奏底音である。「伝道」が第一だ、「宣教」という概念は教会にはなじまないという正統的神学を表明する人達は、「自分達の使命をもう一回確認して」を深く受け取ってほしい。冷遇されてきた脱原発学者たちも立ち上がってほしい。(健)

(22)2011.6.25

 神様、原発にあまりにも無知であったことを懺悔します。原発について政府、東電、企業、御用学者、マスコミの安全神話に埋没して無批判であったことを懺悔します。心ある人たちが、核廃棄物が人類には処理不可能で、それを前提としたエネルギー消費は、神のモラルに反すると叫んできたことにやっと気付きました。首都圏で、そのひとりとして、電気を当たり前のように消費してきたことを懺悔します。お赦しください。この背後には、何の『罪』もないのに、我が家、我が街、我が仕事を、追われて棄民とされたフクシマのあの地域の人達がいます。この人達は繁栄日本の『贖罪』なのです。この人達の苦悩、悲嘆を覚え、再起に繋がって生きる道をお示しください。放射線計測・原子力研究者の小出裕章さんは『研究室でも家でもクーラーは使いません。TVも見ませんし、エレベーターやエスカレーターを使うこともしません』(『隠される原子力・核の真実』創史社)と淡々と述べています。ヒロシマ・ナガサキの核被爆国がさらにフクシマを体験して、《脱原発》の発信国へと変貌するように、わたしたちの小さな努力を力づけてください。主の御名によりて。アーメン(健)

(23)2011.7.23

「結束力だけは自慢できる」と南三陸町中山集落の阿部倉善さん(馬場・中山生活センター会長)がNHKの取材で語っていた。震災直後、外部との連絡が途絶えた中で、集落の漁民家族約220人は高台の集会所で避難共同生活を始めた。阿部さんのリーダーシップは日頃の漁業生活の共同意識がベースにあり、災害緊急時を乗り切ったのだろう。4月11日からはホームページを立ち上げ、刻々と変わる避難生活が毎日数十枚の写真で綴られている。災害時の立ち上がりは自助、共助、公助の三つが大事だと言われる。必死の自助に加えて多くの共助の支援が入っている。キリスト教関係でも仙台北キリスト教会、錦織バプテスト教会、仙台YMCA、佐久バプテスト教会。他にアジア教会、国境無き医師団、高野山真言宗、企業、個人、ボランティア団体……。仮設住宅も行政の杓子定規には怒りをぶつけて交渉、土地も私有地を近くに確保、道も自分たちで整備、近くセンターの閉鎖を迎える。筆者は7日、阿部さん夫妻を訪ねた。これまでの歩みを涙を流しつつ語ってくださった。地震・津波災害は至る所で日本の地域力、そして「民力」を引き出した。新しい力に注目したい。(健)

(24)2011.9.3

「本土の人間に沖縄を語る言葉があるのだろうか」との問いは作家大城立裕氏のものだったと思う。その棘を覚えつつ記す。「最低でも県外」がアメリカの恫喝に屈したその次の首相も、代替えは辺野古にという「日米合意」を残してまた辞める。3・11以降、本土のジャーナリズムは黙して「沖縄」を語らない。民衆も沖縄を忘却する。その本土の一人として沖縄を想う。昨年の「4・25県民大会」以来沖縄は新たに目覚めた。「辺野古に基地は作らせない」と宣言する稲嶺進名護市長に、政府は米軍再編交付金を止めた。だが市長は先手を打ち、基地に依存しない「六次産業構想」を出した。名護市民は東北への義援金2千万円を集めた。本土からはふるさと納税制度を利用したカンパが3ヵ月で3千万円寄せられた。政府への民衆の怒りの表れだと市長は言う(『世界』9月号)。知念ウシさんは「沖縄人の『精神の植民地化』を怒り、悲しみ……それよりも日本人の『精神の占領』問題のほうがもっと深刻なのではないか」(知念ウシ『ウシがゆく 植民地主義を探検し、私をさがす旅』2010年 沖縄タイムス社)と指摘する。この厳しい言葉を抱きつつ、なお沖縄に心を開いていきたい。(健)

