沖縄教区議長への手紙(2005 書簡)

沖縄教区議長への手紙 山里勝一様(2005 書簡)

2005.1.7 、山里勝一 沖縄教区議長 宛

(健作さん71歳)

 山里勝一様

 主の御名を賛えます。

 すっかりご無沙汰をしていて申し訳ありません。

 日夜、厳しい情勢の中で、世界が「戦争」をとどめ得ない暗澹たる状況と向かい合い、また、日本の右傾化の激流、沖縄に集約された軍事・政治・経済・社会・教育の緊急な課題と向き合い闘われておられることと存じます。 

 特に緊急なヘリポート建設阻止、辺野古の闘いには全力を注がれていることと存じます。
 また加えて、日本基督教団にたいして「距離を置く」との「日本本土の教会」に問題を提起されている、その緊張と御心労は如何ばかりかと思いを馳せます。沖縄教区議長とし今の「教団」に向き合う、怒り、消耗はどんなに大変なことかとお察ししても、し切れません。

 その「教団 − 本土教会の一員」として、事態の責任の一端があることを深く懺悔お詫びをいたします。同時に、教団体制をここまでにしてしまった「教会人」としての非力・腑甲斐無さを、私自身も深い心の傷として抱きつつ、でもそれなりに日常からの打開に尽力を続けています。

 さて、34回(合同後19回)教団総会の事は、お聞き及びのことと存じます。私は、もはや議員ではなく、一傍聴者に過ぎず、しかも、総会日程が、身内の者の死と重なり、葬りのために、その傍聴もままならぬ状況で今回は過ごしました。それでも、総会前に京都の有志の「教団問題協議会」(約40名参加)が京都で行われ、参加しました。その会で、二つのことが提案されました。一つは34(19)回教団総会に「問題あり」と意思表示をすることでした。もう一つは「歴史を生きる教会・教団の再生を求めて『沖縄から米軍基地撤去を求めるキリスト者連絡会』」を、有志で立ち上げることでした。教団総会2日目夜の議事後に、その結成の集会には約90名の方が集まりました。協議の席上、「教団『合同とらえなおし』をすすめる」ことを事柄に含ませた方がよいとの意見がのべられ、会場の時間の都合で、とにかく「代表」に(欠席のままの)岩井を、そして事務局長に府上氏を選んで、呱々の声をあげました。歴代「合同特設委員長」のうち、とにもかくにも「とらえなおし」を「すすめ」てきた二人に、この動きの「会」をお世話するようにと集まった人達の気持ちを汲んで、二人はこれをお引き受けすることにいたしました。

 この会の働きは、現実に推し進められている沖縄の基地強化阻止の働きにつながりながら、他方で、ほんとうにすすんでいない「合同とらえなおし」を日本基督教団の教会的出来事として、地味に進めていく、二つの焦点を持った運動だと思っています。それを通して、ここまで来てしまった「沖縄教区」との関係、沖縄の教会との関係を改めて作り出し、本来の緊張関係を取り戻して行こうという動きだと理解しています。このことは11月3日私が、京都を尋ねて、府上氏と相談確認をいたしました。「本土教会」有志にはその方向で志を結集して戴くようにと、目下働きかけつつあります。会の名称を「沖縄から米軍基地撤去を求め、教団『合同とらえなおし』をすすめる連絡会」(略称『求め、すすめる連絡会』)としました。

 さて、繰り返しになりますが、『合同のとらえなおし』とは何なのかを、私なりに振り返ってみました。欠けていることやお気付きのことがあれば、ご指摘下さい。

「とらえなおし」は、合併吸収(1972年国家の沖縄返還と同質)の非対等性を「とらえなおし」て教団の教会制度へのきちんとした位置付作業をすること。同時に、宣教課題 (米軍基地撤去を通して「世界民衆」への戦争の加害者性からの脱却、本土教会は本土からの歴史的差別への罪責を認め神と沖縄の隣人に許しを願うこと。基地存在下の人権・平和の復権をともに闘うこと)を担うことを通して合同教会を形づくることだと存じます。

