2015.1.4、 明治学院教会(信徒講壇 ⑩)降誕節 ②
(阪神淡路大震災から20年、東日本大震災から3年10ヶ月、
日本基督教団教師、健作さん81歳)
エレミヤ書 6:13-17
(エレミヤ書 6:13-17、新共同訳) 「身分の低い者から高い者に至るまで 皆、利をむさぼり 預言者から祭司に至るまで皆、欺く。 彼らは、我が民の破滅を手軽に治療して 平和がないのに、『平和、平和』と言う。 彼らは忌むべきことをして恥をさらした。 しかも、恥ずかしいとは思わず 嘲られていることに気づかない。 それゆえ、人々が倒れるとき、彼らも倒れ わたしが彼らを罰するとき 彼らはつまずく」と主は言われる。 主はこう言われる。 「さまざまな道に立って、眺めよ。 昔からの道に問いかけてみよ どれが、幸いに至る道か、と。 その道を歩み、魂に安らぎを得よ。」 しかし彼らは言った。 「そこを歩むことをしない」と。 わたしは、「あなたたちのために見張りを立て 耳を澄まして角笛の響きを待て」と言った。 しかし、彼らは言った。 「耳を澄まして待つことはしない」と。
1.
2015年。新しい年を迎え、今年は一層「預言者たち」に学び、彼らの後を追う年だ、という思いを強くしている。
特に、紀元前7世紀、不真実な世の中にあって、神の真実を語って苦悩しつつ、神の裁きと救いを語ったエレミヤの生涯が思い出される。
今日はエレミヤ書の6章から、3つのことを学びたいと思う。
2.
まず第一に、時代状況の認識。
「身分の低い者から高い者に至るまで
皆、利をむさぼり
預言者から祭司に至るまで皆、欺く。
彼らは、我が民の破滅を手軽に治療して
平和がないのに、『平和、平和』と言う。
(エレミヤ書 6:13-14、新共同訳)
日本の現状との重なりを覚える。「争点はアベノミクス」「集団的自衛権行使」「原発再稼働」という金と武力の論理で選挙をやり、勝利した。早々と「武器輸出に国が資金援助」(2014/12/17、2015/1/1 東京新聞)が検討されている。やりたい放題である。
投票率は戦後最低の52%、「議会制民主主義が『自壊状態』に陥る兆しとして受け止めている」(岩崎正洋・日大教授 2014/12/15 東京新聞)、「日本国は倒産しましたのであとは勝手に……とはいきません。”Grow or Die”ではなく”How to live”を問うべき時ではないか」と「『カネ優先』を見直すとき」(内田樹 2014/12/18 東京新聞)と訴えられている。
格差・差別・軍事化・言論自主規制と統制へと一段と社会が傾いてゆく年を覚悟しなければならない。厳しい冬の時代である。
3.
第二に「いかに生きるか」の思考。
「さまざまな道に立って、眺めよ。
昔からの道に問いかけてみよ
(エレミヤ書 6:16、新共同訳)
イスラエル民族は、アッシリア(後バビロニア)とエジプトという列強に挟まれ、様々な価値観や宗教の影響を受けてきた。地中海沿岸民族ペリシテからの「バアル神(経済を至上価値とする)」が権力と結びついてからは、ヤハウェ(主)信仰との熾烈な戦いが繰り広げられた(「エリヤの戦い」は顕著。列王記上 18章)。
エレミヤの時代それは「ヨシア王の宗教改革(申命記 12-28章の発見による) BC620頃」(列王記下 22章)として起こった。彼の生涯で出会った大きな政治事件である。
エレミヤはヨシア王を援護した。
「金か命か」。
古くはエーリッヒ・フロム『生きるということ』”To Have or To Be”、佐野哲郎訳 紀伊国屋書店 1977)や『豊かさとは何か』(暉岡淑子 岩波新書 1989)が語っている。
ヤハウェ信仰は「昔からの道」「命の道」である。
4.
第三に「命を守る生き方の避難所を作り出す」。
その道を歩み、魂に安らぎを得よ。(エレミヤ書 6:16、新共同訳)
耳を澄まして角笛の響きを待て(エレミヤ書 6:17、新共同訳)
とある。
「命の道」を歩んで人生半ばで逝った小田原紀雄さん(享年69歳、1945年〜2014年8月)のことを、この言葉と重ねて思う。
彼は「牧師」で山谷労働福祉センターの設立者であった。「革命家」と言われるほどに「反天皇制」の闘いを続けた。
彼の予備校講師(河合塾・古文)は生活のためだとばかり思っていた。追悼集会で生徒たちの追想を聞き、どんなに彼が優しく、温かい人であったかを知った。
現代の「人間の避難所」を思わせた。
教会も「魂の避難所」の一面を担いたい。
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