2004.10.31、関西神学塾、「岩井健作」の宣教学(36)
1.教会の宣教的使命と「こども」
マルコ10章の子供をめぐって
「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものだからである。」
「こどもの祝福」をめぐっての、大貫・荒井両氏の論争
大貫説(『イエスという経験』p.182-185、第5章 イエスの生活と行動。6、性、女性、子供の項、3)子供)。大貫は子供について、旧約・ラビ文献には子供について否定的側面の記述が多い中で、マルコ10:13-16「子供の祝福」は子供の肯定的な側面として取り上げている。15節の「子供のように」をめぐっては「主格説」(神の国を子供が受け入れるように受け入れる者=子供を価値で判断する)と「対格説」(神の国を子供を受け入れるように受け入れる者=子供を行為の側面で理解する)。大貫は「主格説」を採り、イエスのルート・メタファー(「アッバ父」なる神)から、求める者の姿(マタイ7:7)のモデルにしたと解する。それに対して、荒井は「これを『主格的』に採るとかえって子供の理想化(マタイ18:3)に可能性を開く。イエスが『神の国はこの{子供の}ような者たちの国だから』と言ったのはイエスがユダヤ人社会では成人男性によって差別されている「最も小さい者たち」(貧しい者・病人・売春婦・罪人など)が所属する、神の慈しみの支配する領域こそが「神の国」とイメージしていたからである。その意味で「子供を受け入れるように」なるのである、という。荒井の説には前提として、無視され、軽んじられているという子供の<当時の>社会的文脈がある。荒井は「子供たちは連れて来られた」と子供の受動的存在からも反論している。荒井の方により妥当性を覚える。
2.マルコの文脈の「こども」
10章に現れた人間関係の在り方の二つのタイプ。
① 上昇思考型、閉ざされた集団志向、△三角型(いちばん上になりたい。民を支配。偉い人達が権力を振るっている)。
② 下降思考型、開かれた集団志向、○型(すべての人の僕になる。仕えるために。自分の命を捧げるために。互いに足を洗う[ヨハネ])。
「子供」は○型の文脈。
3.イエスが歩まれた道はどうであったか。○型
1)失われた羊(ルカ15:4)。
2)最も小さい者の一人に(マタイ25:34-45)。
3)招かれた客たち(ルカ14:15-20)
4)よきサマリア人(ルカ10:30-36)
5)葡萄園の労働者(マタイ20:1-15)
6)ラザロと金持ち(ルカ16:19-26)
「子供の祝福」の記事は、人間関係の二つの在り方の○型への吸引力への一貫として理解されるべきであろう。キリスト教に於ける子供の問題、保育を考える場合、共同性の○型への方向性が大きな視点になる。その点ではマルコのテキスト理解は荒井の理解に同意する。直接子どもに関わる保育内容、保育形態、制度、設置形態等に対する批判的に検討の視点は、子供が現に置かれている社会的、人間関係的文脈で、子供の人格、人間関係、子供の生活の保障がどれ程積極的に創造され、また歪められているか(大人や時の社会の都合)の視点が欠かせないであろう。
大貫のイエスの「子供理解」は、子供をイエスのルート・メタファーに結び付ける共時的視点を浮かび上がらせるものの「神の国」との関わりにおける通時的視点を欠くものである。子供は歴史的存在であることを見落としてはならない。
4.子供そのものに価値観を置く子供観の脆弱性の例
倉橋惣三の太平洋戦争開戦時の文章に出会って愕然としたことがある。幼児を戦争に役立てるための「保育」に就いて朗々と語られている美文である。倉橋といえば『幼稚園真諦』など子供のもつ絶対的尊さを説いて日本の保育史に貢献した第一級の人である。内村鑑三の影響を受け、聖書の幼児観を包含した実践者である事を考えれば、広い意味でキリスト教保育にも関わりの人である。その倉橋が何故に、との疑念を当時頌栄保育学院副学長でありA・L・ハウの研究家である高野勝夫氏にぶつけてみた。氏は当時・国立音楽大学教授だった下山田裕彦氏を紹介して下さった。同氏から贈られた「倉橋惣三の保育思想の研究」「倉橋惣三の保育思想 −『社会的性格』をめぐって」(『幼児保育研究』1978)の論文を読み、同氏の倉橋の変節への論及の視点に教えられる事が多かった。同氏は、津守真氏(倉橋継承者)の倉橋評価(「倉橋惣三の保育思想」)を「倉橋惣三の保育論の出発点には、生きた人間をそのままにとらえようとする人間の観方がある。いかなる理論的枠組みから観ようとするのではなく、……むしろ理論を取り去っていきいきとしと動いている人間そのものに自ら触れて、そこに息づいている心をとらえようとする態度が根本にある」という積極的評価をとらえ、そこに倉橋の師である内村鑑三の聖書の信仰がどれ程有効に働いていたかを観る。同氏は倉橋の保育理論が内村の「自己の内の罪の塊なる」贖罪信仰(人間の悪、社会の悪を徹底して追及する)を欠いていたことを指摘し、それゆえに社会的性格の欠落を見る。それが日本のファシズムに呑まれた理由だとする。この視点から、子供を社会的文脈に置いて観ることが大事なことを教えられる。
5.保育制度をめぐる今日的状況変化
日本の就学前保育は、戦後、幼稚園と保育園の二元体制が続いてきた(主な概略、以下[Yは幼稚園・Hは保育園])。
Y 学校教育法・H 児童福祉法
Y満3歳から・H 保育に欠ける0歳から
入所手続き Y 保護者との契約、H 市町村に申し込む
内容 Y 幼稚園教育要領も・H 保育所保育指針
一日の時間 Y 4時間39週・H 8時間 300日以上
長期休業日 Yあり・Hなし