(25)2011.10.1

 オスマントルコ時代のギリシャの小さなその村は急に物質的に豊かになった。人々はこぞって倉を建てた。だが心は疎遠になった。村長は人々の心をつなぐものを集めた。青年アリストテレスは一輪の花を持ってきた。その美しさと調和に思わず村長は「コスモス」と叫んだ。この話は藤原一二三著『こどもとおとなの合同礼拝 – やさしいお話18編』に載っている。神戸北教会が阪神淡路大震災後10年の辛苦の末の会堂建築、その献堂式の記念に配った本である。長野県佐久市のコスモス街道に出かけた。沿道9キロにコスモスが延々と風になびき、コスモス園には3万株が青空に映える。コスモスは一輪がその名のごとく完成した「世界」であって、同時に波打つ群生が、限りなく「美しい」。この秋、9月19日、東京・明治公園は「脱原発」の意思表示をする6万人の人の波で埋まった。「さよなら原発1000万人アクション」である。所属など問わない市民の一人ひとりが意志を持つ姿が「美しい」。それでいて波打つ民衆の行動が今、原発を推進しようとする政府、企業、東電、それに加担するマスメディアにNOの意思表示をする。コスモスの乱舞と重なって心はさわやかであった。(健)

(26)2011.11.5

 ドイツでは今年7月で徴兵制が停止された。良心的兵役拒否者が社会福祉施設などで行ってきた非軍事役務は、連邦ボランティア役務制度に受け継がれることになった。群馬県の聖公会系キリスト教社会福祉法人新生会(原慶子理事長)は、今まで兵役拒否ドイツ青年たちの奉仕活動の場であったが、今後も活動可能と施設側は安堵している。青年たちを日本の社会福祉施設奉仕に橋渡ししているのは「日独(独日)平和フォーラム」である。そのドイツ側代表オイゲン・アイヒホルンさん(ベルリン応用工学大学教授)が、ドイツ放射線防護協会会長セバスチャン・プフルークバイル博士を伴ってこの秋来日、札幌、福島、東京、大阪、広島、長崎、そして群馬・新生会などで講演やシンポジウムを行った。新生会のシンポでは、ドイツが「脱原発」に国家政策を転換したのは、ひとえに民衆の力であること、ドイツと日本が協力して世界を変えよう、との訴えは強烈であった。また放射能被害はチェルノブイリから考え、長い年月を経て影響が出るので、そのことに真剣に取り組まねばならないと訴えられた。日本側の発題者は福島のキリスト教障害者施設・牧人会理事長の山下勝弘さんと筆者であった。小さな「脱原発」集会に心を注ぎたい。(健)

(27)2011.12.3

 わたしたちの日中関係への思考は、メディアのその時々の情報に影響される。例えば、尖閣列島、経済急成長、軍備拡大など。過去の日本の侵略戦争の加害責任のことを思考の根底に据えることは少ない。だが、その過去にこだわり続けている夫妻がいる。ノンフィクション・ステージ、舞台『哀しみの南京』を演じる渡辺義治・横井量子夫妻である。作・構成・演出・美術・出演まですべてを2人で行う。海外・南京市、上海市、ニューヨーク市をはじめ国内で93ステージが行われた。各地での公演には牧師・僧侶・市民運動家たちが応援してきている。横浜市「のげシャーレ」で12月27日その劇が公演される。上演にさいし、実行委員会代表の青山学院大学名誉教授・関田寛雄牧師は「日本人として必見のドラマです。……大虐殺の犯罪を直視し、謝罪すると共に、日本と中国の和解と共生の新しい歴史の出発を築かねばなりません」と奔走する。歴史意識の希薄なこの国で、また「戦争責任」を信仰との関わりで捉える事の少ない教界で、さらには民族的偏見による歴史の独断的歪曲を行う勢力に抗して、このドラマの公演される意義は大きい。(健)

