「求め、すすめる連絡会」が生まれました(2004 宣教学 ㊲)

2004.11.14、西宮公同教会、関西神学塾、「岩井健作」の宣教学 ㊲

(日本基督教団教師、前川和教会代務者牧師(-2004.3)、71歳)

1.はじめに。ファルージャ侵攻を憂う。

 先週8日に、イラクに圧倒的軍事力を駐留させる米軍が、1万5千人規模の部隊によってファルージャ攻撃を開始しました。イラクの来年1月の総選挙に向けて、イラク国内の治安確保のため、この都市の「武装勢力」を完全制圧をするためなのだそうです。ピカソの「ゲルニカ」を想起します。イラクへの軍事侵攻のアメリカの初期目的の一つに中東に「民主主義」の拠点を作るというのがありました。今、彼らはそれをイラクで遂行するに当り、民衆の自由意思を徹底的に砕き、軍事力・経済力・政治力・文化力の前に、ある種の諦観を抱かせて、米国流の「民主主義」を組み込んでいく社会を早期に、徹底して作り出して行かねばなりません。

 かつて半世紀前、軍事的制圧をした日本で、独裁的ファシズムを排し「民主主義」の国を作ることに成功し、今や米国最強の協力国になっている前例を念頭においているようです。しかも、この度のイラク武力侵攻を無謀に、国連の同意すら得られないままに、断行したブッシュ政権は大統領選で辛くも51パーセントの支持を得たという立場を後ろ盾にして、イラクでの政策を強気で押し切ろうという表れをファルージャ攻撃に見て取ります。現今のアメリカの世界支配(グローバリゼーション)は、経済・外交等を含め総合的な観点から論じられなければなりませんが、軍事政策はそれと一体であることは当然であります。また、それは我々一介の市民、一介の牧師の思考の範囲を遥かに超えます。しかし現実にファルージャでミサイルや銃弾にさらされている家族・子供・老人がいる、そんな民衆が大量虐殺されていることを考えた時、その事実、たとえ想像力であっても彼らに寄り添う気持ちから、思考せざるをえません。

 今、中東までを含む米国軍事力の指令中枢を日本に置くとのアメリカ基地政策の変更は、「民主主義」アメリカ国家の価値観の揺るぎない支配を世界の隅々にまで広げようとする意図の表れと捉えられます。日本政府がそれを是認せざるを得ないような状況は、結果的には爆撃の下に在る人々と敵対する位置に自分を置いていることになりはしないか。

「戦争」に「否」を持ち続けることなくして「戦争」を是認する所からはじまる価値観と対峙することはできません。ではどのようにしてこの戦争価値観と向き合うのか。これを凌駕する「平和」価値観とは何なのか。どのようにこの戦争価値観との矛盾を生存のうちに抱え込んで生きるのか。本来「民主主義」とは戦争を是認するために編み出された論理なのか。歴史的にもしそうではないとすれば、それを検証しなければなりません。人類の知恵として、力で支配する論理を少しでもそうではない方向に移しつつ、人間が人間として存在し得る共同性を実現し得る希望が本来の民主主義であるのならば、その理想を「戦争」を是認するのではない方法で有効に作用させねばなりません。私たちはそれぞれ生きる場を所与として持っています。その所与の場で、思考し、それを違った場で生きる人と繋ぎ合わしつつ、活かしていく道を模索し続けています。その模索を「日本基督教団」という所与の領域で生きるとすれば、同時に米軍基地の隣に生存することが所与の人々、今象徴的に言えば辺野古で米軍基地拡張ボーリング調査と体を張って闘っている人々、それとの連帯を宣教的使命とする沖縄の教会人々とパイプを幾重にもつなげる思考をしていかねばならないと思います。