保護者負担 Y 設置者の定める保育料等[就園奨励費あり]・H 家庭の所得を勘案して
運営費 Y 設置者負担[経営費助成あり、102条園はわずかの幼稚園助成]・H 運営に要する経費のうち保護者からの徴収金を除く額の1/2を国、1/4を都道府県、残り1/4を市町村が負担する。
保育士(教諭)の配置 Y 1学級35人以下・H 0歳=3:1、1-2歳=6:1、3歳=20:1、4-5歳=30:1
施設基準 Y 幼稚園設置基準・H 児童福祉施設最低基準
教諭・保育士資格 Y 幼稚園教諭普通免許状・H 保育士資格証明書(要件、履修科目省略)
施設 Y 14,279園・H 22,272施設
入園・入所者数 Y 1,769,096人・H 1,879,394人(2002/5月現在)
平成14(2002)年度予算 Y 504億円・H 4,780億円{特別会計を含む}
しかし、急速な少子化や家庭における保育力の低下など社会の変化、さらには国・地方自治体の財政悪化の事情が背景にあり、さらには従来から積み上げられてきた「幼・保一元化」の論議がそこにからまって保育制度の見直しが論議されている。
6.緊急事態
2003(平成15年)年6月27日、「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2003」を政府は閣議決定した。その一貫の「国庫補助負担金等整理合理化方針」の中で「就学前の教育・保育を一体としてとらえた一貫した総合施設の設置を可能とする」という政府方針にたいして、厚生労働省・文部科学省は、2006(平成18)年に本格実施を目指して合同の検討会議を始めた。新しい提案としていわゆる保育「総合施設」を具体化し始めた。
既に政府の言う「特区」にて先行的試行を開始している(2005年度50ケ所)。しかし、なお厚生労働省・文部科学省の見解は「総合施設イメージ」「利用者」「入所・利用条件」「保育・教育内容」「財源」「利用者負担」「設置主体及び基準」「職員資格」 「職員研修・人材活用」「子育て支援」などの在り方には見解の相違が在り、総合的な就学前教育のイメージが明確に出されてはいない(11月発表予定)。当事者である子どもと保護者の意見はどのように反映されるのか、また保育、幼児教育、社会福祉等の現場の多様な見解が吸収されて、子どもの未来に大きな展望になるのか、あるいは、国の財政補助を全体として削減するという方向に流れかねない要素をはらんでいる。
7.現在の所「就学前の教育・保育を一体化としてとらえた一貫した総合施設について」(中央教育審議会幼児教育部会と社会保障審議会児童部会の合同の検討会議/平成16{2004}年8月25日)の「中間まとめ」がでている。
① 状況と課題、② 意義・理念、③ 基本的機能、④ 対象者と利用形態、⑤ 教育・保育の内容、⑥ 職員配備・施設設備、⑦ 職員資格等、⑧ 設置主体・管理運営、⑨ 利用料・保育料、⑩ 財政措置等、(11) 地方公共団体における設置等の認可・監督の体制、(12) 幼稚園及び保育所との関係、の各項目について述べられている。内容は、低下する家庭や地域の子育力、多様化するニーズへの対応をうたい、既存の幼稚園・保育所の並存を考慮してはいるが、極めて抽象的である。「特区」の実施で規制事実を作り実績に方向を見出していく手法がうかがわれる。明らかなことは財源について「社会全体が負担する仕組み」の必要を訴えていること。私立幼稚園の経常費の一部国庫補助と、私立保育所の運営費用の一部国庫負担の仕組みが異なっていることを指摘し「今後、総合施設の意義・理念に照らして、新たな枠組みにふさわしい費用負担の仕組みを検討していくことが必要である」と指摘している。
8.保育・幼児、教育関係諸団体からは多様な意見が展開されている。
その一つとして(社)全国私立保育所連盟は「保育総合施設に関する意見書」(2004年6月9日)を発表した。全体は3部になっている。
(1)総合施設問題に臨む基本的考え方。問題は「幼保一元化」「一般財源化」の二面から急浮上したもの。加えて家庭・地域の「子育て力の低下」に伴い「子供の育ちの質」は危機的である。この問題は子育ての原点から考えることが必要である。しかるに、現状は保育所は「親の就労保障のための託児施設化」にさらされ、幼稚園は厳しい市場競争にさらされ「託児施設」機能を負わされている。こうした危機の打開のため、これまでの福祉と教育の二分化が統合される視野が「保育総合施設」の位置付けが必要である。加えて今まで立ち遅れていた「家庭で育てられている0−2歳児への支援が求められる。
(2)「保育総合施設」の具体的在り方。機能、基準、小規模、要保育入所の共存、費用、設置主体、既存二者との並立、地域の応じた柔軟さ。
(3)引き続き検討されるべき課題
① 教育・養護・保育・幼児教育の概念の整理見直し
② 保育費用の一元化への検討(仕組み、公費、財源。これは一般財源化を前提とした補助金統合化を意味しない)
③ 次世代育成支援への社会的資金投入拡大
なお、実情は「私立保育所運営費の一般財源化」の先行への反対運動が起こされている。
9.教団教育委員会(全国教会幼稚園連絡会)には今のところ対応は見られない。養護・保育・幼児教育関係機関の検討委員会を発足させる必要があるであろう。その方向性は、子供の基本権、親の教育権(家庭重視)とそれに見合う施設主体・機関の多様性、国家助成の福祉・教育の重層構造と平等性の在り方、などが検討され、この領域における教会の宣教主体の意味、子供の礼拝への提言・示唆がなされるべきであろう。
「岩井健作」の宣教学インデックス(2000-2007 宣教学)