1989年11月5日、降誕前第8主日・聖徒の日
(当日週報に「詩篇46篇への想い」と題して掲載)
永眠者記念式、午後:納骨者記念式
(牧会31年、神戸教会牧師12年、健作さん56歳)
詩篇 46:1-11、説教題「神はわれらの避け所」岩井健作
”神はわれらの避け所また力である。
悩める時のいと近き助けである。
このゆえに、たとい地は変り、
山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、
そのさわぎによって山は震え動くとも、
われらは恐れない。”
(詩篇 46:1-3、口語訳)
”万軍の主はわれらと共におられる、
ヤコブの神はわれらの避け所である。”
(詩篇 46:11、口語訳)
木田献一氏(旧約学、立教大学教授)によれば、旧約聖書の中心は《神の支配》だという。
そして、そのことを裏返して言えば《この世で最も抑圧され、差別され、虐げられている者たちの尊厳の回復の根拠》だという。
旧約の預言者は、そのことのために立てられたという。
その意味では、詩篇46篇は、旧約の中心を代表するような堂々たる詩篇である。
この詩篇について、私には少年時代の思い出がある。
牧師であった父(岩井文男)は、日曜礼拝の交読文で実によくこの詩を選んだ。
これが宗教改革者ルターの詩篇だと伝えられていることも、その頃に聞いた。
ルターは、中世の教会への問題提起をした人だが、しばしばそのことの故に生命の危険に見舞われた。
そして、心が不安な時、親友のメランヒトンと共にこの詩を愛誦したという。
ルターはこの詩の精神を讃美歌にも綴った。
「神はわが櫓(やぐら)」である。
宗教改革の精神に立つという日本の福音主義教会(プロテスタント)ではこの讃美歌はよく歌われている。
当時、岐阜の農村での開拓伝道に携わった父にしてみれば、日本の封建制の名残を持ち、加えて近代主義に疎外された農民の復権の根拠、農村伝道の大義と重ね合わせて、この讃美歌を歌ったのかもしれない。
元来、コラールの壮大さを持ち、大会堂でこそ相応しい曲を、歌と言えば軍歌しか知らないおっさん達と、叙情的旋律なら馴染む女性たちの、10人足らずの会衆が、途方もなくゆっくりとしたリズムで歌う有様は、とても音楽的とはいえなかった。
加えて、半音階がうまく歌えない父に、オルガン担当の僕が文句を言うと、「讃美歌は信仰で歌うものだ!」と明治の時代気質で怒鳴り返されたのも、思い出の一つである。
その父も故人だし、戦後初期の農村開拓伝道を担った人たちも、もう故人になってしまった。
しかし、それらの先達が、信仰の励ましをこの詩篇46篇に置いていたことは、今もって、心に強い印象を残している。
1〜3節は「創造」の世界、4〜7節は「歴史」、8〜11節は「終末」が歌われている。
線の太い信仰がある。
《神の支配》が他方で《人権の根拠》として活きるような歴史を大きく捉えた信仰が、日本の土壌でプロテスタントの足跡を刻んできたことを思う時、今日、記念する私たちの教会の信仰の先達たちも、その戦列の一人であったことを、深く憶えたい。
教会の現在は、これらの人々の信仰に負うているし、また遺族として残された者の現在もその影響の許にあるに違いない。
(1989年11月5日 説教要旨 岩井健作)
1989年 説教・週報・等々
(神戸教会11〜12年目)