鼓舞《ヨハネ 14:1-17》(1981 週報・説教要旨・世界聖餐日)

1981.10.4、聖霊降臨節第18主日、世界聖餐日
説教要旨は翌週の神戸教会週報

(神戸教会牧師3-4年目、牧会23年、健作さん48歳)

この日の説教、ヨハネによる福音書 14:1-17、「鼓舞」岩井健作


 この長い箇所から、たった一語を選べと言われれば、ためらいなく16節の「助け主(パラクレートス)」を選びます。

 ”わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。”(ヨハネによる福音書 14:16、口語訳)

 新約聖書ではヨハネ文書のみ、しかもヨハネ福音書では14〜16章のイエスの訣別説教の中にだけ出てくる言葉です(他にヨハネ第一の手紙 2:1)。

 そしてこれは訣別説教の内容そのものを宿している言葉でもあります。


 ヨハネ福音書13章ではイエスと弟子たちとの別離が強調されました。

 別離があって初めて弟子たちの自立があります。

 しかし、ヨハネの書かれた教会的状況では、イエスの再臨を待望する終末思想が宗教的熱狂を支えていて、現在への対応の不十分な者たちがあったと思われます。

 (現代でも”エホバの証人”などの信仰にこのタイプがある)

 こういう信仰者は、イエスの生と死が意味するものを自分の生活状況で追体験することによって現在化していくことの出来なかった人たちであったのでしょう。

 14章は、イエスとの別離の後の自立の根拠として「助け主」(=真理を解き明かす御霊)が示されます(14:17)。

 ”それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたは知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。”(ヨハネによる福音書 14:17、口語訳)


 イエスの死の意味(別離)を一人一人が残された場で、自分の現在の生を生き抜くことで経験としてたどり、悟っていくことを導き助ける神の見えざる働きかけの確かさが、これを通して示されます。

 状況と問題の信仰的現在化を起こさせる力です。

 14章1節の「心を騒がせるな(心を乱れさせ、個としての人格を失ってはならない)」も、イエス自身、心を騒がせることを経ているだけに、単なる戒めではなく、すでに「助け主」のいる傍らでは、困難な事態さえも、自分を取り戻すことが可能なのだ、という意味を含んでいます。

 ”「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。”(ヨハネによる福音書 14:1、口語訳)

 むしろ「助け主」のもとでは、逆に心を分裂させるような事柄の中にさえも、自分がその状況にぶつかり、当たって砕けていくうちに、固有な自分自身が形作られていくのだという示唆があります。

 「助け主」のギリシア語”パラクレートス”の元来の意味は、「力づける、躊躇の中にあるものを鼓舞し励ます」という意味があります。

 自信のある人間は励まされる必要はありません。

 手の内には何もなく、自信もない者が、なお自立して生きるとしたら、それは「神の励ましと鼓舞」なしでは生きられません。

 人の励ましでも随分力づけられます。

 まして神の鼓舞を信じた時は力強いものです。

 ヨハネはこの訣別説教の最後をこう結んでいます。

 ”あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。”(ヨハネによる福音書 16:33b、口語訳)

(1981年10月4日・11日 週報 岩井健作)


1981年 週報

1981年 説教

error: Content is protected !!