2.沖縄教区議長への手紙(案)山里 勝一 様

「求め、すすめる連絡会」(仮)代表 岩井健作

 主の御名を賛えます。

 すっかりご無沙汰をしていて申し訳ありません。
 日夜、厳しい情勢の中で、世界が「戦争」をとどめ得ない暗澹たる状況と向かい合い、また、日本の右傾化の激流、特に沖縄に集約された軍事・政治・経済・社会・教育の緊急な課題と向き合い、闘われておられることと存じます。加えて、日本基督教団にたいして「距離を置く」との「日本本土の教会」に問題を提起されている、その緊張と御心労は如何ばかりかと思いを馳せています。沖縄教区議長として今の「教団」に向き合う、怒り・消耗はどんなにお察ししてもし切れません。その「教団 ー 本土教会の一員」として、事態の責任の一端があることを深くお詫びいたします。同時に、教団体制をここまでにしてしまった「教会人」としての非力・腑甲斐無さを、私自身も深い心の傷として抱きつつ、でもそれなりに日常からの打開に尽力しています。

 さて、第34回(合同後19回)教団総会の事は、お聞き及びのことと存じます。私は、もはや議員ではなく、一傍聴者に過ぎず、しかも、総会日程が、身内の者の死と重なり、葬りのために、その傍聴もままならぬ状況で今回は過ごしました。

 それでも、総会前に京都の有志の「教団問題協議会」(約40名参加)が京都で行われ、参加しました。その会で、二つのことが提案されました。一つは第34回(19回)教団総会に「問題あり」と意思表示をすることでした。もう一つは

「歴史を生きる教会・教団の再生を求めて『沖縄から米軍基地撤去を求めるキリスト者連絡会』」

 を、有志で立ち上げることでした。教団総会2日目夜の議事後に、その結成の集会には約90名の方が集まりました。協議の席で「教団『合同とらえなおし』をすすめる」ことを事柄に含ませた方がよいとの議論がのべられ、会場の時間の都合で、とにかく「代表」に(欠席のままの)岩井を、事務局長に府上氏を選んで、呱々の声をあげました。歴代「合同特設委員長」のうち、とにもかくにも「とらえなおし」を「すすめ」る努力をした二人に、この動きの「会」をお世話するようにと集まった人達の気持ちを汲んで、二人はこれをお引き受けすることにいたしました。

 この会の働きは、現実にすすんでいく沖縄の基地強化阻止の運動につながりながら、他方で、ほんとうにすすんでいない「合同とらえなおし」を日本基督教団の教会的出来事として、地味に進めていくことを通して、ここまで来てしまった「沖縄教区」との関係、沖縄の教会との関係の本来の緊張を取り戻して行こうという動きです。

 このことは11月3日に私が、京都を尋ねて、府上氏と相談確認をいたしました。「本土教会」有志にはその方向で志を結集して戴くように、と目下働きかけつつあります。会の名称を

沖縄から米軍基地撤去を求め、教団『合同とらえなおし』をすすめる連絡会」(略称『求め、すすめる会』)

