造り主は貧しい人と共に − 格差への怒りを(2011 聖書の集い・箴言 ①)

弱者を虐げる者は造り主を嘲る。造り主を尊ぶ人は乏しい人を憐れむ。(箴言14:31、新共同訳) 

2011.10.19「現代社会に生きる聖書の言葉」
湘南とつかYMCA ”やさしく学ぶ聖書の集い”

第23回「旧約聖書 箴言の言葉から」①
箴言 14:31-35

(明治学院教会牧師、健作さん78歳)

1.はじめに『箴言』について一言

 旧約聖書の構成は「トーラー(律法)」「ネビーイーム(預言者)」「ケスービーム(諸書[文学])」の3部作です。

 第3部の諸書は、詩編・箴言・コヘレトの言葉・ヨブ記・雅歌、などで構成されています。『箴言』はそのうちの一つです。ヨブ記などと共に「知恵文学」の一つと言われています。

 原語の表題は「マーシャール」で、「諺(ことわざ)・格言」などを意味します。日本語聖書の「箴」は「針・鍼」と同じ意味で、裁縫や医療に用いられる「はり」のこと。そこから、チクリと人を刺す、気の利いた言葉の意味。英語聖書の「Proverbs」(諺・格言)はラテン語の聖書の「Proverbia」に由来しています。

2.「知恵・知識」は元来、人が社会で生きてゆくための実践的知恵を意味します。

 職業上の技能の知恵から始まり、人々が人生に適切に対処してゆく知恵、さらには宗教上の知恵に至るまで広範な知恵が積み重ねられて言い伝えられてきました。

 古代イスラエルでは最大の賢者・知恵者にあげられているソロモン王の名がつけられて伝えられましたが、それは長い間のうちに蓄えられた民衆の人生の処世の知恵も含んで伝承されたものです。整えられて教育にも用いられ、イスラエルの歴史ではペルシャ時代に編集が完了したものです。

3.今日選んだのは「弱者を虐げるものは造り主を嘲る」(箴言 14:31)の言葉です。

箴言 14:31-35、新共同訳

弱者を虐げる者は造り主を嘲る。
造り主を尊ぶ人は乏しい人を憐れむ。
神に逆らう者は災いのときに退けられる。
神に従う人は死のときにも避けどころを得る。
聡明な心では知恵は憩っているが
愚か者の中では自らを示す。
慈善は国を高め、罪は民の恥となる。
成功をもたらす僕は王に喜び迎えられ
恥をもたらす僕はその怒りを買う。

 これと類似した諺はほかにも出てきます。「貧しい人を嘲る者は造り主をみくびる者」(箴言 17:5)、「友を侮ることは罪。貧しい人を憐れむことは幸い(14:21)」。

 諺というものは、語られた状況の方は忘れられてしまって、言葉だけが伝わってきているので、その言葉を生み出した状況がどんなものであったかを出来るだけ復元してみる必要があります。

 類似の言葉を含めて考えると、貧しい人がひどく蔑まれていたことが想像できます。その一方で、それとは全く別のことのように、造り主である神が、平気であがめられ、神殿の祭儀だけはきちんと守られ、しかも、神殿祭儀の義務が、貧しい人々に平気で押しつけられていたのだと思います。そんな状況で、天地創造の造り主は、誰にでも同じように、自然を与えられたということがないがしろにされることに我慢ができない貧しい者たちの間で、語り伝えられた言葉だと思います。

 新約聖書マタイのイエスの言葉

 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。(マタイ 5:45)

 は、人間の価値基準で「神」を考えてはならないことが示されています。

 マタイの譬え話には

『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』(マタイ 25:45)

 とあります。

 世界の格差社会で、貧しい人を放っておいて、それとは別に「神の問題」が扱われるとき、その「神」は人間の都合でどうにでもなる「神」であって、本来「被造物」の前にはだれもが謙虚であるべきという真理が失われています。その人間の傲慢を自覚した言葉であると思われますので、大切にしたいと思います。

 現代の格差社会は酷いものです。アフリカ・中近東の難民、アメリカのウォール街でのデモ、ブラジルのファベイラ、フィリピンのスラム、日本の生活保護者の増加、貧しさゆえの訴えが響いてきます。

 特に子どもたちが政治が原因で傷つき、病気や飢え渇きに苦しめられています。日本では放射能が子どもたちの将来を暗くし、幼児虐待の増加を食い止められません。神への謙虚さを取り戻すようにとの警告を箴言の言葉に聞きたいと思います。

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