憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪を覆う − 現代社会の底を支えるものは何か(2012 聖書の集い・箴言 ⑥ 最終回)

憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪を覆う。(箴言 10:12、新共同訳)

2012.1.25「現代社会に生きる聖書の言葉」
湘南とつかYMCA ”やさしく学ぶ聖書の集い”

第28回「旧約聖書 箴言の言葉から」⑥ 最終回
箴言 10:9-14

(明治学院教会牧師、健作さん78歳)

憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪を覆う。(箴言 10:12、新共同訳)

 この言葉を巡っては、忘れ難い思い出があります。

 新約聖書の「愛は多くの罪を覆う」(ペトロの手紙一 4:8)という言葉はいい言葉だなと思って、教会の玄関の掲示板に墨書しておきました(1カ月に1度位は替えていました)。

 ある日曜日、その言葉に魅かれたと言って若い女性が礼拝にやってきました。

 何回か礼拝に出ておられましたが、ある日、一度会ってほしいと言って面会の時間を作りました。

「実を言うと、あの聖書の言葉に魅かれたのは、自分は中絶をしていて、罪の意識にさいなまれ、うちひしがれている時でした。あの聖書の言葉に出会って、教会に来ているうちに『罪の赦し・神の愛・キリストの十字架の贖罪的意味』などを知り、これから何とか立ち直れそうな気持になりました。実はこの出来事の背後で、私の叔母がこのことを心に留めて、祈って、支えていてくれたことを後から知りました。叔母の愛に応える意味もあって、叔母の教会で教会生活をすることにしました」

 私は「どうか叔母さんの教会で教会生活を続け、信仰を深めて下さい」と言って別れました。一つの聖書の言葉が、こんなに大きな力を持っているとは驚きでした。 

 教会では「愛」と言うと「神の愛・キリストの十字架の購いの愛(贖罪愛)」に集約して理解します。しかし、この言葉の原意が「箴言」にあることを知る人は少ないと思います。

 人間は、人間関係で相手の過失を責めてしまわないで、包んで、赦してゆく在り方の中で関係を保ってゆく事を知恵として学んできました。

 もちろん許せないという現実もほんとうです。許せない「罪」も知っています。でも、人は赦し赦されて、存在するものだという事は、経験的な知恵でした。

 もちろん宗教論からいえば「神の愛」が事柄としては存在し、潜在的に先行的に神の愛があるから人は赦すことが出来るのだ、というのが筋道です。

 宗教論で教義や神学として語れば「神の愛」を語らなければ始まりません。

 しかし、経験の世界では、まず経験できる「赦し・愛」があるのです。先の女性も叔母さんの愛を感じていたから教会に来たのです。

「愛はすべての罪を覆う」は人類の経験的知恵なのです。

 数多い経験としてそれを体験しているのです。

 旧約聖書の中には「贖罪」という考え方はイザヤ書53章にあります。それを究極的な愛の表現としてイエス・キリストの生涯の意味に思想化したのが新約聖書の「贖罪論」です。

 現代の出来事にも潜在している「愛の事実・愛は多くの罪を覆う事実」を掘り起こしてゆく事が、聖書を現代的に読み解いてゆくことではないでしょうか。

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