 そのためにはまず問題の当事者性(琉球処分以来の沖縄との関係での加害者としての本土−日本近代国家の質)の歴史の自覚が「本土教会」には必要です。

 その根本はどこが間違っているかということです。それは福音理解にあると思います。沖縄の教会が抱える歴史の個別性から来る問題を捨象しても、何の痛みもないままで成り立つ「歴史を生きない福音理解」があります。状況捨象の指摘を受け入れない強固な「正統」意識により「合同とらえなおし」の問題提起そのものを排除してしまう「教会政治」があります。そのため、過去教団総会で可決をされた「合同とらえなおし関連議案」の趣旨が、教団・教区・教会で生きたものとならないまま、死滅させられています。そもそも日本本土の教会は、第二次世界大戦における日本基督教団の責任について鈴木正久教団議長よって表明されたいわゆる「戦責告白」をすら無視している教会・信徒が多い教会です。他方日本の世の中の動きは、政府・与党それを支持する「国民」においては、アメリカの戦争政策に追従し、その体制作りを安易に容認しています。また教育にとってはとても大切な人間観をのべた「教育基本法」や戦争放棄をのべた「憲法」を、戦争の現実に合わせて「改悪」しようとする政治的動きが怒濤のように起こっています。メディアも大勢では歩調を合わせています。今は、その流れに「否」を示さなければ、その流れに荷担している側に付くことがはっきりしています。「合同とらえなおし」は、それを見据えて、その流れに抗う教会的運動の一面を持っていると思います。それは日本基督教教団が宣教方策(1961)で

「キリストに仕えるゆえにこの世に奉仕し、日常生活も宣教の場であることを覚え、大衆の生活に対して共同の責任を負うことを決意した。このために何よりも教会の体質改善が必要であることを自覚し」

 と述べていることに基づいた地味な取り組みの方向であります。確かに、このことの延長線上で、「万国博覧会キリスト教館出展」が日本のアジア経済侵略に協力することになるという、激しい教会批判・宗教批判(1970年代)があり、教団が「混乱」したことは事実です。しかし、その批判は長いキリスト教史においては必然の批判であり、むしろ「世に仕える」ためには乗り越えなくてはならない批判でした。

 これに対して批判のやり方が「過激」であったことは認めざるを得ません。しかし「あつもにこりてなますをふく」過ちを犯すべきではなかったのです。「合同とらえなおし」は、沖縄教区を利用して「教会の解体を狙っている」(沖縄教区 Q&A)一部の動きだ、と悪意にみちた宣伝をされ、「合同とらえなおし」は意図的に潰されて来ました。

 この政治的恣意性が沖縄教区(総体)にも向けられているとお思いになりませんか。例えば、沖縄教区が教団総会議員を選出しないという決断を、沖縄教区総会で行ったのは、33回教団総会の沖縄教区提出の教団名称変更議案等を審議未了廃案の扱いへの抗議の表れでした。しかるに、それを問いとして受け入れないどころか、信仰職制委員会に「教区」は「教団」が教規で設けた機関なのだ、という規則の文字づらの解釈をとって、「沖縄教区は臨時教区総会を開くべきだ」という権力的対応をとりました。さらには、総会における推薦議員制度を利用して、前回の沖縄教区選出の総会議員をそこに入れることで(当然それにのる沖縄の議員がいるこをを承知で)、あたかも沖縄教区を入れて34(19)回総会が正統に開かれたような仮装を施すなどはかなり「悪意」に満ちています。(私には、沖縄教区の内部崩壊を狙う意図が隠されているのではないか、とすら疑えてしまうのです。)

 本土の、それほど悪意ではない、善意の「合同とらえなおし」を担ってきた人達も、自分が牧会する各個の教会のことを考えると、必ずしも「とらえなおし」の真意を「教会形成」の根本に据えることができないまま呻吟しているのが現状です。その弱さを認めざるを得ません。これはいまに始まったことではなく、教会史家・土肥昭夫氏が戦後教会の体質として指摘していることであります(『歴史の証言』)。ここを変えていくにはほんとに性根を据えて、自らの信仰そのものを問い直すことと平行して行かねばならないと私も思っています。

 沖縄教区側でもいろいろな出来事がおありのことだと存じます。

 私が何を言ったところで、本土側の教会の一員が「今更」との思いはお持ちであろうと存じます。

 また有志が立ち上げた「求め、すすめる連絡会」は、例えて言えばいわゆる「NGO」にあたる動きであります。「沖縄教区」という教会制度が対等に対応をするべきものでもありません。

 しかし、たとえ有志の会であっても、辺野古支援の人達を含みなつつ(神奈川「うねりの会」他)、心して教会の日常に足を着けながら、幅の広い踏ん張りを教団諸教会に訴えていきたいと思っています。今は本土教会の中では点にすぎない人々が、少しでもネットワークを作り、本来の「合同とらえなおし」の実質化をすすめるには大変な努力と忍耐がいります。とにもかくにもこの教団の状況を少しでも打開して前に「すすめて」いきたいと願っています。この小さな本土教会の動きについてご鞭撻を戴きたい願うものであります。

 先生のお働きの上に主の導きを祈ります。

2005年1月7日