 としました。

 さて、繰り返しになりますが、『合同のとらえなおし』とは何なのかを、私なりに振り返ってみました。欠けていることやお気付きのことがあれば、ご指摘下さい。

「とらえなおし」は、合併吸収(1972年 沖縄返還と同質)の非対等性をとらえなおして教団の教会制度へのきちんとした位置付け作業、同時に、宣教課題(米軍基地の「世界民衆」への戦争の加害者性、本土からの歴史的差別、基地存在下の人権・平和の復権)を共に担うことを通して合同教会を形づくることだと存じます。そのためには問題の当事者性(琉球処分以来の沖縄との関係での加害者としての本土 ー 日本近代国家の質)の歴史の自覚が「本土教会」にはまず必要です。その根本には、沖縄の教会の抱える歴史の個別性から来る問題を捨象しても、何の痛みもないままで成り立つ歴史を生きない福音理解があります。状況捨象の指摘を受け入れない強固な「正統」意識により「合同とらえなおし」の問題提起そのものを排除してしまう「教会政治」があります。そのため、過去教団総会で可決をされた「合同とらえ直し関連議案」の趣旨が、教団・教区・教会で生きたものとならないまま、埋蔵されてしまっています。そもそも日本本土の教会は、第二次世界大戦における日本基督教団の責任について鈴木正久教団議長によって表明されたいわゆる「戦責告白」をすら無視している教会・信徒が多い教会です。他方、世の中の動きは、政府・与党それを支持する「国民」においては、アメリカの戦争政策に追従し、その体制作りに、教育にとってはとても大切な相互の信頼によって生きることを基本とする人間観をのべた「教育基本法」や戦争放棄をのべた「憲法」を、戦争の現実に合わせて「改悪」しようとする政治的動きが怒濤のように起こっています。メディアも大勢では歩調を合わせています。今は、その流れに「否」を示さなければ、その流れに荷担している側に付くことがはっきりしています。「合同とらえなおし」は、それを見据えて、その流れに抗う教会的運動です。それは日本基督教教団が宣教方策(1961年)で

「キリストに仕えるゆえにこの世に奉仕し、日常生活も宣教の場であることを覚え、大衆の生活に対して共同の責任を負うことを決意した。このために何よりも教会の体質改善が必要であることを自覚し」

 と述べていることに基づいた地味な取り組みの方向であります。確かに、このことの延長線上で「万国博覧会キリスト教館出展」が日本のアジア経済侵略に協力することになるという、激しい教会批判・宗教批判(1970年代)があり、教団が「混乱」したことは事実です。

 しかし、その批判は長いキリスト教史においては必然の批判であり、むしろ「世に仕える」ためには乗り越えなくてはならない批判でした。これに対して「あつものにこりてなますをふく」過ちを犯すべきではなかったにも関わらず、「合同とらえなおし」は、沖縄教区を利用して「教会の解体を狙っている」(沖縄教区 Q&A)と悪意にみちた宣伝をして、「合同とらえなおし」を意図的につぶして来ました。この政治的恣意性が沖縄教区(総体)に向けられています。

 例えば、沖縄教区が教団総会議員を選出しないという決断を「沖縄教区総会」で行ったのは、第33回教団総会の沖縄教区提出の教団名称変更議案等を審議未了廃案とする扱いへの抗議の表れでした。しかるに、それを問いとして受け入れないどころか、信仰職制委員会に「教区」は「教団」が教規で設けた機関なのだ、という規則の文字づらの解釈をとって、「沖縄教区は臨時教区総会を開くべきだ」という権力的対応をとりました。さらには、総会における推薦議員制度を利用して、前回の沖縄教区選出の総会議員をそこに入れることで(当然それにのる沖縄の議員がいることを承知で)、あたかも沖縄教区を入れて第34回(19回)総会が正統に開かれたような仮装を施すなどは、沖縄教区の内部崩壊を狙う意図が隠されているとしか思えないような仕打ちであります。

 以上のような動きと趣旨をまずはご理解い戴きたいと願うものです。
 沖縄教区側でもいろいろな意見がおありのことだと存じます。

 本土側の教会にたいして「今更」との思いはお持ちであろうと存じます。また教区機関が、例えて言えばいわゆる「NGO」にあたる有志の会に対等に対応をするべきではない、というお考えもあるかと存じます。

 一方で、辺野古支援の人達を含みつつ(神奈川「うねりの会」他)その支援でも陰ながらつながり、心して教会の日常に足をつけながら、幅の広い踏ん張りを教団諸教会に訴えていきたいと思っています。

 今、本土教会の中では点にすぎない人々が少しでもネットワークを作り、本来の「合同とらえなおし」の実質化をすすめるべく努力をするためには忍耐がいります。とにもかくにもこの教団の状況を少しでも打開して前に「すすめて」いきたいと願っています。

 先生のお働きの上に主の導きを祈ります。

沖縄教区議長への手紙(2005 書簡)

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