(28)2012.1.28

 日立製作所で朴鐘碩さんは60歳の定年を迎えた。韓国籍であることで採用を取り消され、裁判に訴え1974年に勝訴した「日立就職差別裁判」元原告である。朴さんは入社後、組合経験者が会社幹部に昇進するおかしな現実を問い続けて、管理社会で人間の主体的あり方を求めていく「続日立闘争」を闘った。不器用な40年の会社員人生の最後の日、部署を超え大勢がフロアに集まった。花束贈呈。長い拍手。この希有な光景は報じられた(「朝日新聞」2011年12月28日・夕刊)。1月6日、「退職を祝うシンポジウム」が川崎で行われた。若い学徒4人の「日立闘争」の今日的受容と意味を問う研究発表の後、加藤千賀子(横浜国立大教授)、西川長夫(立命館大名誉教授)、崔勝久(最初からの裁判支援者)、朴鐘碩の4氏が語った。ここでは個別民族差別闘争の出発点の域をはるかに超えて、「国民国家」を問い、定着しつつある「多文化共生」の虚偽を問い、日本社会の根底に「人権(人間)」の主体の確立を促す歴史的意義が鮮明にされた。朴さんが「苦しかった」と漏らした一語に涙したことを語る崔さんの涙に参加者も涙した。各人が朴さんに呼応することがこれからの課題だ。(健)

(29)2012.2.25

「兵士より前に人間であれ」などと言えば軍隊は成り立たない。かつてそんな兵士たちに出会った。ベトナム戦争時、岩国に駐留していた米軍の反戦兵士である。パレスチナ占領地への兵役で虐殺、略奪、一般住民の弾圧を体験して人間としての葛藤に悩むイスラエル軍退役青年たちが、政府、世論の重圧に抗して「沈黙を破る」というNGOを立ち上げ写真展を行い「占領」の悲惨を世論に訴えた。20年来パレスチナ占領の構造と悲惨を難民キャンプに密着し、どん底の生活にも拘らずそこに輝く人間性を映像で訴えてきた土井敏邦監督が、人間共通の“普遍性”を描く目的で130分の映画『沈黙を破る』(2009年)を作成した。日本キリスト教婦人矯風会は1月31日「パレスチナを忘れない 第3弾」としてこの映画の上映会を、「ガザの子どもの絵の展示」と同時に、大久保の会館で行った。参加者65人。大東京では極小の集いだったが忘れることのできない集会であった。自爆テロ、そして報復攻撃という連鎖に、娘をテロで失った親が憎しみを超えて「対話」が解決だ、と述べる場面の取材などいわゆる「パレスチナ支援運動」の感覚を超えた平和への基本的視点を示された思いがした。(健)

(30)2012.3.24

 放射能汚染は天災ではない。「原子力ムラ」という構造権力の犯罪である。これはまた民衆を分断する。片岡輝美さん(日本基督教団 若松栄町教会員)は「一人ひとりを分け隔てる放射能汚染~『安心』『安全』がわたしたちを蝕みます」(『月刊むすぶ No.493』)の中で民衆が分断されてゆく有様を次のように書いている。「年間100ミリシーベルト被曝しても大丈夫です」と講演する福島県側の学者山下俊一氏の『安心です。安全です。大丈夫です』に対して、「ほんとうに安全なのか」と勇気を出して問い詰める人がいた。そこに同じ町の人が「もうやめろ! もうやめろ!」とヤジを飛ばし「国の言う通り」と発言すると、拍手が沸いたと。彼女は7月「会津放射能情報センター」を立ち上げ、代表に就任、「放射能から子どものいのちを守る会」を作り「健康相談」も始める。ドイツの人権団体などの寄付で食品を測る高額な放射能測定機を購入し「安全かどうかを決めるのは国ではなくて、わたしたち住民が、そして親が決めることが大切なのだ」と説く。説得力がある。「原子力安全神話」の過ちをすら認めない「構造権力」との闘いは「分断」を「繋ぐ」人格と説得力を必要とする。(健)

