「現代社会に生きる聖書の言葉」
湘南とつかYMCA ”やさしく学ぶ聖書の集い”
第49回「旧約聖書 詩編の言葉」①
詩編 23編1節-6節
詩編 23編
1 参加。ダピデの詩。
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
2 主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
3 魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。
4 死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける。
5 わたしを苦しめる者を前にしても
あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。
6 命のある限り
恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り
生涯、そこにとどまるであろう。
1 、予告では、今日は旧約聖書のアモス書を学ぶことになっていました。しかし、前回(12/12)は新しい方も含め17名が集いました。初めてこられた方の声、例えば「自分も歳をとったので人生の糧に聖書を学んでみようと思って来た」「聖書をそんなに知っているわけではないが、YMCAに関係していて一度は学んでみたいと思っている」などの言葉を聞いて、YMCAの「聖書の学び」はいつも初めての方に開かれているものだということを強く感じました。この集会にこられておる方は様々です。長年ご自分の教会で聖書を学び、もう聖書は3回も通読しているという方もおられますし、神学校で聖書を学んだという方もいます。教会での学びが、余りにも教義的、神学的なので、もう少し自由な視点や、現代の歴史批評的聖書学の知見も交えて学びたい、という方もおられます。聖書は66巻(旧約39巻、新約27巻)の歴史的産物の書物ですから、私が講座を受け持って(2008/6)からもいろいろな箇所を取り上げて来ました。ある時は、聖書絵画(小磯良平、田中忠雄)の主題を扱うという学びの方法も取りました。そんな中で今回、旧約のアモスを取り上げることにしていましたが、この書物は、社会正義、国家権力批判、弱者・貧困の救済に立ち上がった「預言者」の激しい闘いを記しています。もちろん聖書はどの書物を取っても「神のメッセージ」ですから、純粋に個人の救いだけを説いているわけではなく、社会や国家の中での生き方を含んでいます。アモス書はちょっと激しい書物で、恐らく現代でいえば新自由主義に立つ安倍政権などは厳しく批判の標的とされる内容を含みます。どちらかといえば私自身はその分野には関心を強く持っています。だから、今回は自制して、聖書といえばだれでもがまず親しんで欲しい「詩編」を何回か取り上げることにしました。教会に出席して、聖書に親しみ、これを「命の言葉」としておられる方々には熟知のところです。詩編は150編(5巻にまとめられている)の宗教歌集です。各詩は作られた年代にも幅があり、作者も様々です。思想も実に豊かです。時代を超えて読者に深い感銘を与えてきました。いまでも、教会では日曜日の礼拝で「交読詩編」といって、司会者と会衆とで交互に詩編を朗読しています。その中から、第23編を選びました。理由は、世界で最も多く読まれ、親しまれている箇所だからです。ある映画でしたか小説でしたか(題名、筋は忘れました)、無法者が聖職者に変装して旅をしています。乗客の中の臨終の人の付き添いの医師が牧師に祈りを求めます。病人の「にじゅうさん」 の言葉に、何も知らないまま、医師に指示されこの箇所を、初めて、たどたどしく読みます。でも臨終の人はそれを聞いて穏やかに安らかに死んでいったということです。そんな力がこの詩にはあるのです。
2 、「羊飼い」は、羊の扶養、導き、危険からの保護、など高度なプロフェショナルな仕事です。「羊と羊飼い」という実社会での関係が、目には見えないが、確かにそれ無しでは人間は生きることができない、主(ヤハウェ{昔日本語でエホバと言った}、神、天地の創り主)との関係の比喩になっていることがこの詩の一番大事なところです。
3 、「羊飼い」の隠喩は、「羊と羊飼い」の関係が、「私たちと神(主)」との関係を、類比(アナロジー)として表しているのです。アナログ(類似物、釣り合っている、天秤)は、デジタル(指の、0,1の電気信号の組み合わせ)とは違って、二つの領域のもの(地上と天上、此岸と彼岸)の関係が類比していることを表します。デジタルの世界しか分からない人(つまり目に見える指示・数字でしかものを考えない人)には、聖書は分からないといっても過言ではないでしょう。「関係の類比(アナロギア・レラティオーネス) 」を悟る感性が大事なのです。一枚のハンカチを手にした時、これは500円か1000円か、としか考えない人はデジタル思考です。でも一枚のハンカチに、彼女または彼の無限の愛情を読み取れたら、それはハンカチは愛情のアナロギアなのです。聖書はアナロジー(比喩)に満ちています。野の百合はいかにして育つかを思え、労せず紡がざるなり(文語訳マタイ6:26) 。イエスの言葉です。花に、神の恵みを覚えないなら、神の恵みは分からないのです。物事に「なんぼか、という、ご利益」だけを読む宗教はデジタルな宗教です。比喩を想像しながら聖書を読むと、そんなに知識がなくとも心に響いて来るものがあるでしょう。