”客間”の外(2011 高校クリスマス奨励)

2011.12.19(月)、関東学院高等学校 クリスマス礼拝 11-12時

(明治学院教会牧師 健作さん 78歳)

1.メリー・クリスマス。クリスマスおめでとうございます。

 クリスマスはイエス様のことを心に覚える日です。私たちが覚えるだけではなくて、イエス様に覚えられていることに気が付く日でもあります。

 ただ今読んで戴いた聖書、ルカの2章6節・7節に「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶のなかに寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」とあります。

「飼い葉おけのイエス」はクリスマスの一つの風景として、クリスマス・カードにもなっています。でも、ここには、私たちが覚えておきたい大切なクリスマスのメッセージがあると思います。

2.何故「飼い葉桶の中に」かと申しますと、その次に「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」とあります。ここで「宿屋」と訳されている聖書の言葉は「客間」という意味です。

 当時のパレスチナの家は、二階が住まいになっていて、そこで家の者達は生活していました。お客さんが来たらそこに泊め、交わりができ、団欒の出来る場所でした。

 一階は家畜小屋になっていて、家畜の餌箱の「飼い葉桶」がありました。ここは人がくつろぐ場所ではありませんでした。イエスは、その家畜小屋で産まれた、そこが居場所だったのです。人々が普通に交わりを持つ場所の外だったのです。これはイエスのその後の生涯を象徴的に表しています。言い換えてみれば、普通の社会生活、社会的交わりから外れた人たちのところで、イエスは活動したのです。その時代に「客間」に入ることが出来なかった人達のところを居場所としたのです。人間が疎外された場所、疎んじられ、疎外され、除け者にされている場所に生きていた人たちに声をかけ、励まし、友となって、その生涯を終えられたのです。

3.当時の正常な人間関係や社会関係から疎外された人達と交わるイエスの話は聖書の中にたくさん出てきます。重い皮膚病(ハンセン病)の人たち、目の見えない人たち、差別されている人達です。さらには遊女、極貧の人たちが、イエスに出会って人間性を回復されたというお話です。

4.当たり前の人間社会からコミュニケーションが閉ざされた場所です。現代にもたくさんいます。これは当事者でないと分からないことです。格差社会で貧困にあえぐ人、差別されている人(民族差別、障害者差別、性差別)。このような弱い立場の人を挙げてみると沢山おられます。イエスはそのような人々の中で生涯を送られたという事です。「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である」(マルコ 2:17)とはイエスの言葉です。

5.私は十年前から、ちょっとした不思議な御縁で鎌倉の二階堂という住宅地に住まわせて戴いています。鎌倉は富裕な人達が住んでいる所という先入観があったものですから、何となくあの町には抵抗感がありました。今でもそれが消えているわけではありません。

 ある日、鎌倉にいる野宿者への定期的な訪問活動を行っているグループがある事を知りました。まず鎌倉に野宿者がいることにびっくりしました。誘われて御一緒にその訪問活動に加わりました。坂の下のブルーシートを張っている人のところや、七里ガ浜に小屋掛けをしている方がいるというので浜辺を一緒に歩きました。海岸では若者が盛んにサーフィンを楽しんでいる季節でした。湘南海岸の明るさがありました。目的の小屋に着きました。そこには湧き水があるのでそこに小屋掛けをしておられるというお話でした。「こんにちは、お元気ですか」と声を掛けたのですが、人の気配がありません。どこかに出ているのかな、と思って、ちょっと躊躇しましたが、思い切って、小屋の中に入ってみました。簡易ベッドがありました。そこに人が横たわっています。動きません。あれっと思ったら、死んでおられました。すでに、体は腐乱しておられました。訪問活動のリーダーが警察に連絡し、ご遺体を運んでもらいました。無縁者として行政の処置にゆだねました。餓死であると後から聞きました。道路を隔てた上は、鎌倉の高級住宅街です。前はリゾート海岸で、眩しい太陽の下サーフィンを楽しんでいます。強烈な印象でした。その人を前から知っている方はそこまで追い込んでしまった事を悔やんでおられました。「夜回りの会」の方はその晩お線香を上げ、お通夜を過ごされたと聞きました。鎌倉での出来事です。この町の、ほんとうの姿に出会ったように思いました。このように疎外された人がいる事。そうしてそこを訪れる人がいる事。

6.何か、ベツレヘムの夜を思い出しました。「飼い葉おけの中のイエス」を迎えるという事は、現代ではそのような姿なのだと思いました。

 客間の外にイエス様がいる、とすれば私たちは客間の外に出掛けて行けばイエス様に御会い出来るのです。

 もう御亡くなりになりましたけれどネパールに出かけられてその国の結核を無くす運動を展開された、公衆衛生の専門医師の岩村昇先生という方がおられました。私は、先生はどうしてネパールに行かれるのですか、と御聞きしたら一言「そこにイエスがおられるから」ですよ、といわれました。「岩井さん、金曜日の夜は食事を一食抜いて、その分を捧げましょう」と誘われました。イエス様に御会いする準備なのです。

 岩村先生を慕ってネパールに行こうとされた看護師さんがいました。そうしたら、岩村先生は、その方にネパールにきてはいけない、とおっしゃいました。よく考えなさいと。その女性はよく考えて、大阪の釜ヶ崎という日雇い労働者の町で、労働者の結核を無くす運動に携わられました。その方にとって「イエスさまは大阪におられたのです」。

 客間の外は、それぞれの生きる場所によって違います。私たちは、みなそれぞれの「客間」に生活し「客間」の交わりをしています。自分にとっての「客間の外」を見つけることが、イエス様と出会うことです。

7.いや、もしかしたら、我々自身が、客間の外にいるのかもしれません。人には言えない悩みを心に抱えているかもしれません。友人達から、社会から、よそよそしく扱われ独りぼっちかもしれません。そんな自分を、外から戸を叩いておられるのがイエスさまかもしれません。

 19世紀から20世紀前半を生きたフランスの画家ルオーは、たくさんのイエスの絵を描きました。描かれた一枚のイエスの絵を見ていたら、そこにイエスが感じられるという絵を残したいと描いた絵がたくさんあります。『郊外のキリスト』という絵は、寂しい街角で、一軒の家の戸を叩いているイエスを描いています。もしかしたら、私たちが独りぼっちだ、孤独だ、絶望だ、と言っている時、家畜小屋のイエスが私たちの心の扉を叩いているかもしれません。われわれの団欒の外、「客間」の外、に気を配りつつ、また逆に「客間」の外に自分がたたずんでいる時と思う時には、さらにその外から私たちの心の扉を叩いているイエス様に出会うのが、クリスマスを迎えることかもしれません。

8.阪神淡路対震災の救援活動の『緊急生活援助貸付金』の活動のこと。被災の街をつなぐ温かみ。

9.釜ヶ崎の炊き出しの列に並ぶイエス

「岩井、イエスがあそこに立っているのが見えるか」

お祈りをいたします。

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