(31)2012.4.28

 昨冬、岩波現代文庫で渡部良三著『歌集 小さな抵抗 – 殺戮を拒んだ日本兵』が出版された。筆者は畏友高見敏雄氏(日本基督教団隠退教師)からシャローム図書の99年版第3刷の寄贈を受け、すごい本だと脳裏に刻まれていたので、この出版を喜ぶ。旧版には、内村鑑三から三世代目にあたる無教会の中心人物であった高橋三郎氏が「反戦は父に誓いしひとすじぞ御旨のままをしかと踏むべし」、「鳴りとよむ大いなるものの声きこゆ『虐殺こばめ生命を賭けよ』」を引用し、「序」を記した。新版は岩手大学教授の今野日出晴氏が16頁にわたる解説「敵も殺してはならない」を寄せた。筆者は22年生まれ。学徒動員で日中戦争下、中国戦線に動員された。新兵に度胸をつける軍隊の悪習で、中国人捕虜の刺殺を命令される。著者の内面は、命令から実施までの7時間、無教会派の伝道者父弥一郎から受け継いだ信仰的価値観と、天皇の戦争価値観とが激しく葛藤する。遂に「拒否」。続くリンチ。厠でありあわせの紙に書き綴った詠作の短歌700首余を復員の折に軍衣袴に縫い付けて持ち帰った。それに前後作を加えた記録だ。「生きのびよ獣にならず生きて帰れこの醜きこと言い伝うべく」(健)

(32)2012.6.2

 朝日新聞と沖縄タイムスの共同世論調査によれば、米第基地が減らないのは「本土による沖縄差別だ」との回答が沖縄では50%以上だったという。差別は、差別している側には自覚されない。差別されている側の叫びとして存在する。沖縄には十兆円という多額の基地振興計画のお金が注ぎ込まれた。「お金ほど怖いものはない」という元県知事太田昌秀さんの言葉のように、それは沖縄の真の自立にはならなかった。沖縄の責任もある。1人あたりの県民所得は東京都民の半分、失業率はこの3月6.8%で全国平均の4-5%を上回る。まだ残る不発弾2千200トンの処理はあと70年かかるという。哲学者の高橋哲也さんはこの構図を「犠牲のシステム」だと、ライターの知念ウシさんとの対談で云った。「基地を持って帰ってくださいね」と知念さんが、さりげなく本土の人間への問題提起をするところが痛い。沖織に対してわたしたち「本土人」は慣れ合うことはできない。一人ひとりが「琉球処分」以来、沖縄の本土化、沖縄戦の犠牲、米軍統治、「復帰」以後の基地の存続など、「日本人の罪責」(権力者の仕業であったにせよ)の自覚なしには済まされない。「復帰」40年に思う。(健)

(33)2012.7.7

 6月10日、沖縄県議会選挙が終わった。日米を合め国際的意識を秘めたこの結果を、本土のメディアはほとんど報道しなかった。もし結果が逆であったら、「日米辺野古新基地合意に可能性が」と大きく報道したに違いない。野党の過半数獲得で、「辺野古容認」へと寝返る危惧のあった仲井真弘多知事の動きを釘付けにした反基地闘争での重大な闘いであった。山内徳信参議院議員は東京の「6・15 沖縄意見広告運動(第三期)報告集会」で「闘いは『命がけ』であり、本質は『基地問題』ではなく『奪われた土地を奪い返す土地問題』だ、憲法はチパング(黄金の国)の黄金だ、100歳まで現役で運動を貫く」と語った。御茶ノ水の「連合会館」で行われた集会に、わたしも参加した。問じ思いのキリスト者に出会い、励まされた。『本音の沖縄問題』(仲村清司、講談社現代新書)を読んだ。迫力のある本だ。著者は大阪に育った沖縄2世、屈折した内面を秘めつつ、的確に歴史を解明する。構造的差別をフクシマと重ね、「カネで取り繕う国家の仕組みは破綻したと云っていいのではないか」と。そして沖縄民衆の権力との闘い方に独特の「型」を見る。ここでも「本土」は問われている。

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