地の果の胎動 − 頌栄百年に寄せて(1989 神戸教會々報 ㊱)

1989年10月22日発行
「神戸教會々報 No.124」所収
同日礼拝説教「主を待ち望む者

(牧会31年、神戸教会牧師12年、健作さん56歳)


 神戸教会の信仰の先達たちは、ここを拠点とした宣教師たちの働きをも含めて、近代日本の形成の流れの中に幾多の足跡を残してきた。

 リベラル・アーツの流れを汲む神戸女学院、フレーベリズムを源流とする頌栄保育学院、ボランタリズムの神戸YMCA、ソーシャルワークの先駆・神戸孤児院(現真生塾)などは、教会を視点とするならば宣教の延長線上のわざである。

 しかし百十余年を経て、日本の近代化の質が根本的に問われる状況の中で、それぞれのわざはその分野では確固たる位置を持ちながらも、その内実の吟味が迫られている。

 母なる教会が、信仰の情熱、人材の派遣、思想的神学的展望、財政支援などで、その内実をどれほどに支え、また教会自らが近代主義に、包摂されていることを批判的に克服し得るか問われるならば、その弱さ、無力さを、神の前に、告白せざるを得ない。


 日本の近代の中でキリスト教の果たしてきた大きな役割は「個」の確立であった。

 封建遺制が厚く、天皇制主義国家理念が現実の人間関係を大きく規制する中で、このことは至難の戦いであり、今もってこの民族の中で、キリスト教徒は少数者である。

 しかし、気づいてみると、その「個」が、戦後民主主義の限界をも含めて、象徴天皇制を支える近代市民社会の内々の「個」でしかあり得なかったのではないかと、昨今厳しく問われているのである。

 「核」被害者からの問い、難民・亡命者からの問い、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの被抑圧者たちからの問い、社会的少数者からの問い、被差別者からの問い、女性からの問い、障害者からの問い、等々そこで「個」としての尊厳を叫ぶ者たちに、応え得る「個」の深化にどれほど実をもたらしているのか、これが今、日本の近代化の一翼を担ってきた「教会」及びその広がりとしての「キリスト教諸事業」への鋭い問いなのである。

 これらの問に誠実に応えることは、正・負を含めて歴史を担う者にとっては、設問の回避や、歴史の足跡への全面否定の論理で対処することではない。

 教会の内と外を繋ぎつつ、各々の課題を負いつづける他はない。

 疲れ果ててはならない。弱り果ててもならない。


 頌栄百年にあたって、創立者A.L.ハウ女史がそのうち40年間にわたって、この働きを担い続けてきたことに改めて驚かされる。

 しかもその歩みは、文部省の押し進める国家教育から自覚的に距離をとったところで、キリスト教による教育を位置づけての歩みである(高野勝夫著『エ・エル・ハウ女史と頌栄の歩み』頌栄短期大学 1973、及びハウ書簡等参照)。

 女史には、順風というよりは逆風の40年だったのではないか。

 ハウ女史が愛誦し、その信仰の拠り所をおいていた聖書の言葉は、イザヤ書 40章27〜31節だといわれる。

 そこには、少々うみ疲れ、弱り果てたイスラエル民族の姿がある。

 それに対して預言者が、民族を励ます言葉が綴られている。

 それは「創造者」への信仰の回復への促しであった。

 「主はとこしえの神、地の果の創造者」と言われている。

 「地の果」とは、当時イスラエル民族が捕囚されていたバビロンを指す。

 異民族支配にうみ疲れている地である。

 その者たちこそ「主を待ち望む」ことによる力が必要だった。

 今日、近代日本と神戸教会の道程をふり返るにあたって、その信仰を忘れまい。



(サイト記)「頌栄百年」とは、頌栄保育学院(短期大学、幼稚園、保育園等、神戸市東灘区御影山手1丁目18-1)創立100周年の意。本文より100年前の1889年10月、頌栄保姆伝習所(中央区中山手通6-1)開設、11月、頌栄幼稚園開園に由来する。1887年、シカゴ幼稚園園長であったアニー・L・ハウ(Annie Lion Howe 1852-1943)を神戸教会婦人会が招き、ハウ女史は頌栄保姆伝習所初代所長に就任、40年を勤めた。頌栄短期大学の年表の冒頭にはさらに遡って、1886年5月「神戸基督教会婦人会、幼稚園創立を提案」とある。健作さんは神戸教会牧師時代、学校法人 頌栄保育学院の理事、理事長を務めておられました。2019年は頌栄創立130周年にあたる。

参考:頌栄短期大学 

 本文中の「社会福祉法人 神戸真正塾」についてはこちら

 健作さんは神戸教会牧師時代、神戸真正塾理事。


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