主を待ち望む者《イザヤ 40:27-31》(1989 説教要旨・頌栄創立100年)

1989年10月22日、聖霊降臨節第24主日、
頌栄創立100周年記念礼拝、
同日発行「神戸教會々報」所収
地の果の胎動 – 頌栄百年に寄せて

(牧会31年、神戸教会牧師12年、健作さん56歳)


 本日の聖書の箇所は、頌栄保育学院の創設者であり、またその後40年間にわたって幼児教育と保育者育成のために働いた、A.L.ハウ女史(Annie Lyon Howe、1852-1943)の愛誦(しょう)聖句である。

 頌栄創立100周年を迎え、本日はハウ女史の母教会の方たち、遺族の方たちが来日され、神戸教会礼拝に出席されたことは喜ばしいことである。


 私たちは、今日、この第二イザヤの言葉を、それが語られたイスラエル民族の捕囚期の文脈に戻して考えると共に、ハウ女史がフレーべリズムの幼児教育を、明治中期の日本の国家教育が打ちたてられていく中で、成し遂げていく文脈とを重ね合わせて考えてみたい。


 第二イザヤの文脈であるが、40章27節以下を見ると、イスラエル民族がバビロン捕囚で相当に倦(う)み疲れ弱り果てていた様子がわかる。

 27節では、神に対して不平まで述べている。


 他方、ハウ女史も、使命に燃えた若い教育宣教師であったと言えども、日本の国家教育の中でのキリスト教主義学校・幼稚園の運営には相当に倦み疲れる経験をされたと思う。

 例えば、1899(明治23)年、文部省の私立学校令による公認学校での宗教教育の一切の禁止が指令された際に書いた故国への書簡には、その気持ちが出ている。

 ダニエル書(旧約預言書、迫害の中での書物)を真剣に読んで、みんなを励ましたとある。

 こんな中で今日の箇所、イザヤ書40章27節以下がハウ女史にとっての愛誦聖句であったことを覚えたい。


 預言者・第二イザヤは告げる。

 ”地の果て”とは、ここではバビロンのことであり、またハウ女史にとっては、宣教の地・日本であったであろう。

 困難なことが渦巻く場である。

 バビロンにしろ、当時の日本にしろ(ハウ女史はそのことを書簡で記している)高度な生活の知恵があった。

 しかし、それは、弱い者や幼い子を包み活かすような人間のつながりを作り出す知恵ではなくて、強い者が先頭に立って支配を作り出す、人間管理の知恵であったに違いない。

 ”地の果て”とはそんな所であったろう。

 けれども、”神の知恵ははかりがたい”ことを信じて、その知恵のゆえに戦う者は、新たなる力を得るという。

 この信仰の継承が、現代を生きる私たちに求められている。

 現代日本は、富める国であっても、神の目から見れば”地の果て”ではないだろうか。

 神ご自身の顧(かえり)みは、そこに生きる者に注がれる。

(1989年10月22日 説教要旨 岩井健作)


1989年 説教・週報・等々
(神戸教会11〜12年目)

error: Content is protected !!